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  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

新疆ウイグル自治区博物館 展示1

(中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は、新疆ウイグル自治区博物館の展示1です。

◆新疆ウイグル自治区博物館:展示1

  

◆4000年前の東西交流=新疆のミイラは東洋、西洋双方のDNAを持っていた―中国


 出典:RecordChna

 2010年4月16日、吉林大学の研究グループは、新疆ウイグル自治区から発見されたミイラのDNA鑑定結果を発表した。4000年前のDNAに西洋、東洋双方の遺伝子が含まれていたことが明らかになったという。

 調査結果は、吉林大学辺境考古研究センター古DNA実験室責任者、生命科学学院教授の周慧(ジョウ・フイ)氏率いる研究チームが、英学術誌・BMCバイオロジーに発表したもの。

 問題のミイラは新疆小河5号墳墓から発見されたもの。同遺跡からは大量のミイラ、動物の死骸、植物、副葬品などが発見された。3500?4000年前と推定される中国最古の遺跡だ。

 2005年から始まったDNA鑑定により20のサンプルが採取された。ミイラの多くはアジア人と欧米人の遺伝子を持っていることが判明した。周教授は「4000年以上前の先史時代から東洋と西洋の交流、通婚、共同生活があったことを示す証拠だ」と話している。

 出典:RecordChna (翻訳・編集/KT)


・楼蘭(ローラン)の美女

 この博物館を世界的に有名にしているのは、何と言っても「楼蘭の美女」といわれる楼蘭で発見されたミイラでしょう。以下は、博物館の2階のミイラ展示コーナーの筆頭にある楼蘭(ローラン)の美女のミイラです。


楼蘭の美女のミイラ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 楼蘭の美女は、新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ市にある新疆ウイグル自治区博物館に展示されている女性のミイラです。

 このミイラは1980年、タクラマカン砂漠の東にある楼蘭鉄板河遺跡で発掘されたものです。炭素14測定の結果、
紀元前19世紀(約3,800年前)に埋葬されたもので、死亡時の年齢は約40歳、身長155センチメートルと推測されています。また、1980年4月から放映されていたNHK特集 シルクロード第5回「楼蘭王国を掘る」(1980年8月4日放送)でも紹介されました。

 2004年5月29日には中国遼寧省瀋陽市の中国刑事警察学院刑事人相学の専門家、趙成文によって3年がかりで楼蘭の美女の生前の姿を再現する頭像が製作されました。趙成文は「今回復元した容貌は生前のものに90パーセント以上似ているだろう」と語りました。



楼蘭の美女のミイラ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



楼蘭の美女のミイラ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



楼蘭の美女のミイラ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



新疆ウイグル自治区博物館2階にあるローラン美女のミイラ
Source :Wimedia Commons

 以下は、楼蘭の美女の骨格などを解析して推定した女性のモンタージュ写真です。


楼蘭の美女の推定顔
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


楼蘭の美女の推定顔
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


日本での楼蘭の美女ミイラの解析
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


◆中国最古のミイラ 東西の混血と判明


中国の新疆で発見された4千年前の金の覆面、ベルリンのシルクロード展で
(AXEL SCHMIDT/AFP/Getty Images)

【大紀元日本4月20日】このほど、吉林省大学の科学者が、現存する中国最古のミイラのDNA研究を通して、東洋人と西洋人は、4千年前かあるいはもっと早くから血縁融合していたことを発見した。新疆ウイグル自治区小河墓地のミイラは混血であると判明。

 この結論は吉林大学遍彊考古研究センター古DNA実験室責任者、生命科学学院の周慧教授と研究チームによるものである。

 英生物学専門誌『BMCバイオロジー』に掲載された、吉林大学、新疆考古学研究所、復旦大学、米ペンシルバニア州州立大学科学者らが共同発表した研究結果によると、新疆小河墓地のミイラは混血であり、欧州とシベリアの遺伝標記を持っている。

 スウェーデンの考古学者が1934年に、新疆のタリム盆地付近の枯れた川底で墓地を発見した。その後、墓地は66年間消失し、2000年、中国の探検隊により再び発見された。

 考古学認定により、この墓地は上下合わせて5層の167の墓群からなっていることが明らかとなり、中からは大量のミイラ、動物の死骸、植物の遺物や副葬品が発見された。この墓の主はおよそ3千5百年から4千年前に死亡しており、現在発見されている墓としては最も古く、もっとも保存状態が良い。

 吉林大学の科学者は05年からこの墓地のミイラの遺伝子分析を開始し、4年以上の研究を経て20のDNAサンプルを摂り出すことに成功した。研究員らはミイラ達の大部分がアジア人群と西欧人群のDNAの特徴を備えていることを発見しており、アジア人群は主に中国北方やバイカル湖地区からのもの、西欧人群は欧州からのものであるという。

 周教授は、「新疆の古人類群は東洋・西洋人群の混合体である。このことは4千年前の文字による記載がない頃、東洋・西洋人の間ではすでに行き来や雑居が始まっており、血縁も結ばれていた事を物語っている」と、この地区のミイラのDNAには、すでに西洋遺伝子の特徴と東洋遺伝子の特徴が存在していることを解説する。

 新疆地区は世界人群移動の歴史上で、最後の到達地点の一つに挙げられる。周教授は小河の早期人群は、南シベリア青銅期の人群と密接な関係があると推測している。混合の最初の発生地はおそらく南西シベリアのある地区であり、「西へ移動するアジア人と東へ移動する欧州人が出合い、彼らの間で婚姻の習慣が発生した。」

 過去、多くの人が新疆早期の住民は主に欧州人であるという認識を持っていた。また、今から2千年前、前漢の張騫が使節として西域に赴き東方と西方の文化交流が始まったという説も、世界的に認められている。

出典:大起源 (翻訳編集・坂本)(10/04/20 05:00)


展示2へつづく