今日のコラム論説 北朝鮮の「核保有」で 憂慮される課題(1) 青山貞一 2006年11月4日 |
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青山貞一ブログバージョンはこちら 北朝鮮(以下、DPRK)の核実験は、世界の核拡散防止体制に大きな打撃を与えた。 だが、DPRKの「核」問題に制裁を繰り返す政策が果たしてこの本質的な解決となるかは、はなはだ疑問である。 とりわけ、DPRKを「悪の枢軸」と呼んだブッシュ政権がDPRKの脅威をことさら強調し、結果的に日本や大韓民国(以下、韓国)に再軍備を煽るとすれば、それはけっして問題の本質的な解決にならない。そればかりか、後述するように日本が核保有の道を選ぶ可能性もゼロとは言えず、さらなる核拡散への道筋をつくることになりかねない。 周知のように、DPRKは核開発の停止を定めた米国との枠組み合意を破棄した。 これについて今朝(2006年11月4日)のテレビ朝日の「ニッポンの核武装」と題する「朝まで生テレビ」に論客として参加した元IAEA広報部長の吉田康彦氏は、次のように語っている。 吉田康彦氏プロフィール すなわち、DPRKの核開発に関する停止を定めた米国との枠組み合意(1994年)の破棄より前に、クリントン政権下の米国は、DPRKへの年間50万トンに及ぶ重油(発電用燃料)の提供、そして日韓両国とともにKEDO(軽水炉)を建設するという約束を反故(ほご)にした、と。 KEDOとは クリントンはDPRKとの間で核兵器開発の放棄と引き換えにKEDOを発足させたが、監視体制などを厳密に構築せず、結果的に北朝鮮の核武装の防止に失敗したとされている。 結果的にクリントン政権が約束を守らなかった別の大きな理由として、吉田康彦氏はクリントン政権は、上記の約束をDPRKとしたのち、2年も経てばDPRKの金正日体制は自壊し、政権転換するであろうと踏んでいた(推察していた)、ことをあげている。これは他のパネリストも述べていたことだ。 このKEDOプロジェクトでは、米国は何と日本にその財政負担を求めていた。ひょっとしたら日本からDPRKに言ったKEDO関連資金が、今年のDPRKの核実験のために使われた可能性すらある。とんでもない話だ。 その点では、DPRKが核実験、核保有したきっかけと責任の多くはブッシュ政権のみならずクリントン政権にもあるとも言えないことはない。いずれにしても、KEDOプロジェクトの停止後も日本から計約52億円がわたっており、日本は米国にもDPRKにもコケにされているわけだ。 もっぱらDPRKの核開発疑惑により国際社会から孤立し始めた1994年、ジミー・カーターは米国大統領経験者として初めてDPRKを訪問、当時の金日成国家主席と会談した。
となれば、今回DPRKが行った核実験は、「米朝2国間協議を実現させ、将来的にはアメリカとの国交正常化をするための手段に過ぎない」(ビデオニュース社での吉田氏の談話)ことになる。
私の第一の憂慮は、その意味からすれば、米国がクリントン政権下でDPRKと約束したことを履行するとともに、いたずらにDPRKを追いつめ窮鼠猫を噛む状態を辞めさせ、DPRKとの休戦状態を終わらせ、国交正常化を行うことである。 そもそも、ブッシュ政権は、何ら正当性も証拠もなくつっこんだイラクが、その後深刻な泥沼状態となり、財政的にも瀕死の状態にある。 加えて、この11月に行われる上下院議員の中間選挙で下院はもとより、上院(1/3が改選でも野党民主党に第一党の席を譲り渡さざるを得ない状況がある。国際問題評論家の田中宇氏は、以下の「不正が予測される米中間選挙」のなかで共和党系はインチキをしてでも負けるわけには行かない、と述べているが、40%を前後するブッシュ政権の支持率の低下を見からも、共和党の下野はありえないことではない。
となると、本来、DPRK問題に正面から取り組むべきブッシュ政権が、6各国協議はまだしも、2国間協議で責任を持ってDPRKと国交の正常化を行うとは到底思えない。かといって、DPRKが核実験を行い、核保有を宣言している以上、イラクのときのような物理的な政権交代(レジーム・チェンジ)を行う余裕はない。 もちろん、中期的には上述のように共和党が連邦議会における与党の座から転げ落ち、2年後の大統領選挙で民主党政権ができることになれば、その民主党政権がクリントン政権時代の政策失敗の後始末の一環として、DPRKとの約束を果たし核問題の解決に向かうと言うシナリオもないことはない。 だが、果たしてこれから2年と言う時間のなかで、核保有国となったDPRKの金正日体制が座して死を待つなどとは考えられない。いずれにしても、DPRKの核保有問題の多くの原因はこれらは米国の失政、失敗,にある。それをどうするかが大きな課題となる。 私の第二の憂慮は、先に述べたように、DPRKを「悪の枢軸」と呼んだブッシュ政権がDPRKの脅威をことさら強調することで、結果的に日本の再軍備を煽ることである。 元IAEA広報部長の吉田氏は、日本のテレビ各局が「視聴率目的で情緒的な北朝鮮脅威論を煽るメディア報道」は苦言を呈しているが、まさにその通りである。 DPRKによる日本人の拉致問題があることを十分承知、理解するとしても、連日連夜、 「視聴率目的で情緒的な北朝鮮脅威論を煽るメディア報道」を垂れ流す姿勢には大いに疑義を感ぜざるをえない。これはとくにテレビ朝日において顕著である。 今朝の「朝まで生テレビ」における討論も、最終的には「日本の保持、核武装」に議論が及んでいる。議論すること自体を否定する気はない。 しかし、まさにDPRKの脅威をことさら煽ることが、今や額で世界第三位あるいは第四位にある日本の軍備に加え、日本をして核保有に向かわせることになったら、米国としても元も子もないはずである。 安倍晋三首相は、官房副長官時代の2002年5月13日、早稲田大学における講演で「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核兵器であると、通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法の禁ずるところではない」「核兵器は用いることができる、できないという解釈は憲法の解釈としては適当ではない」と述べている。 より正確には、次のようになる。 、安倍晋三官房副長官は2002年5月13日、早稲田大学での講演で、「戦術核を使うと言うことは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」さらに国会質疑では、「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核兵器であると、通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法の禁ずるところではない」という核兵器保有についての政府の統一見解(七八年三月)を示した上で、「核兵器は用いることができる、できないという解釈は憲法の解釈としては適当ではない」と述べている。 上は当初、「サンデー毎日」(2002年6月2日号)が報じ国会でも問題となった。 安倍晋三官房副長官は、一方で「憲法論と政策論とは別だ」と主張、憲法上、核兵器使用は認められるが、「非核三原則」という政策があるのでできないとの考えを示す。現憲法下でも、政府の政策判断次第で、被爆国日本が核兵器の保有と使用に踏み込めると主張したものと解される。さらに、核兵器使用と憲法9条との関係については、1998年6月に大森政輔内閣法制局長官(当時)が「核兵器の使用も、我が国を防衛するための必要最小限にとどまるならば、可能ということに論理的になろうかと考える」と答弁している。 最近では自民党の中川大臣が日本の核保有に言及したこともある。
このように、DPRK問題が日本の核保有、核武装になどあらぬ方向に利用される懸念と憂慮がある。 先の吉田氏によれば、核査察の国際的組織であるIAEAは、「戦後日本とドイツの核武装を防ぐことを最大の目的に結成された組織であることを、日本人の多くが正確に認識できていないのではないか」と疑問を呈している。 さらに、「日本の核保有が技術的には可能だとしても、万が一日本がそのような方向に一歩でも踏み出せば、国際政治上大変な代償を伴う」と警告する。 「日本が核兵器を保有するためにはNPT(核拡散防止条約)を脱退する必要があるが、その際に起きるだろう国連安保理による制裁や各国からのエネルギー供給の停止に、資源の無い日本が耐えられるはずがない」という。 NPTとは これはまさに至言である。 そして、「果たして核武装論者はこうしたリスクを理解した上で核保有を主張しているのか」とも語っている。 DPRKの一連のことが如実に示すように、数100万人の飢餓に苦しむ世界の最貧国であっても、その気があれば核兵器を保有し、核実験をすることができる。 現在、原発を有している国を中心に40カ国以上が核開発の能力を有していると推察される。今回のDPRK議論が、米国の行い次第で、国家主義化を加速化する日本をして核武装に走らせることがあってはならない。 いずれにしても、日米ともに、ここは情緒、感情的対応やゆるされず、国民や一部の「政」「官」「業」「学」「報」による軍事利権誘導や情報操作に断じてのってはならない。 |