エントランスへはここをクリック   


初秋の上州を行く

G織物の歴史と文化が宿る桐生
青山貞一
掲載月日:2012年10月7日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁


 2日目の2012年10月7日、私達は夕方に足利市の佐藤秀雄さんの事務所で会うことになっていたが、それまでの時間を桐生市の織物の歴史と文化を視察することにした。


出典:マピオン

 前回来たときは、時間がなく車で市の中心部を走っただけだったが、今回は中心部だけだが、歩いて視察することにした。

 桐生市(きりゅうし)は、群馬県の東部に位置する市で日本を代表する機業都市であり、奈良時代から絹織物の産地として知られている。

 桐生織は京都・西陣の西陣織と並び称された。その歴史を物語るように、市域には数多くの文化財、史跡などが今でも残っている。

 1921年の市制施行当時の区域は旧山田郡。現在の市域は、旧山田郡・足利郡・安蘇郡・勢多郡で構成される。市域人口は約12万人。

◆桐生市の歴史と文化

 上毛かるたで「桐生は日本の機どころ」と詠まれるなど、古くから絹織物の産地として知られる。川内町北部は古く仁田山と呼ばれ、仁田山紬の産地として知られた。

 地名の由来は、「桐が多く自生する土地」から「桐生」とも、「霧が多く発生する土地」から「霧生」とも言われているが、どちらも決め手は無い。

 1889年(明治22年)に町村制が施行され、山田郡桐生新町を中心とする町村合併によって桐生町が発足した。

 桐生町は1921年(大正10年)に東毛地域内で最も早く市制を施行した。旧市街地には商家や鋸屋根の織物工場など歴史的建造物が数多く残っている。

 日本を代表する絹織物の産地であり、製糸、撚糸、染織、縫製など、繊維に関する様々な技術が集積していることから「織都(しょくと)」という雅称がある。

 絹織物の繁栄により蓄えられた富は、桐生明治館、桐生倶楽部、水道山記念館など多くの文化財や市営桐生が岡公園、大川美術館などを生んだ。下水道普及率も70%を越え、群馬県内の市では高崎市と並んでトップレベルにある。

 市のキャッチフレーズは、「伝統と創造、粋のまち桐生」。絹織物によって育まれた高い技術によって、パチンコ産業や自動車部品産業などでいくつもの優良企業が誕生した。また、地元に国立群馬大学工学部がある利点を活かし、産学官連携による次世代のエネルギー産業の育成にも積極的に動いている。

 長く桐生競艇からの収益に依存したこと、高い起業熱や優れた人材の多さが市内から全国区の優良企業を多く生んだことなどから、県内他市と比べて大型工場の誘致に熱心でなかったという。

 以上、出典、参考はWikipedia

 現在の桐生市は、以下の地図にあるように市町村合併によって桐生地区に加え、黒保根地区、新里地区の3つの地区から構成されている。


桐生市全図 出典:桐生市役所公式Web

 北軽井沢の別荘で朝食後、3人で一般道を使い、高崎市、前橋市経由で桐生市に入った。約2時間30分かかった。

 車を市役所近くの無料駐車場に置き、まずは歩いて駅近くにある現在記念館となっている「旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟」に向かった。

◆旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟


ありしころの模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟

 模範工場桐生撚糸株式会社の前身である模範工場桐生撚糸合資会社は、 1902年(明治35年)12月1日に設立され、1908年(明治41年)に株式会社となった。

  模範工場桐生撚糸合資会社は、農商務省の出資により1902年(明治35年)頃、 全国6ヶ所(京都、福井、富山、米沢、足利、 桐生)に設立された模範工場の1つである。 1918年(大正7年)に日本絹撚株式会社と改称し、日本最大の撚糸工場に発展したが、 現存しているのはこの大谷石造の事務所棟のみである。

 織都桐生には、かつて幾つもの織物や染織関係の大工場が存在していた。旧日本絹撚株式会社もその一つである。

 その誕生は明治35年12月1日当時の農商務省の殖産興業施策によって、現在のJR桐生駅南口の一帯に桐生撚糸合資会社として広大な工場を設置したことに始まる。

 この工場は織物に加工する前の糸に「ヨリ」をかける工程を機械化したもので工場の建物は鋸屋根でフランス式の撚糸機を備えた。全国6ヶ所の「模範工場」の一つであった。

 その後、明治41年に模範工場桐生撚糸株式会社、大正7年に日本絹撚株式会社と改称された。日本絹撚株式会社時代は、資本金60万円、敷地14,315坪で日本最大の撚糸工場に発展したが、昭和19年8月には軍需工場となり戦後は本格的に再建されることはなかった。

 現存しているのはこの事務所棟のみで明治末から大正初期の建築である。

 この事務所棟の構造は、大谷石造り洋風二階建て外面セメント漆喰、内面漆喰仕上げとなっている。また、屋根については本来スレート瓦であった。関東大震災以前の洋風石造建造物はあまり見られず、全国的にも貴重なものであり群馬県最古級のものと考えられる。

 現在は、東日本大震災により破損したため公開はされていない。

桐生市指定重要文化財 旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟
            (絹撚記念館)

指定年月日  平成6年10月14日
所 在 地   桐生市巴町二丁目1832−13
所 有 者   桐生市
建築 面積  373.16平方メートル
構   造   木骨石造 鉄板葺(当初はスレート)
建築 年代  大正6年
設 計 者  小林 力雄
施   工   小川建築事務所(現 小川建設)
附 指 定   倉庫 昭和8年

 旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟に到着したが、この記念館は3.11による亀裂などが入ったため、下の写真にあるように現在修復工事中であった。

 工事期間中、展示物は市役所の5階に展示しているとのことだ。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-10-7

つづく