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初秋の上州を行く

B依然修復中の社殿
青山貞一
掲載月日:2012年10月7日
 独立系メディア E−wave Tokyo

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◆社殿は依然として修復中

 下の写真にある165段の石段の上にある社殿(本殿・幣殿・拝殿)は、台風によって壊れ、前回来たときも修復中だったが、今回も修復中とのことで社殿が見られなかった。

  石段の上にある随神門は、3間2間の単層切妻造で、左右表間 には随神がおかれ、木鼻などよりみて寛文期の ものと推定される。
 

撮影:青山貞一

 
本殿に通ずる階段は改修のため立入禁止となっていた。


撮影:池田こみち


◆社殿と唐門

 以下は群馬県公式ホームページの社殿、唐門の紹介文である。 

 なお、改修工事は今後もつづくとのことであった。

妙義神社の社殿(本殿・幣殿・拝殿)

 妙義神社の社殿(本殿・幣殿・拝殿)、唐門、総門と社宝である紙本著色地蔵菩薩霊験記は国指定重要文化財に、旧妙義神社社殿で現在の波己曽社社殿と随神門、袖廻廊、銅鳥居、石垣が群馬県指定重要文化財にそれぞれ指定されている。

 妙義神社(本殿・幣殿・拝殿・唐門・総門) 附神饌所(しんせんじょ)・透塀)昭和56年6月5日国指定重要 文化財。本殿および関係建造物は、1656(明暦 2〉年に萱葦をとち葺に改めて社殿の形式が整 えられた。

 現社殿は1757(宝暦6)年の大改修 になるもので、「遷宮宝暦六丙子年十二月朔日」 銘の棟札があり、このとき以来銅板葦の権現形 式の社殿となる。

 本殿は入母屋造、桁行3間・ 梁間2間・一重で、4.666×3.940b。内部は折 上格天井(おりあげごうてんじょう)、各間毎に菊花の極彩色が施され、出 組三斗。棟梁は飯村杢允藤原久敬・松本播磨藤 原住房、彫物師・塗物師(32人)・錺(かざり)工・鋼屋根 職人は江戸から、鋳物師は下野佐野、石工は信 州高遠(26人〉などから集められた。

 幣殿は桁行 3間・梁間1間の両下造(りょうさげづくり)で、6.046×4.666b、 本殿と拝殿をつなぐ。内部は格天井、その各間 には百草が描かれ四隅に宝相華文を描いている。 拝殿は桁行3間・梁間2間の入母屋造で、9. 272×4.590b。正面屋根には千鳥破風がつき、 その下に向拝部の唐破風屋根がつき出している。

 周囲の側面は横桟の板戸、正面一間は三折両 開棧唐戸(みつおれりょうひらきさんからど)。向拝部(ごはいぶ)を繋ぐ海老虹梁(えびこうりょう)には、龍の彫 刻があり、軒は本殿同様二重繁垂木、三手組、 袖障子には竹林七賢人の彫刻がある。神饌所は 桁行5間・梁間1間・唐破風造。背面は幣殿お よび拝殿に接続してつくられ、妻入りになって いる。

 透塀(すきべい)は幣殿と本殿を囲み、折り曲の延長 は28間。本殿背後に門が一カ所つくられ、そこ には宝暦年間につくられた現社殿より古い時代 の蟇股(かえるまた)が用いられている。

唐門

 唐門は、桁行1間・梁 間1間・妻部は唐破風の平入の門で、貫頭の木 鼻は菊花の籠彫、戸の板面は薄肉彫の鳳凰の彫 刻などが施されている。世良田東照宮の唐門と ともに、群馬県内では最も優れた唐門である。



旧宮家御殿

 妙義神社は古くから皇室の信仰も厚かったそうだ。妙義神社は東叡山寛永寺の別院元光院の兼帯となり、 1636年以来、寛永寺座主輪王寺宮の隠居所となったとのこと。

 下は波己曽社の近くにある旧宮家御殿である。現在は資料館と社務所となっている。


旧宮家御殿、現在は社務所
撮影:青山貞一


旧宮家御殿、現在は社務所
撮影:青山貞一


旧宮家御殿、現在は社務所に通ずる門
撮影:青山貞一


◆石垣
 
 妙義神社境内には精巧にできた石垣がある。誰でもここに城があったかと推測するが、妙義神社には城はない。これは江戸中期に妙義山で産する安山岩を使い、江戸や信州高遠の石工たちが築いたと言われている。実に精巧な石積であり、学術的にもきわめて重要な石垣であるとボランティアの方が説明してくれた。

 石垣は何期かに分けて造られたが、総門脇の巨石 を使用した精巧な石積は群馬県随一の石垣である。

 石垣に刻まれた銘文は、本社前は「延享元甲子 六月、石階造修工武州江府霊岸島近藤利兵衛」、 随神門下の石段は「宝永二乙酉歳霜月吉祥日」、 総門前石垣に「明和六暦丑」と刻まれている。

 また宝暦6年銘の棟札には「信州高遠石切二六 人、江戸石切一人」とあり、1705〈宝永2) 年から1769(明和6)年までの半世紀にわたっ て築かれたとされている。


石垣の背景に見える波己曽社
撮影:青山貞一


石垣側から総門を見る
撮影:青山貞一


石垣 撮影:青山貞一


石垣 撮影:青山貞一


◆妙義山への登山道

 なお、上の165段の石段は通行禁止となっているものの、グルーと山側を登れば工事中の社殿などを遠巻きに見られると説明を受けたが、私たちは遠慮することにした。


撮影:鷹取敦


撮影:鷹取敦


撮影:青山貞一


撮影:青山貞一

つづく