「いつか来た道」への法改正、 目白押し 青山貞一 2006年4月21日 |
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昨年秋以来、ライブドア、耐震強度偽装、BSE、橋梁談合など安易な規制緩和や「官から民へ」、さらに米国追随の結果として日本のあちこちで次々と大井伊那事件が噴出した。 これらの事件や不祥事は、政権政党の屋台骨を揺るがすものであるはずであり、それらはあらゆる意味で政権政党が責任を負うべきものであった。 しかしそれら四点セットや六点セット(アスベスト問題、イラク派兵問題を加えたもの)といった重要事件は、民主党の永田議員(その後辞職)のいわゆる「偽メール」不祥事によって隠蔽されてしまった。 隠蔽の一因には、今や政府・与党の広報機関と化しているマスコミの本質ソッチノケの報道姿勢にも原因があると思える。と言うのも、ライブドアの堀江氏と武部幹事長、竹中大臣は衆議院議員選挙をめぐり蜜月の関係にあったことは紛れもない事実であるからだ。 非常に遺憾なことだが、この偽メール不祥事によって、一端、急落した小泉首相や与党の支持率が盛り返すことになってしまったのだ。 閑話休題...... ところで通常国会以降、ここ数ヶ月の大きな問題だが、いうまでもなく、あらゆる法律、それも日本の国の方向性を決める重要な法律が、自民・公明による「密室」のなかで次々に審議、立案されていることがある。 国会の表舞台にそれらの法案がでてきたときには、いくら野党や国民が反対しても、圧倒的多数の与党によって強引に採決され、制定される可能性が大である。 もともと、欧米諸国や韓国などに比べると、今の日本では政府・与党に何をされてもヒラメ(上ばかり向いていること)で羊(何でもついて行くこと)のように、おとなしくついて行く国民が、小泉政権のインチキ「改革」を依然として支持している。 その間、ろくな議論もなく、議員立法や拙速な委員会審議の末、簡単に採決されているのである。 昔なら、そのうちのひとつの法案だけでも、国を挙げて大きなデモが起こり、マスコミも連日政府・与党に対する痛烈な批判記事を書いたはずだ。 しかし、今はどうだろう。 政権、権力批判と言う重要かつ本筋をわすれた思考停止のマスコミによって、国民はいまだ長い眠りから覚めない冬眠状態だ。 そのマスコミの多くは、何ら戦前における権力へのスリよりの反省もないまま、今度は「いつか来た道」のもととなる法改正を側面、背後から支援しているではないか。 その結果、自民・公明連立政権による実質的な大政翼賛的な政治が白昼堂々とまかり通っている。 いまや「おそるべき思考停止、機能不全の民主主義国家」となった日本の行く末は、いうまでもなく、「昔来た道」への回帰である。 事実、ちゃくちゃくとその方向に日本丸は舵を切っている。 具体的に言おう。 ここ数ヶ月のトンデモ立法を列記すれば、次の通りだ。 @憲法改正のための国民投票法、 Aまったく歴史的反省もないまま愛国心を国民に押しつけようとする教育教育基本法改正、さらに B行動、刑法のあり方を根底から変えその気になれば反政府的言動を取り締まる共謀罪の新設などである。 上記の法律案(改正案)は、どれをとっても時計の針を逆回転させる時代錯誤的な法案ばかりである。 以下、ひとつづつ批判的に紹介しよう。 ■国民投票法案 国民投票法案だが、もともと憲法は96条で衆参両院の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数が賛成することを憲法改正の条件にしている。 だが、その国民投票の具体的規定、手続きについての法案が未整備だった。それ圧倒的多数であることを良いことに、今の国会で成立させよううともくろんでいる。 自民党、公明党にとって脅威となる小沢民主党が誕生し、今後、小泉インチキ改革の実態が次々国民の前に暴露されれゆく前に、さらに来年の参議院選挙で過半数割れされる前に、やれることは何でもアリで、やってしまおう、と言うのが今の自民の考えではないだろうか。 その筆頭は言うまでもなく、憲法改正による第九条の改正である。 世界に冠たる「平和憲法」のもととなっている憲法9条を改正しようというわけだ。ここ数年、周知のように、読売新聞、サンケイ新聞だけでなく、第9条の改正を容認する無節操なマスコミ論調が多くなっている。改憲やむなしの風潮をマスコミが煽ってきたと言ってもよい。 これはブッシュドクトリンによるイラク戦争に追随し、それを容認する社説を書いた朝日新聞にその端緒がある。おそらくこの時点で私は朝日新聞はその社会的な使命を終えたと思っている。 ところで自民など与党の国民投票案を見ると、国民投票までの周知期間はおおよそ2ヶ月以から6ヶ月以内となっており、その1週間前から意見広告が禁じられるこなっている。 これではさもなくともヒラメで羊化している国民に、憲法改正と言う問題の本質を理解してもらタメの意見広告などができるのか、大いに疑問がある。日本社会におけるこの種の「行政手続」や広く「手続民主主義」は徹底的に批判しなければならない。 ■教育基本法改正 次は、教育基本法の見直しだ。 「国家の品格」の著者の言葉を借りるまでもなく、改正案はきわめて品格も品位もない。日本語を大切にしていない。 ただただ、戦前のように国民に愛国心を強制的に押しつけようとしているところに最大の課題がある。 イナバウアーならぬタケバウアーこと、そっくり返っている武部大幹事長は、すでに70回もの勉強会を与党で開いてきた、などと強弁している。 だが、国民にしてみれば確信犯の自民党の党員だけでいくら70回であれ、100回改正法案を議論したところで、意味がない。民主主義の基本は、国民の前で透明性を持って多面的に議論することではないか。 その武部大幹事長はこの改正案を今国会で成立させたい、とことあるたびに話している。 この法改正が通過すればどうなるか、東京都教育委員会が石原都知事の命をを受け、この間行ってきたことを見れば、おおよそ察しがつく、と言うものだ。 東京都ではここ数年、都立高校などで、何と業務命令で日の丸、君が代を教師らに強要し、それに従わない者を強制的に研修所送りとしたり懲戒処分の対象としてきた。 国旗・国歌法で国旗の掲揚、国家の斉唱などが義務づけられていないにもかかわらず、業務命令などを悪用し、およそ民主主義国家とは思えないことを教育の現場でしている。日教組が問題だ、組合が問題などと言っているが、その問題とこれとは別だろう。 もし、改正法が通れば、このような状況が、日本の津津浦々に現出することになる。それは火を見るより明らかだ。まさにひとの心のなかに国家権力が国家主義の魔の手をのばすことになる。これではまるで、米国、ブッシュの「愛国法」の二の舞ではないか。 当然のこととして、自民が言うところの「愛国心教育」が開始されれば、憲法で最低限保障されてきた思想・信条の自由も実質的に制限されることになる。 たとえばこんなこともありうる。 政府や官僚らを公然と批判すれば、まさに教育特高がしゃしゃり出て、反政府者、戦前で言えば非国民としてレッテルをおされ公職追放される。こんなことが起こるのは、見え見えだ。 かくして、自民党がこの間執着してきた愛国心教育は忠君愛国を国民に強制するものとなる。結果として戦前の教育が復活することになりかねない。こんなことを日本の国民は本当に欲しているのだろうか? ■刑法改正と「共謀罪」 さらに、私たちにとって日常的におそろしい、たとえば電子メールを官憲が盗聴することを可能にする刑法改定事案、法案改正が採択されそうなのである。 今、国会で静かに進行している末恐ろしい法案として、国家権力の裁量、思惑で一般の国民でさえ犯罪者に仕立て上げられる可能性がある「共謀罪」があることをご存じであろうか? 今国会では刑法改定が審議されているが、そのなかにいわゆる「共謀罪」の新設がある。これに違反すれば死刑、無期もしくは長期4年以上の懲役もしくは禁固刑が定められている重要な改正だ。 問題はその中身だ。 刑法の原則はあくまでも行ったことに対し適用されることである。しかしこの共謀罪は、名のように犯罪の実行を共謀した、話しあっただけで処罰の対象となる法律案である。 日弁連所属の弁護士によれば、この「共謀罪」は、次のようになる。
この法律案のもとは、いわゆるテロ対策の一環であり、その原型は米国の愛国法などだ。 今回の法案は、簡単に言えば、国家権力の思惑で犯罪者に仕立て上げられる可能性、臭いがぷんぷんする。憲法改正、教育基本法改正とこの「共謀罪」が成立すれば、まちがいなく、言論弾圧や非国民レッテル張りなどがまかり通るだろう。これは決して私の過剰反応ではない。 事実、このところイラクへの自衛隊派遣に反対する市民団体らがビラを各戸の郵便受けに入れただけで逮捕される事件が首都圏で頻発している。これらはいわば別件逮捕の類だが、今回の法律が制定されれば、堂々と犯罪容疑で行為(結果)ではなく、一定の犯罪を犯すことを合意するだけで犯罪として処罰されることになるだろう。 テロ行為どころかその逆、すなわち反戦、非戦的な活動や政府・与党を批判する行為をがこの種の法を根拠に犯罪となり、取り締まりの対象となる可能性も否定できない。 来年には参議院選挙があり、場合によっては自民、公明だけでは過半数割れとなる可能性もある。自民党はそれより前に、上記の法律改正や法律案を制定させようと躍起であろう。 一方、自民党は以下の毎日新聞の記事にあるように、自ら追い出した自民党議員を数あわせのために呼び戻そうとしている。 一体、このひとたちはどこまで傲慢なのか! いずれにしても、このまま、国民がノー天気に「小泉改革」は良いことだと支持を続ければ、格差社会の増大にとどまらず、まさに国家主義が高まり、「いつか来た道」に舞い戻ることになるだろう。
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