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本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています
次は新疆ウイグル自治区の南疆線です。
◆南疆線(新疆ウイグル自治区南部)
下は新疆ウイグル自治区とアルタイ山脈、南疆線、天山山脈、崑崙山脈の関係図です。南疆線の起点、カシュガルもあります。
南疆線(なんきょうせん)と天山山脈 (新疆ウイグル自治区) 下図より作成
南疆線(なんきょうせん,簡体字:南疆?路)は、中国の新疆ウイグル自治区南部を走る鉄道路線です。
南疆線 Source:Wikimedia Commons
xue siyang (df45086), CC 表示-継承 3.0, リンクによる
新疆ウイグル自治区は、地形的に見るとアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈の間にあるタクラマカン砂漠、ゴイ砂漠、それにジュンガル盆地から形成されています。
新疆ウイグル自治区の3次元地形図 出典:グーグルマップ地形図より作成
◆南疆線(なんきょうせん) (新疆ウイグル自治区)
南疆線(なんきょうせん)は中国の新疆ウイグル自治区南部を走る鉄道路線です。
新疆ウイグル自治区の主要鉄道路線で、蘭新線のトルファンから1971年に工事が始まり、1984年にコルラ(庫爾勒)まで、1999年12月にカシュガルまで開業しました。天山山脈の南麓、タクラマカン砂漠の北縁を通っており、ほぼ往年のシルクロード(天山南路)に沿って敷設されています。
運行形態
カシュガルまでの全線を直通する列車は、2012年現在、蘭新線のウルムチ南との間に快速列車、普快列車、普通列車各1往復が運行されており、普快列車のみ喀和線のホータンまで直通しています。
北京までの直通列車は現在のところ運行されていない。コルラ発西安行きが、最も東の都市に達する列車です。
出典:Wikipedia
南疆線の全路線図
南疆線の全路線図 拡大図
◆カシュガル市(カシュガルし、喀什市)
中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区に位置する県級市である。同地区の首府が設置される。人口の80%は土着のウイグル族など少数民族が占める。
カシュガル大都市圏人口は120万人に達する。古くからシルクロードの要衝として、またイスラームの拠点都市としても発展し、国家歴史文化名城に指定されている。古代には疏勒国の国都であった。
古代には疏勒国の国都であった。タリム盆地周辺には古くからトカラ語系の人々が住んでいた。彼らはコーカソイドではない。
疏勒国もそのひとつである。匈奴が強盛の時代にはその間接支配を受けたが、中国が統一され、漢が西方に進出して西域都護府を設置すると、その勢力下に入った。
その後も中国の勢力が後退すると、柔然や突厥など北方民族の間接支配下に落ちたり、唐が安西都護府を設置すると、安西四鎮のひとつである疏勒都督府が置かれたりした。疏勒はタリム盆地南部を通るシルクロード南路の要所であり、この地を訪れた唐の玄奘は疏勒を仏教が盛んな国であると記述している。
◆ヤルカンド・ハン国(英語:Khanate of Yarkand, 中国語:葉尓羌汗国)
16世紀から17世紀にかけて天山山脈南部のタリム盆地一帯を支配したウイグル国家です。今日の新疆ウイグル自治区一帯にあたります。都城はヤルカンド(中国名:莎車、現名:葉城)にあり、カシュガルやトルファンまで領域としていました。
モグーリスタン・ハン国(東チャガタイ・ハン国)の王族であるトルファンの支配者アフマド・アラクの子スルタン・サイードが1514年にカシュガルでハン位に就き(このためカシュガル・ハン国と呼ばれることもある)、ヤルカンドに定都しました。
その勢力は次第に拡大し、タリム盆地一帯の主要なオアシス都市だけでなく、最盛期には天山以北のバルハシ湖南岸やパミール高原以西のフェルガナ盆地にまで及んで行きました。
しかし、統治集団内部の権力闘争やイスラム教の黒山派と白山派の教派対立によって衰え、1680年にジュンガルに滅ぼされた。その後もヤルカンド・ハンを名乗る者はいたが、名目に過ぎなかったと言われています。
◆ジュンガル(英語: Dzungar、ロシア語: Джунга?ры)
17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国およびその中心となったオイラトの一部族を意味します。
オイラト部族連合に属し、一時期はオイラトの盟主となって一大遊牧帝国を築き上げました。ジュンガル帝国の滅亡後、このような遊牧帝国が2度と生まれなかったため、最後の遊牧帝国とも呼ばれています。
ジュンガル盆地は中華人民共和国新疆ウイグル自治区の北西部にある盆地を中心とした土地です。面積はおおよそ77万7000平方キロメートルあります。
ジュンガリア(ジュンガルの土地の意)という名前は17世紀から18世紀にかけて中央アジアに存在したモンゴル系のジュンガル帝国にちなんで名付けられています。
17世紀後半、ガルダン・ハーンの指導のもとにジュンガリアはその絶頂期に達し、1757年から1759年にかけて清朝に完全に破壊されるまでに西へのモンゴル系遊牧民の移住などに大きな役割を果たしていました。
ジュンガリアは大きく広がるステップ地帯及び半砂漠化(グルバンテュンギュト(古爾班通古特)砂漠)した盆地で、南に天山山脈、北にアルタイ山脈とまわりを山々に囲まれている。内陸にある為、かなり寒暖が激しく冬は雪が積もります。
ウルムチ市、グルジャ市、カラマイ市がジュンガリアにある主な都市である。そのほかに小さいオアシス都市が山麓部に点在しています。
小麦、大麦、燕麦、砂糖大根などが栽培されており、牛、羊、馬などが飼育されている。畑は雪解け水によって灌漑されています。ジュンガリアには石炭、鉄鉱石、金などの天然資源があり、また大規模な油田も発見されています。
出典:Wikipedia
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