|
私が4月13日、14日にでかけた山形県の上山市は、山形新幹線の「かみのやま温泉駅」かわ分かるように、温泉町でもある。 上山温泉は、山形県上山市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉で古くは同じ山形県の湯野浜温泉、福島県の東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられていた。 福島県の東山温泉には、放射線測定で2回、会津若松市、西会津町、南会津町、喜多方市などに現地調査した際に宿泊しているが、上山温泉が「奥羽三楽郷」のひとつであるとは知らなかった。 私をガス化溶融炉問題で呼んでくれた結城玲子さん(株式会社クラフト役員)は、武蔵野美術大学を卒業後、郷里で仕事をする傍ら、「山形歴史たてもの研究会」の会長をするほど歴史文化や景観、とりわけ里山文化、里山景観に造詣が深いかただ。 山形市、上山市など2市2町が上山市川口地区で計画しているガス化溶融炉のすごぐとなりに、明治11年に竣工した「めがね橋」があると述べたが、当時、このめがね橋をイギリスの女性旅行家で紀行作家のイザベラ・バードが歩いて渡ったらしい。 明治11年につくられためがね橋 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は、Wikipedia からのイザベラ・バードについての略歴の転載である。
このめがね橋は、山形県内で明治初期に建造された多くのアーチ型の石橋のひとつだが、上山市川口地区のめがね橋は、現存していることに加え、二重連のアーチ橋である点で山形県内では希有である。
以下は、おそらく私のガス化溶融炉問題の講演に参加された小林さんが書かれたブログである。そのまま転載させていただいた。
小林さんとは、講演が始まる前、少しだけ議論した。それは同じ英国でも北部のスコットランドと南部のイングランドでは、民族性、個性、独創性がまったく違うという話である。 小林さんも私のいわゆる<鵜呑度論>に共感されたが、イザベラ・バードは、イギリス・ヨークシャーで牧師の長女として生まれており、イングランドの出身である。 多くの山形の方々にとっては、スコットランドであれ、イングランドであるかはどうでもよいことだろうが、明治には、英国人ジョサイア・コンドルが日本に来て、工部大学校で建築を教えた。その一人に、後に東京駅を設計した辰野 金吾もいた。これについては、以下を参照して欲しい。 ◆青山貞一:東京駅の設計者、辰野金吾と故郷、唐津 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col31010..html 一方、イザベラ・バード女史が1878年(明治11年)6月から9月にかけ東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した際、山形を訪問したことは、どうでもよいことではない。それがこの地の里山と歴史的建造物を守る大きな心のよりどころとなっているのである。 おそらく上山町川口のめがね橋を歩きながら、この地の里山や自然の景観が大いに気に入ったに違いない。 山形県上山町川口地区に残る明治11年建造のめがね橋 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2013.4.14 近くにはこんな立派なカルバート?もあった 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2013.4.14 里山の背後にある水辺空間 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2013.4.14 以下は、イザベラ・バードに対する碑文。「上山の町は、楽しげな家々に庭園があり、 美しい風景のある温泉場で、旅館のもてなしに感動し、清潔で日本で最も空気がからりとしており、町が心地よく横たわっているところである」とある。 つづく |