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熊ノ平駅近くのトンネル出口。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 トンネルを出たところに1950年の大規模崩落事故の慰霊碑があった。 1950年の大規模崩落事故の慰霊碑 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 1950年の大規模崩落事故の慰霊碑 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 1950年の大規模崩落事故の慰霊碑についての説明 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 1950年の大規模崩落事故の詳細は、以下のとおりである。50人がこの事故で亡くなられている。
下の写真は、現在の信越本線熊ノ平駅。この駅で単線の信越本線がすれ違った。 現在の信越本線熊ノ平駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 撮影:青山貞一 下は明治・大正期の熊ノ平駅である。 明治・大正期の熊ノ平駅 出典:Wikipedia 現在の信越本線熊ノ平駅。かがんで写真を撮っているのは鷹取さん 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6
1918年(大正7年)3月7日に発生した熊ノ平駅列車脱線事故現場の様子 出典:Wikipedia なお、熊ノ平駅から国道18号線へは、下の写真にあるような手すり付きの階段があり、18号線沿いに整備された駐車場まで降りることが出来る。 熊ノ平駅から国道18号線へ下津ための手すり付き階段 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 これで、横川駅〜丸山変電所〜めがね橋〜熊ノ平駅の間がすべてトレッキングできるようになった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012.10.6 残る整備は、下の示すように、上信越自動車道(高速道路)の横川SAから、この信越本線碓井線の歴史的遺産がある横川駅近くへの出入り口を設置することである。 ◆具体的政策提言をひとつ! このところ、はからずもそれらの地域の歴史、文化遺産に接する機会が増え、経済の論理一辺倒でなく、歴史、文化、環境を残しながら、地域経済の活性化にも結びつけることの大切さを改めて思い起こしてみる必要があると強く感じている。 たとえば、すでに私たちは何度も政策提言しているが、既存の高速道路も米国のように無料化するだけでなく、多くの一般道路と相互乗り入れができるようになれば、今までただ通り過ぎていたちいさな町や村に足を伸ばし、歴史や文化、環境との接点が多くなる。また、そこにある旅籠や温泉宿に宿泊し、のんびり地元の食材を使った料理に舌づつみをうつ楽しみも増えるだろう。 現状がどうかと言えば、下図にあるように上信越自動車道には横川サービスエリア(SA)はあるもののランプはない。その結果、高速の長野道は横川駅の「アプトの道」の起点近くを通りながらアクセスできない。きわめておかしなことだ。 具体的には上信越自動車道の横川SAから一般道に車が出られるようにすればよい。すでに同じ上信越道の佐久平SAでサービスエリアから一般道に出る方策がとられている。ぜひ、実現してほしい! 小さいことかも知れないが、高速道路のランプや鉄道の駅をつくることひとつをとってみてもそれは「歴史」や「文化」的配慮なしに考えられないのではなかろうか。 つづく |