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青龍寺 遺跡博物館 百度百科2

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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(百度百科1) 青龍寺博物館(百度百科2)
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は中国西安市(長安市)の青龍寺遺跡博物館の百度百科2です。

◆青龍寺遺跡博物館 百度百科2

 

開発の歴史

 西安市青龍寺遺跡の位置は、住所が陝西省西安市西影铁炉亩村。郵便番号は710054。設立は、1982年11月12日。西安市文化庭園局の所属となっています。

 青龍寺が初めに建設されたのは随王朝の文帝皇帝開皇二年(582年)のことで、当初は霊感寺と呼ばれていました。唐王朝の武徳四年(621年)、一度寺は廃毀されますが、唐王朝の龍朔二年(711年)、青龍寺と改名されました。唐王朝の会昌五年(845年)、唐の武宗皇帝が廃仏毀釈を行い、再び放棄され、皇帝一家の内苑となりました。翌年五月、寺院は復元され、名称を護国寺と改めました。その後は北宋元鎮元年(1096年)に至るまで、寺院は再び荒廃しました。

 古原楼広場、唐時代の様式をもつ本堂、東西の建物、古原楼広場から構成され、総建築面積は3,164㎡、陳列展示場は848㎡で3階建てとなっています。展示内容は主に、唐時代の青龍寺の外部文化交流に焦点を当てており、特に、青龍寺遺跡から出土した文物及び古今の中日文化交流の展示に力を入れています。

 青龍寺には青龍ではなく、古い遺跡井上には赤と白の桜がたくさん植えられています。

 ここは歴史的な寺院であり、寺の遺跡は乐游原上の高台に位置しているので、高く盛り上がり傾斜があります。青龍寺は、其の当たりで唯一美しい風景を見ることのできる場所です。先年を超える古い歴史の香りがするだけでなく、偉大な建築家である張錦秋が唐王朝時代を模して設計した建物は素晴らしく、また、敷地内には数千本の著名な桜の木が満開となります。

 2012年5月18日、西安にある青龍寺遺跡博物館がここにオープンしました。青龍寺はかつて、日本の真言宗の祖師である空海、訶陵国(中部ジャワの国)の僧、辨弘、新羅の僧、恵日等、恵果大師に入門し、密宗仏法を学んだ地でもあります。 博物館には、清龍寺遺跡から発掘された文化遺物と建築遺物の実物を並べ、中国と日本、中国と諸外国との文化交流をについて展示しています。

青隆寺の紹介


西安青龍寺院遺跡博物館
出典:百度百科

 西安の東南、乐游原上に位置する青龍寺は、隋時代に建設が始まり、唐時代に最盛期を迎えました。

 歴史的に、多くの外国人僧侶が仏法を学ぶためにやってきており、中でも日本からの六人(「入唐八家」のうちの六人)が青龍寺で学びました。その中で空海は、滞在期間中、中国の文化、芸術、科学技術等の知識を学び、帰国後は真言宗を創設し、日本の真言密教の祖となりました。

  注)空海
    空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。
    弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の
    まお)。日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏
    教へと、転換していく流れの劈頭 (へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家と
    しても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。出典:Wikipedia

  注)高野山
    高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた
    標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年に嵯峨天皇から空海が下賜され、修禅の道
    場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を
    中心とする宗教都市を形成している。 出典:Wikipedia



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