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福島県被災地
首長及び住民との徹底議論
(東京都市大学青山研究室(横浜市都筑区)+
環境総合研究所(東京都品川区))

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda
鷹取敦 Atsushi Takatori
調査月日:2011年6月17−20日
掲載月日:2011年6月21日
独立系メディア E−wave


 2011年6月19日(日)、福島第一原発事故による放射線汚染の詳細調査と同時並行し、被災地の首長や住民との議論、インタビューなどを実施した。

 
詳細は別途とし、以下はスナップ写真と議論、インタビューの概要である。

1.被災地首長との徹底議論

 2011年6月19日(日)、南相馬市役所を訪問し、櫻井市長と国、県との防災をめぐるやりとりとその課題、福島第一原発事故による放射線汚染問題、とくに20km警戒区域設定をめぐる問題、自衛隊による瓦礫撤去、さらにこれからのまちづくりなどについて徹底議論した。

<以下は2011年6月9日、東京で行われた櫻井市長の会見とインタビュー>
◆単独インタビュー: 現代の宮沢賢治、櫻井勝延南相馬市長 政治を語る!
◆単独インタビュー:現代の宮沢賢治、櫻井南相馬市長(短縮YouTube版)
◆Press Interview of The Foreign Correspondents' Club of Japan, Mr.Katsunobu Sakurai, Minamisouma cit
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南相馬市櫻井市長(左)、青山貞一、池田こみち(右)
撮影:鷹取 敦


南相馬市櫻井市長との議論
撮影:鷹取 敦


櫻井勝延(南相馬市長)
撮影:鷹取 敦


青山貞一(東京都市大学)
撮影:鷹取 敦


青山貞一(左)、 櫻井勝延南相馬市長、 高邑勉衆議院議員、池田こみち(右)
撮影:鷹取 敦


2.太田神社訪問・宮司との議論

 「相馬野馬追」で有名な南相馬市にある相馬太田神社を訪問し、今年の行事について伺う。

 相馬野馬追(そうまのまおい)は、旧相馬藩領(福島県浜通り北部)で行われる神事および祭りで、神事に関しては国の重要無形民俗文化財に指定されている。東北地方の夏祭りのさきがけと見なされ、東北六大祭りの1つとして紹介される場合もある。

 2010年(平成22年)までは、毎年7月23日・24日・25日の3日間の日程で神事と祭りが一体となって開催されていたが、2011年(平成23年)より祭りと神事は日程が分離され、祭りを7月最終週の土曜日開幕、神事を24日・25日に日にち固定で実施することが決まっていた。

 しかし、東日本大震災により一旦行事が取りやめとされたが、その後、規模を小さくして実施することになったという。


相馬太田神社にて宮司と


相馬太田神社にて
左から斉藤さん(南相馬住民)櫻井勝延市長、青山貞一、池田こみち
撮影:鷹取 敦


相馬太田神社にて
左から青山貞一、櫻井勝延市長、池田こみち
撮影:鷹取 敦

.南相馬市鹿島区南海老地区の被害状況・被災者インタビュー

 南相馬市の海岸線を県道74号線で北上し、相馬市との市境まで進んでみた。県道74号線の両側には水田が広がり、農家が点在していたが、すべて津波で流され、荒地と化していた。

 しかし、2000人規模の自衛隊がガレキの処理を既に済ませており、きれいに片付いていた。南相馬市では41kuが津波で浸水しており、その大部分が農地であったことが見て取れる。そこは南相馬市鹿島区南海老地区である。

 市境の北端部はやや高台となっており、海岸線に出てみると、テトラポットは激しく破損され、堤防も道路もずたずたの状態だった。頻繁にパトカーが巡回し、見回りをしている様子だった。


撮影:鷹取 敦

 梅雨のさなかにも拘わらず太陽が顔を出し夏の陽射しに海が美しい。そんな中、南海老地区の海岸には数名の釣り人が集まっていた。車を降りて道路や家屋の被害の状況を見ていると、軽トラックに乗った二人の男性が海や被災地を眺めていたので声を掛けてみると、堰を切ったように被災の状況を話し出した。

 ここは南海老という地区で、北端の高台には70世帯が暮らしていたが、すべて流されてしまった。亡くなったのは高齢者というより、若い人が多かった。地震直後に車で自宅の様子を見に戻った直後、津波に襲われ、車ごと流された人が多い。

 この地区では20名以上が亡くなっており、まだ3名近く行方不明だ。津波直後に集落の高台にある墓地に逃げた人によると、引き波で、一旦海の底が見えるほど沖のテトラポットの防波堤まで水が引き、その後、高台の松の木のてっぺんを越える大津波が襲った。車で地区の運動場(かなり高台)に逃げた人はそこで津波をもろに受け、車ごと裏のため池に流されそこで大勢が亡くなった。


撮影:鷹取 敦

 海に面して建っていた家は友達の家だが、土台も残らないほど流されてしまった。今は、地区の人たちはバラバラになってそれぞれ避難している。これほどの被害にあうとは、悲しいを通り越してもう笑う以外にないほどだ。

 幸い、この地区は海に面しており、一年を通じて東風が強く、原発からの放射能は低い。震災後、立派な椎茸ができたので、みんなで食べてしまい、放射能が高かったらと心配したが、保健所に聞いたら60歳以上は問題ないと言われ、一安心した。年寄りはまだしも子供たちが心配だ。

 堤防から数十メートル先に作られたテトラポットの防波堤の上には船に合図を送る小さな灯台が3カ所取り付けられているが、そのうちの一つは津波前にはひっくり返っていたのに、津波でまっすぐに起きあがってしまった。

 相馬市との境の農地だったところは、今では湾のように水がまだ引かない。


.大甕地区にある産廃処分場建設現場視察
 
 南相馬市大甕地区では10年以上前から産廃処分場、焼却場建設問題で地域住民と業者が対峙している。櫻井市長も市長、議員になる前からこの問題に住民運動のリーダーとして尽力されている。その現場に住民団体のひとり、斉藤さんにご案内いただき、現地を視察した。

◆青山貞一:福島県浜通り(南相馬市原町地区)に残された秀逸な歴史的風景が危機に貧しています



南相馬市大甕の産廃処分場建設現場視察
左から地元住民、青山貞一、池田こみち(左)
撮影:鷹取 敦

暴力団も関与の産廃処分場建設で、時の人、桜井勝延南相馬市長が窮地に
筆者 - 瀬川牧子  2011年 5月 23日(月曜日) 06:00

 江戸時代に作られた「ため池」と里山が織り成す美しい農村風景が広がる福島県南相馬市原町区大甕(おおみか)。その昔ながらの自然景観を残す地区で、桜井勝延市長(55歳)を筆頭とする住民らは、現在、差し迫っている放射能の恐怖の中、地元の産業廃棄物処分場建設に反対し、裁判を通じて暴力団の影と戦い続けている。

 11年前、桜井市長の大甕の自宅から約1キロ離れた場所(福島第1原子力発電所から約20キロ北方で、4月22日に立ち入り禁止の警戒区域に指定された付近)で、ゴミ処理業者の「原町共栄クリーン」が首都圏からのゴミを焼却する産廃処分場を建設することを決定した。

 「産廃から命と環境を守る市民の会」の大留隆雄会長(73歳)は、「法律で定められた15品目を焼却する予定だった。にもかかわらず、医療廃棄物やインフルエンザにかかった家畜の死骸なども持ってこようとした。放射能以外は何でも」と話す。

 産廃処分場建設を巡り、これまで住民と業者との間で、20件以上もの訴訟がくり広げられている。

 「産廃処分場が完成すれば、業者は約500億円の収益をあげると予測されている。だから、業者は絶対に建設をあきらめたくない。それにしても、ここまで泥沼の戦いになるとは思わなかった」(大留会長)

 5月13日、記者は産廃処分場の建設現場を視察した。すぐ隣には農業用貯水池があり、周辺にはビニールハウスや畑が広がっている。その先には住宅地も見える。環境的な配慮がされていないことに言葉を失った。

 長年、福島県の産廃問題にかかわってきた東京都市大学環境情報学部の青山貞一教授は、自分自身が運営する独立系メディア『E-wave Tokyo』で、こう記載している。

 「もし、一度でも現地に足を運んでいれば、県が安易に下した設置許可がいかに人格権や環境権を踏みにじる暴挙か、がわかるというものである」 青山教授は4カ月間かけて、産廃処分場が建設された場合、焼却炉から飛散するダイオキシンや重金属などで、どのように大気が汚染されるか、3次元流体シミュレーションを行ったという。

 環境問題に加え、業者の株式の所有を巡り、暴力団がかかわっていることが関
係裁判で明らかにされた。住民らの代理人、広田次男弁護士は「最初は稲川会、
次に山口組、そして住吉会と暴力団のオンパレード」と言う。

 大留会長は就任時、周囲から「暴力団に刺されたり、拉致されたりするのではないか」と心配されたという。幸い、そのような直接的な暴力はないものの、無言電話が頻繁にかかってきたり、大留会長を誹謗中傷するポスターが貼られたりするという。

 斉藤文子さん(60歳)は目に涙を浮かべながら、「私は気管支が弱く、ぜん息持ちなので、ここに産廃処分場ができたら、出ていくしかない。自分の生活を守るため、怖いけど、反対しています」と話してくれた。

 ここで忘れてはならないのは、原発も産廃処分場も、大都市、大企業が過疎地の住民から搾取する構図であることだ。青山教授は『E-wave Tokyo』で、「東北地方は、永年にわたって東京など大都市で発生し、あるいは燃やされた『産廃』が最終的処分される場所となっています」と指摘する。


南相馬市大甕の産廃処分場建設現場視察
左から池田こみち、青山貞一、地域住民(斉藤さん)
撮影:鷹取 敦

.二本松の被災地住民との徹底議論

 中通りの二本松市で地震、原発事故による放射線汚染で被災している渡辺さん宅におじゃまし、被災状況、現在の状況などについて具体的にお話を伺った。


二本松市で被災した住民(渡辺さん)インタビュー
左は青山貞一
撮影:鷹取 敦

 原発事故以来、住民の間でも個人的にガイガーカウンターをネットで購入する人が増えている。渡辺さんもその一人だ。ネット通販で購入した中国製のガイガーカウンターで敷地内や家、経営する工場の中などあちこち測定してみたが、測定器の不具合があって、返品してしまい、今は、交換品の到着待ちということだった。


二本松市で被災した住民(渡辺さんの奥様)インタビュー
右は池田こみち
撮影:鷹取 敦

 自宅は息子夫婦と小学生の孫二人の六人暮らし。代々受け継いだ土地、三世代同居でのふるさとでの暮らし自慢でもある。裏山には和牛6頭も飼っている。それに、番犬の柴犬といつの間にか住みついてしまった野良猫が玄関番をしている。敷地内の農地では自家用の野菜を栽培し、井戸水も利用している。

 そこに突然の震災と原発事故。地震では屋根瓦の落下、土蔵の土壁の落下、浄化槽の破損などの被害があったが、原発からは直線距離にして60km近くも離れていることから、まさかここまで放射能が来るとは思わなかったと嘆く。


二本松市で被災した住民(渡辺さん)インタビュー
撮影:鷹取 敦

 原発爆発から一ヶ月後にはさっそく知人から借りてきた測定器で自宅周辺や室内を測ったところ、玄関前で約25μSv/hなど、非常に高い値が検出され、衝撃を受けたという。その頃、原発立地地域からは多くの被災者が二本松にも避難していた。二本松はほんとうに大丈夫なのか、孫たちの健康も気がかりだった。飯舘村、川俣町を経て二本松に至る国道114と県道62号の分岐点に位置する川俣町山木屋地区はホットスポットであることが判明し、すでに住民が避難していた。

 渡辺さんは、小さい頃に弟さんを白血病で亡くされたとのことで、原発からの放射能汚染はことのほか気がかりだと言う。


二本松市で被災した住民(左、渡辺さん)インタビュー
撮影:鷹取 敦

 そろそろ息子さんに仕事をゆずって牛を飼ったり、やりたいことをやるのが夢だったと語る渡辺さん。自宅のすぐ近くで建設が予定されている産業廃棄物処分場に反対する市民運動では地区のリーダー役として活躍してきたが、県や裁判所のこれまでの対応には大いに憤慨している一人である。そして、今後、原発で人が居なくなり、土地も安くなって福島県が産廃業者の格好の立地場所として狙われるのではないかと危惧している。

 ふるさと福島がふたたび地域の絆で結ばれ、美しい山河、四季の自然に恵まれた農村の風景を次世代にも守り伝えていけるように、なんとか頑張っていきたいと話していた。


二本松市で被災した住民(右、渡辺さん)インタビュー
撮影:鷹取 敦