シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ヴェネツィア( Venezia、イタリア) レデントーレ教会1(Il Redentore) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年4月20日 独立系メディア E-wave Tokyo |
<ヴェネツィア総合メニュー> <教会8> サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂1 サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂2 レデントーレ教会1 レデントーレ教会2 サン・クレメンテ島 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 ◆レデントーレ教会1(Il Redentore) 下はグーグルマップで見たレデントーレ教会の位置です。 出典:グーグルマップ 下はグーグルマップで見たレデントーレ教会の外観です。 Church of the Most Holy Redeemer, Venice, Italia Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる レデントーレ教会(Il Redentore)はヴェネツィア内のジュデッカ島にあるカトリックの教会です。 概要 レデントーレ教会は、ヴェネツィア共和国にも猛威を振るったペストの脅威(共和国の人口の25-30%に当たる約46,000人がペストにより死亡した)が、1576年に収束したことへの記念及び神への感謝を込め1577年より建設が始まり1599年に完成しました。 共和国の大評議会から任命されたアンドレーア・パッラーディオは、当初大評議会から正方形を基本とした教会の設計を依頼されていましたが、最終的に身廊の両サイドに礼拝堂を擁する形(十字架の形)で設計しました。 ジュデッカ運河に面した目立つ場所に建設された事から、パッラーディオの設計により教会正面はパンテオンを彷彿とさせるデザインや巨大な脚座を使用しています。また、かつて教会入口には15段の階段がありました。これはエルサレム神殿の階段を参考にし、またパッラーディオ自身の「昇る事は献身をもたらし、昇天は段階的なものである」という理念によるものです。 1577年5月3日にヴェネツィア共和国のカトリック大司教ジョヴァンニ・トレヴィサーノにより礎石が置かれ、1592年に完成・献上されました。また当時のローマ教皇グレゴリウス13世の急な要請により、教会はカプチン・フランシスコ修道会の傘下となり、托鉢僧の僧院としても使用されました。 かつて共和国の元首及び大評議会の議員は、毎年特別に作られた浮き橋を渡ってレデントーレ教会のミサに参加していました。その名残として現在でも毎年7月の第3日曜日にヴェネツィアの主要な祭の1つである「レデントーレ祭り」(en:Festa del Redentore)が行われており、前夜祭には大規模な花火が上がり、浮き橋にはレデントーレ教会に向かう行列が出来きます。 外観 Il Redentore and Canale della Giudecca. Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link レデントーレ教会は、パッラーディオが設計した建造物の中で最高傑作と言われています。巨大な白いドームを擁し、教会正面は凱旋門を彷彿とさせるデザインとなっており、低く大きなペディメントを乗せた形となっています。 パッラーディオは幾何学を応用したデザインを得意としており、レデントーレ教会の正面も、全体の高さが全体の幅に対して5分の4、中心部は幅が高さの6分の5という構成比となっています。 内部 レデントーレ教会の内部・内装 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link 巡礼者が多く訪れる教会としての役割のため長い身廊となっていますが、正方形の身廊という古典的な設計を要望されていたパッラーディオにとって苦心した部分です。最終的にドームへと続く長い身廊の両側に礼拝堂を作る事によって十字架の形状とした。またコリント式柱を内部に連続して配置されています。 またティントレット、パオロ・ヴェロネーゼなどによる宗教画で装飾されています。 レデントーレ教会2につづく |