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初秋の上州を行く

H桐生織物記念館
青山貞一
掲載月日:2012年10月7日
 独立系メディア E−wave Tokyo

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 先に記したように、桐生は絹織物などで江戸時代から明治、大正、昭和と西の京都西陣、東の桐生と言われるほど、日本有数の伝統工芸のまちであった。

 その名残もあり、桐生市内には、たくさんの記念館、博物館、資料館などがある。
 
 私達が次に向かったのは、桐生織物記念館である。

 この博物館は、昭和9年に桐生織物同業組合事務所として建設された建物である。また、ジャカードの「手織機」をはじめ貴重な道具類を展示し、伝統の重みを感じさせる雰囲気のなか、和洋それぞれの織物製品を展示している。




桐生織物記念館 旧館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7

国登録有形文化財 桐生織物会館旧館(桐生織物記念館)

 ◎登録年月日  平成9年5月7日
 ◎所 在 地  桐生市永楽町1184-4
 ◎所 有 者  財団法人桐生織物会館
 ◎建築構造   木造二階建タイル張 瓦葺
 ◎建築面積   833u
 ◎建築年代   昭和9年(1934)

 いち早く昭和恐慌の混乱から立ち直った桐生は、昭和10年前後に織物産業の全盛期を迎えた。この躍進は、大陸に輸出販路を築くのが早かったこと、人絹や絹洋服地などの新製品を創り出したこと、それに加えて西陣も驚くような派手な宣伝などが原動力になった。


記念館の玄関
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


記念館1階
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7

 そして、この好況期の頂点の時に造られたのが「桐生織物会館」であった。

 建物は当時流行していたスクラッチタイル張りの外壁を取り入れ、屋根は青緑色の日本瓦葺としたモダンなものだった。また、好景気に沸く市民がこのスタイルを真似たこともあり、周囲には同じスクラッチタイル張りの事務所や住宅が見られる。

 建物自体は、明治の終わり頃から役所や事務所に盛んに使われた背の高い総二階で、上階に大会議室をもつ形式であり、主に織物関係の各組合の事務所が置かれ、まさに桐生織物業界の作戦本部となった。

 建築から70年近い年を経た現在でも、各種事務所や会議室、催事などに利用されている。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


1階の展示場
撮影:鷹取敦 2012-10-7


1階の展示場
撮影:鷹取敦 2012-10-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7

 記念館では伝統的工芸品「桐生織」の解説、パネルや、10数分で一通り桐生織物に関する技術などが分かるビデオが鑑賞できるテレビコーナーもある。

 この桐生織物記念館は、新館と旧館からなり、織物業界の各団体が入居している。展示会や講演会などに利用され、旧館1階の「織匠の間」では、織機の展示や桐生織製品の販売を行っている。

 旧館は昭和9年(1934年)に桐生織物協同組合の事務所として建設されたもので、外壁はスクラッチタイル貼り、屋根は青緑色の瓦葺きである。

 平成9年(1997年)に国の登録有形文化財となった。平成13年(2001年)に桐生織物記念館と改称し、平成19年(2007年)には近代化産業遺産に認定された。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


古い織物機
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


糸撚機
撮影:鷹取敦 2012-10-7


記念館2Fで説明を受ける青山、池田
撮影:鷹取敦 2012-10-7

◆ジャガード織

 この記念館の1階の玄関近くに、ジャガード機が置いてある。

 このジャガード機は、フランス人発明家のジャカール(Joseph Marie Jacquard;1752-1834)が考案した織機(ジャガード機)を使用して製作された織物のことである。

 ジャガード機発明以前は、複雑な模様を織る際には、大人数で役割分担し、織機の上から必要なたて糸を持ち上げる、という途方もない大変な苦労を要した。しかし、ジャガード機は、たて糸を自動的に上下に開口することができるため、それまでの手間が省かれ、あらゆる模様に対応することが可能になった。

 
博物館の1階玄関近くにあるジャガード機
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7

 ジャカールは、まだフランス革命の余韻が残るリヨンの工場で働くかたわら、織機の改善・改良に尽力し、1801年、パリの産業博覧会に織機を出品、高い評価を得た。それがジャガード機の始まりである。

 それまでの方法と比べると、格段に省力化が進むため、「失業するのではないか」という不安がジャガード機に非難を浴びせられた。しかし、その後、1812年の段階でフランス国内だけでも1万千台が使用されるに至ったという。

 ジャカールが考案した織機の原理は、紙に穴をあけ、たて糸に上下開口の命令を送る、というものであった。すなわち経糸の操作は、紙に穴が開いているか開いていないかによって行われていたのである。

 このジャガード機は、何とデジタル計算機、現在のコンピュータの原理となっているデジタルコンピューター発明の「もと」となっていたのである。

 それから約200年。当時ジャカールが考案した紙に穴をあけ、たて糸に上下開口の命令を送る作業をコンピューター制御することにより、さらなる省力化や技術の向上を遂げている。

 参考文献:『ブリタニカ国際大百科事典』3p.422[ジャガード][ジャカール]


記念館の織機展示場
撮影:鷹取敦 2012-10-7


記念館の織機展示場
撮影:鷹取敦 2012-10-7

 下の写真は記念館2階の展示場にある絹織物である。 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-10-7

つづく