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来月、スコットランドに現地調査にでかけます。あえて言えば、その目的はスコットランドの歴史と文化に関わるものであり、環境政策やエネルギー政策などに直接かかわるものではありません。 スコットランド国旗 スコットランドの地理的位置(赤色部分) スコットランド現地調査全行程案 青山貞一作成 もちろん、スコットランドは、先進国で唯一、ゴミを燃やさない、埋め立てない政策を実現したカナダ東岸の州、ノバスコシア州のふるさとでもあります。 ノバスコシア州旗 ブリテン島の北約1/3を占めるスコットランドは、英国にありながら、英国ではない。英国という連合国家にいながら、たえず英国から独立し、スコットランド国家として強靱な自立と自律をもとめている「国家」でもあります。 そのスコットランドは、全能なる「否」が支配する国と言われています。独立心、自立心をもった国民性が歴史的に醸成されています。それに対し日本はどうでしょうか? おそらく、無能なる「翼賛」が支配する国が日本です。しかも、既得権益と利権が未だ国土全体を支配しています。これらを一掃することなしに、あらたな政策、国づくりははじまりません。 そう、無能な「既得権益」が支配する国、それがニッポンなのです! ほんとうに日本の政治はすべからく×です。今の民主党は、詐欺政治集団と言っても過言ではないでしょう! ◆独立をもとめ闘いつづけ断頭台に消えたメアリー・スチュアート スコットランドは、16世紀、独立を求め、ブリテン島(今のスコットランド、ウェールズ、イングランド)全体の統治を求め、徹頭徹尾イングランドと闘ったにもかかわらず、その後、イングランドに統合されてしました。 統合された後も、独立、自律を求めたスコットランド人は、ことごとくイングランドに虐殺され、蹂躙されます。 たとえば、スコットランド北部、インヴァネスの南西にあるグレンコー(Glencoe)は、イングランドによるスコットランド民衆を虐殺した土地として有名なです。 イングランドによるスコットランド民衆虐殺があったスコットランドのグレンコー Source: English Wikipedia スコットランドの首都、エジンバラ近くのリンリスゴー城でスコットランド王とフランスから嫁いだマリ・ド・ギーズの間に生まれたメアリー・スチュアートは、幼少のころから宿敵、イングランドと闘いながら、40歳後半、イングランドのエリザベス王女によって断頭台にかけられ、露と消えたことで有名です。なお、現在の英国女王はエリザベス2世です。 エジンバラ近くにあるリンリスゴー城 Source: English Wikipedia リンリスゴー宮殿 (トリップアドバイザー提供) リンリスゴー宮殿 (トリップアドバイザー提供) 左がスコットランド王ジェームス5世、右がフランス貴族のマリ・ド・ギーズ 中央がマリー・スチュアート 出典:NHK BSプレミアム その後、メアリースチュアートは、反メアリーの立場をとる王族の攻撃から逃れるためリンリスゴー城からスターリング城に移されました。この城は、どことなくエジンバラ城に似ています。 その後、メアリーは反メアリーの王族の攻撃から逃れるためリンリスゴー城からスターリング城に移された。どことなくエジンバラ城に似ている Source: English Wikipedia
本来、メアリース・チュアートこそがイングランドを含めたブリテン島そして現在の英国の王位継承権を持っていたにもかかわらず、イングランド王の側室によって生まれたエリザベス(一世)がイングランドの王位を継承したことで、スコットランドの悲劇が起きることになります。 メアリーが最初に幽閉されたエジンバラ来の湖の中にあるLochleven Castle 城 WASP、すなわち白人で、アングロサクソン、そしてプロテスタントを兼ね備えた現在の米国や英国のエスタブリッシュメントをそう呼びますが、スコットランドは白人ではあってもアングロサクソンではなく、宗教も敬虔なカソリックで、欧州にあっては、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどラテン系に近い存在となっています。 そもそも、スコットランド人は、イギリス人の祖先であるそのアングロ人、サクソン人などが北欧から海を渡ってやってくる以前からグレートブリテン島に住んでいたケルト人を祖先としている人々である。そしてイングランド人によってグレートブリテン島の北方に追いやられた先住民族ともいえる存在なのである。 昔からスコットランドの国花は、アザミである。 アザミは棘(トゲ)をたくさん持っていて、人を寄せ付けない。事実、その昔、スコットランドがバイキングの襲撃を受けたとき、アザミがバイキングの行く手を阻んだと言われている。 スコットランドの国花、アザミ 出典:NHK BSプレミアム アザミの花 撮影:青山貞一 スコットランドの首都、エジンバラにあるエジンバラ城は、遠くから見るとアザミに似ている。それは、刺々(とげとげ)しい姿で来る者を拒む。 しかしアザミは美しい花も咲かせる。そう、それはスコットランドの精神文化を象徴する女性の国王、メアリー・スチュアートのように。 下の写真は映画、ブレイブハートでウイリアム・ウォレス役のメル・ギブソンが、可憐な彼女にハンカチをプレゼントした場面。彼女がそのハンカチを開けると、中にはアザミの刺繍があった。そう、アザミはスコットランドの花だ! Source:Movie, Brave Heart ◆歴史にもしがあるなら、米国、カナダ、豪州などは存在していなかった? 歴史に「もし」があるなら、もし、メアリー・スチュアートがイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなどグレート・ブリテンの王位をついでいたら、当時はもとより、その後の世界のあり様はまったく変わっていた、違っていた可能性があります。 実際、メアリー・スチュアートは嫁ぎ先のフランス国王から、あなたな将来、フランス、スコットランド、イングランド3つの国の王女となる正当性があると言われています。 フランスに嫁いだころのメアリー・スチュアート Young Mary Stuart Source: English Wikipedia たとえば、イングランドからプロテスタントが海を渡っりつくったニューイングランド、のちにできたアメリカ合衆国は存在せず、イングランドに蹂躙されることを嫌ってスコットランドから新大陸(今のカナダ)に渡ったひとびと、さらに私達がよく行くカナダのノバスコシア州(これはフランス人やスコットランド人が大西洋をわたり建国したNova Scotia、すなわちニュー・スコットランド)すら存在しなかった可能性があるからです。 カナダとノバスコシア州の位置(カナダの東端) 出典:Wikipedia 2003年2月、はじめてノバスコシア州に現地調査ででかけたときの一枚 左から池田こみち、青山貞一、広田次男(いわき市在住環境弁護士) 2月は厳寒でマイナス10−20度であった! 場所はノバスコシア州の世界遺産、ルーネンバーグの漁港 事実、イギリス(主にイングランド)が北米植民地としてアメリカ大陸にわたり独立を宣言したのは1776年7月4日、すなわちに18世紀のことであり、カナダについても、イングランドは1610年にニューファンドランド島に漁業基地を設けいたものの、現在のカナダができたのは、1689年と1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約(1713年)でノバスコシアが英国の支配下となり、七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲されからです。 つまり、もし、本来、イングランドを含めた王位継承権をもっていたスコットランド女王、メアリー・スチュアート(Mary Stuart, 1542年12月8日- 1587年2月8日)がイングランドを含めたブリテン島全体の女王となっていたなら、今のアメリカ合衆国やカナダが存在しなかった可能性すらあるのです。何たる歴史の皮肉であろうか? 以下は、現在のイギリス連邦である。現在の加盟国数は、イギリスを含め54ヶ国(うち1ヶ国は資格停止中)もある。 もし、メアリー・スチュワートが断頭台にかけられず、スコットランド、イングランドなどの女王になっていれば、イギリス連邦に加えて、米国すら存在しなかった可能性が高い。 現在のイギリス連邦(Commonwealth of Nations) Source: Wikipedia ◆スコットランド、それは全能なる「否」が支配する場所なり! ところで、そのスコットランドは、スコットランドの詩人、アラン・ポールドが言うように、「スコットランド、それは全能なる「否」が支配する場所なり」なのです。 スコットランドは現在、英国の一部でありながら、あくまでも独自性を主張してやまない「場所」なのです。スコットランドを一言で称せば、それは簡単に長い物に巻かれない。寄らば大樹とならない、元祖、理不尽なことにすべて「ノーと言える国」といえます。100人のうち99人が賛成しても、合点が行かなければひとり反対する、できるひとといえます。 それはスコットランド建国以来の自主、独立のために多くの命を賭してきたスコットランド人ならではのものです。 メアリー・スチュアートがエリザベス(一世)により断頭台に送りこまれ、辞世となったのは、1587年2月8日です。 断頭台のメアリー・スチュアート 出典:映画エリザベスより メアリー・スチュアートの斬首 出典:NHK BSプレミアム Source: English Wikipedia イングランド女王のエリザベスは跡継ぎがなく、何とメアリー・スチュアートの息子(ジェームス6世)をイングランド王(ジェームス1世)に指名します。しかし、ジェームス一世は幼少のことからメアリーから引き離されていたため、スコットランドならではの独立精神はなく、その後、スコットランドをイングランドに実質統合(=併合)してしまいます。 出典:NHK BSプレミアム そのスコットランドが、いわばスコットランド国議会を取り戻したのは、20世紀末の1999年のことです。現在、国連など国際機関は、スコットランドは英国の一部として国家として認めていません。 しかしスコットランド(人)は、今でも英国からの独立を求めありとあらゆる場面でイングランド、英国と闘っているのです。 ◆スコットランドは、31%が自然エネ 2020年に100%を目標! さて、英国には有名な北海油田がありますが、それはスコットランド北部、インバネス近くにあります。現在、そのスコットランドが英国から独立できる経済、エネルギー的原点は、「北海油田」にあるはずです。 しかし、スコットランドの実質国王というか首相は、「北海油田」はイングランドから独立するための資源、資産としてリザーブし、欧州諸国でも有数の自然エネルギー立国となっています。 現時点でエネルギーの31%を自然系エネルギーでまかなっており、2020年をめどに何と100%、自然エネルギーで電力をまかなう計画となっています。 事実、インバネス北部やグラスゴー西部には、潮汐発電、潮流発電の適地が多数あり、成果各国から潮汐、潮流発電の実験プロジェクトが目白押しとなっているようです。 以下は、朝日新聞科学部の竹内さんが昨年書かれたスコットランドのエネルギー事情と英国(イングランド)とのエネルギー政策のずれに触れています。このズレこそ、上述してきた16世紀、さらにスコットランド建国にさかのぼる歴史的営為と言えます。 スコットランドの風力発電 Source: Europe wind farm, scotland wind farm
<関連ブログ2> ◆青山貞一:メアリー・スチュアートとノバスコシアの脱焼却・脱埋立政策@ ◆青山貞一:メアリー・スチュアートとノバスコシアの脱焼却・脱埋立政策A ◆青山貞一:メアリー・スチュアートとノバスコシアの脱焼却・脱埋立政策B |