長江(ちょうこう) チベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ中華人民共和国で最長の川で、世界でも第3位。全長6,300km。
その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。
上流部は金沙江(きんさこう)またはディチュ河、下流部は揚子江(ようすこう、Yangzとも呼ばれる(後者は外国人に長江全体の名前として誤用された)。
河とか江といった漢字は本来固有名詞であるため、中国で「河」とだけいった場合は黄河を指すが、「江」とだけいうと長江のことを意味する。長江南岸の湿潤な稲作地帯は「江南」と呼ばれ、中国大陸南部の東海岸地域は「江東」となる。 出典:Wikipedia
この地域は、いわゆる三国志の中心地としても有名とのこと。
三国志(さんごくし) 中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 出典:Wikipedia
■3日目武漢から宜昌への移動:2008年11月22日
2008年11月22日土曜日、武漢大学で行っていた国際ワークショップ終了後、午後から三峡ダムび現地を視察するため、マイクロバスで武漢市から宜昌市まで400kmを移動した。 方向としては武漢からほぼ真西となる。
ひとくちで400kmと言っても飛行機や新幹線で移動するわけでない、マイクロバスによる移動なので、最低でも4時間はかかる。体調が良くないなかでの長距離のバス移動、不安がよぎる。
途中、武漢にある東湖に立ち寄る。下のグーグルマップを見ても分かるように湖北省でも武漢地域一帯には沢山の湖や河川、その支流が入り乱れ
ている。
地図の北にある大きな河川がかの揚子江、この地で長江、英語名でYanzte Riverと呼ばれる大河川だ。幅員は広いところで4km、狭いところでも1kmはある。
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下の写真は武漢市内にある東湖でのスナップ。あいにく天気が悪く。小雨が降ってきた。
武漢の東湖にて。
左から中国からの留学生、筆者、ミャンマーからの留学生
武漢の東湖にて。中国からの留学生と
東湖で一休みした後、バスは一路武漢を後に長江に向かう。武漢市は湖北省の中心地、人口が500万人もいる大きな町だ。大きな道路の沿道には、20−30階建ての高層マンションが林立している。武漢の場合、地下鉄は建設中なので、多くの住民はバスを利用して通勤する。
武漢の高層マンション群。中国の大都市では圧倒的多くの住民は、集合住宅に住まう。下は比較的最新できた高層マンション。中国では、土地は私的所有が認められておらず、使用権だけが認められているという。
これは北京、上海でも同じ。大都市の住民は、土地の使用権と建築物を購入する。北京、上海以外の大都市の場合、2−3LDKでおおよそ1500〜2500万円で購入できるという。国や自治体による低利の住宅融資もあるとのこと。
やっとのことで長江を渡る橋まで来た。
下は長江大橋。橋は上が自動車用、下が鉄道用と2重構造となっている。日本でも本四連絡架橋に類似の構造を持ったものがあるが、距離では長江大橋の延長が世界一とのこと。
長江(ちょうこう)
チベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ中華人民共和国で最長の川で、世界でも第3位。全長6,300km。
その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。
上流部は金沙江(きんさこう)またはディチュ河、下流部は揚子江(ようすこう、Yangzとも呼ばれる(後者は外国人に長江全体の名前として誤用された)。
河とか江といった漢字は本来固有名詞であるため、中国で「河」とだけいった場合は黄河を指すが、「江」とだけいうと長江のことを意味する。長江南岸の湿潤な稲作地帯は「江南」と呼ばれ、中国大陸南部の東海岸地域は「江東」となる。
出典:Wikipedia
この地域は、いわゆる三国志の中心地としても有名とのこと。
三国志(さんごくし)
中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。
出典:Wikipedia
一般道路沿道にある中国石化のガソリンスタンド。
そのうちのひとつでトイレのための休憩を取る。
たまたまガソリンスタンドでガソリン価格の写真を撮影できた。
一番下に1リットル当たりのガソリン価格(中国元)が表示されている。5.8元、日本円に換算すると81円である。日本よりは遙かに安いが、中国の生活物価からみると、これは決して安くないだろう。
ここで一般道路から高速道路に入る。下の写真は武漢西の料金所である。
下の写真は高速道路の立体交差である。
中国の高速道路建設は、ほぼ日本の高速道路に類似している。盛土、切土、高架、橋梁、トンネルなどだ。下は切土構造の場合の高速道路だ。
そうこうしているうちに4時間かけ、やっとのことで三峡ダムに近い宜昌市にマイクロバスが午後7時30分近くに到着した。すでに外は真っ暗だ。
この日は、ホテルにチェックインする前に宜昌市内の中華レストランで食事だ。宜昌市は武漢より四川に近い分、料理は辛いと聞いていたが、確かに辛い。最初に出た中華麺がやたら辛い。そこでS先生が店員を呼び出し、事情を説明し、料理を作り直させる一幕もあった。
宜昌市の中華レストランで食事
食事後、宜昌市内の四つ星ホテルに泊まるが、このホテルは暖房がうまく効かず再度、風邪を引いてしまう。他の者も暖房が効かないと言っていたので、どうしようもない。結局、この風邪で喘息が悪化し、肝心な三峡ダム現場視察にまで影響が出てしまった。
つづく