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◆国のかたち、と地方のあり方がまったく見えない さらに菅政権にあっては、明治維新以来、世界の西側先進諸国の中でも特異な形で進んできた極度な中央集権国家、日本の国の形をどう変えるのかがまったく見えない。 地方分権、地方主権の国づくりを実現する気があるのか? 外交、防衛、金融など国が行うべきこと以外は、できるだけ地方、地域が主体となって税源、財源、権限を行使すべきではないのか? そのような場合でも、地方、地域のガバナンス、経営をどうするのか? 世に言う「競争的分権」社会をどう日本で実現しようとしているのか? さらに米国追随、隷属の日本が真に独立するためには、国民一人一人が自律そして自立することが不可欠である。国民一人一人を地方、地方と置き換えてもよいだろう。 「一身独立して一国独立す」福沢諭吉 「学問のすすめ」(福沢諭吉著)の中でこの考え方を書き残しています。独立した個人こそが国家を支える基本であるという考えです。誰かに頼るという人間ばかりでは社会は腐敗してしまうが、自分が国家を支えようと努力する人間が揃ってくれば社会は繁栄し国家は潤います。ひとりの人間として己を厳しく戒めて質素倹約を旨として、学問に励み、多くの人のために生き抜こうとする姿勢がなければ自分が所属する家庭、会社、地域、国家といった集団は繁栄しないという考え方で近代民主主義の基本となる教えです。 ◆国の補助金を餌にした画一的事業の地方への押しつけ 地方の自律と自律を阻害している理由のひとつは、国の画一的で無駄に満ちた補助事業である。今まで地方の多くは国の政策メニューのなかから施策や事業を選ばざるを得なかった。理由は簡単、国がカネをエサとしてメニューを地方に押しつけてきたからである。 過渡期の政策として小沢氏は、秋の代表選挙のときの演説やニコニコ動画インタビューのなかで、国から地方への補助金を一括交付金として提供して行くことに触れていた。 周知のように日本では、国が補助金を餌(えさ)に中央官僚が描く政策を地方に押しつけてきた。ダム事業であれ、廃棄物焼却施設であれ、国から地方への補助率は60〜84%にも及んでいる。 自治体は頭金だけで各種の公共事業を実施できると考え、国が出すメニューに飛びついてきた。その結果、日本中どこでも金太郎飴のような施策が画一的になされてきたのである。しかも、国からの補助で行われてきた土木系公共事業の多くは指名競争入札などによる「談合」となっていて、事業費は高止まりであった。 下はほぼ同じ規模、技術、型式の焼却炉を日本と台湾で事業化した場合のゴミ処理1トン当たりの建設費の比較である。用地費などは含まれていない。 実態を知るため台湾に弁護士や市議会議員ら12名を引き連れて現地調査を敢行。 当時、中華民国環境保護署のナンバー2は私の親友、黄光輝氏。 現場を見ながら徹底議論。 青山貞一:台湾環境行政現地視察2002年7月13日〜15日 ダイオキシンのモニタリング結果などで議論 プラント視察 日本と台湾で最高3倍も事業費が異なることが分かる。 住民訴訟が頻発し、公取委が勧告や摘発をしても、日本の談合体質は一向に改善されない! いたちごっこである。 このような日本的商慣行が改善されない、政権交代後も開山されない理由は、間違いなく政治にある! チリも積もれば山となるのたとえの通り、全国各地で行われてきた土木系公共事業そして農業系土木事業、さらに廃棄物焼却施設や処分場などの環境事業、さらに近年では情報通信事業における補助金などによる国による地方への事業押しつけによる総額は一般会計、特別会計あわせ膨大な額に及んでいる。 ◆地方交付税を利用した国の補助のからくり 問題は従来の国から地方への補助金でも地方交付税(地方交付金)を使うことで仮に表向きの国から地方への補助率が25−50%の場合でも最終的に70−80%、地方単独事業の場合でさえ60%になることが分かっている。これが自治体側にとって一種の麻薬となり、国のメニューの内容にさまざま課題があっても、資金を得るために従わざるを得ない背景があった。 重要なことなので以下に詳しく説明しよう。 すなわち、都道府県や市町村などの地方自治体は、国庫補助分以外を自分たちの一般会計から拠出せざるを得ないのだが、実際には地方自治体は一般会計からではなく、公債の一種である地方債を発行しまかなう。 地方債は自治体が債権を発行し借金することだが、あにはからんや地方自治体が発行する地方債という債権を償還(返済)する時、国がかなりの部分について相当額を地方交付税交付金として自治体に与えているのである。簡単に言えば、地方の借金を国が地方交付税交付金を使って面倒をみる、実質棒引きにしてきたのある。 その結果、仮に事業総額が100億円の公共事業で国庫補助率が1/2(=50%)の土木系公共事業の場合、国が50億円地方自治体に補助することになるが、残りの50億円についても自治体が償還(返済)する時に国が地方交付税交付金として面倒をみるために、実質補助率は50%ではなく、最高で84%にも達することになっている。すなわち表向きの国の補助率が50%でも実質的には国が84%も面倒をみていることになる。 具体例をあげる。 廃棄物処理法では一般廃棄物処理は市町村が行うこととしているが、自治体は集められた廃棄物を大部分燃やしている。燃やすのに必要な焼却炉は一基で数10億円から数100億円かかる。 この資金に対し、通常、国(昔厚生省、現在環境省)からの補助(国庫補助という)が1/4(=25%)から1/2(=50%)出されてきた。残りをどうするかというと、自治体が地方債を発行し、その地方債を国からの地方交付税交付金で償還することで、国から地方への実質的補助率は、仮に1/2(=50%)の補助率の場合でも84%(=84億円)となっていたのである。 下図は国から市町村に補助されてきた廃棄物の焼却炉や溶融炉の中枢プラントへの補助の例である。 国から市町村が建設する焼却炉の中枢プラントへの補助率が表向き1/4(=25%)の場合でも最終的には80%を超える資金が国から自治体に行っていることを示している。 自治体は16%の頭金で100%の焼却炉が建設できることになり、これが日本中、どこでも廃棄物を3R,5Rせず、燃やしてしまう環境行政となった大きな理由といえる。 ちなみに廃棄物焼却炉、溶融炉の場合、中央省庁の実務担当は、 1)焼却炉本体への補助金は環境省(もともとは厚生省)、 2)地方交付税交付金(通称特別交付金と言っている)は総務省(もともとは自治省)、 3)ゴミ発電装置がある場合は経済産業省(元通産省資源エネ庁) が対応してきた。 国が政策あるいは施策のメニューを示し、それに自治体が従う場合は、さまざまな方法で補助をするのだが、それ自身、膨大な無駄があり、かつ国の借金を増やし財政を悪化させる。自治体側は国の政策、施策がおかしいと思いつつ、巨額の資金を補助してくれるので、それに従わざるを得ない。しかも、一度この補助を受けると補助は自治体にとって麻薬となってしまうのである。 <参考、出典> 青山貞一:廃棄物焼却主義の実証的研究〜財政面からのアプローチから、武蔵工業大学(現在、東京都市大学)環境情報学部紀要 青山貞一:廃棄物処理施設を事例とした国から自治体への補助金及び地方交付税交付金の仕組みについて 小沢一郎氏がこの間ずっと政策提案していることは、このような国から地方への補助を通じた政策、施策の押しつけを止め、国側の裁量で地方の政策、施策を決めてしまう地方交付税交付金ではなく、自治体側の裁量で使える一括交付金に変える。それにより国、自治体双方にとって無駄がなくなり、財政が健全化される。 自治体側もカネほしさに国の画一的な政策、施策を受け入れるのではなく、独自の政策、施策を行うことができるようになるのである。 私が長野県で田中康夫知事の政策顧問だったとき、国と市町村の間で行われている上記の補助のあり方に異議を申し立て、田中知事は市町村から環境省に県を経由し申請される「循環型社会形成推進交付金」の計画書を半年以上、押さえ込み市町村、国双方に問題を提起したtことがある。 長野県議会や押さえ込まれた市町村議会は大騒ぎした。しかし、ブラックボックスのなかで永年、国と地方の間で行われてきたことを明るみに出し、改革を迫ったが国側はまったく対応しようとしなかった。 上記の実態や現実は、今まで国側により隠蔽されてきたため、たとえば大学の財政学、公共政策学などでも事例研究からはずれ、ブラックボックスとなっていた。逆に言えば、それが霞ヶ関の官僚の権力の源泉となってきたとも言える。、 東大法学部を優秀な成績で卒業後、建設省に入省し、大臣官房会計課補佐まで勤務した親しい友人は、次のように言う。 すなわち 「もし、国が本質的に従来の補助金行政を止めれば、キャリアー官僚の6−7割は不要になる」 と。 これぞ本来の意味での行政改革であり、国、地方を上げての財政改革となるものである。 民主党の国会議員はもとより政務三役などについている幹部議員が上記を十分分かっているとは思えない。いくら事業仕分けをしても、上記のからくりを知らなければ、一般会計、特別会計とも大きな無駄はなくならず、結果的に国の累積債務は増加するばかりだ。 民主党政権、とりわけ菅政権は客寄せパンダ的に「事業仕分け」ばかりやっているが、上記について小沢氏が提起している一括交付金への切り替えや、地方分権、地方主権の具体的手順、スケジュールを示さなければ、自民党政権から民主党政権に代わったことの意味は見えない。 これこそ本来の政治主導となるはずである。 ◆安易な将来人口ビジョン 定量的にみた場合の国の形として重要なのは、将来人口フレームである。 日本はカリフォルニア州並の狭小な国土に1億2千万人以上がひしめきあっている。 高齢化に伴い年金など社会保障が財政的に支えきれないという理由で、民主党も自民党同様、日本の将来人口規模を現状維持のように想定しているが、21世紀の中葉以降も本当に1億2千万人規模の人口を維持できると思っているのだろうか? ドイツ、フランス、英国、イタリアの面積の平均は、日本同様約36万平方キロである。他方、ドイツ、フランス、英国、イタリアの人口の平均は、6600万人であり日本のちょうど半分である! |
私見では環境、エネルギー、食料などさまざまな制約を考慮すれば、長期的には日本の人口を現状の1/2かせいぜい2/3で持続可能な社会とする必要があると思っている。以下に世界主要国の人口と面積を示す。 つづく |