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その第二は戸ノ口堰洞穴である。 この戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖から会津地方へ水を引くため掘られた堰であり、元和年間から元禄年間まで工事が行われ、天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進んだ。 トンネルの長さは約150m、工事にかり出された人夫は5万5千人に達したという。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり会津藩にとり絶大な恩恵となった。 一方、戊辰戦争の際は白虎隊士中二番隊二十名が鶴ケ城に戻る際に通った洞穴としても有名だ。上述のように、この後、飯盛山から城下町が炎上しているの見て自刃している。 戸ノ口堰洞穴 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2 戸ノ口堰洞穴 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 2012.5.2 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2
以下の地図は、新政府軍と会津軍の激戦地となった戸ノ口原の位置を示している。戸ノ口原は、猪苗代湖の北西岸にあり、飯盛山までは直線距離で5kmほどある。 激戦地となった戸ノ口原の位置 出典:グーグルマップ 戸ノ口用水堰普迫水利組合 創立六周辺祈念碑 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2 つづく |