東マレーシア・サバ州現地予備調査 マレーシアの概要 Malaysia 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年2月7日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
<全体目次> 2015年1月31日~2月5日まで、東南アジアのマレーシア、コタキナバルを拠点にサバ州各地を現地視察、調査してきました。まずマレーシア、ボルネオ島の概要を紹介します。 下は今回の東マレーシア・サバ州現地予備調査の計画書の表紙です。調査は、ほぼこの計画書に沿って行われました。 1月31日 成田→コタキナバル(東マレーシア・サバ州) 2月 1日 ~ 2月4日 現地予備調査 1日 熱帯雨林自然保護区野生生物観察 2日 ボルネオ島最北部クダッ現地視察 3日 キナバル山麓、キナバルパーク現地視察 4日 コタキナバル市内視察 2月 5日 コタキナバル→成田 ※航空機はマレーシア航空の直行便 ※宿泊先ホテル Shangri-La's Rasa Ria Resort(コタキナバル北部) ◆マレーシアの概要 マレーシアの国旗 東南アジアにおけるマレーシアの位置 出典:外務省 マレーシアの概要 出典:Wikipedia マレーシアは、東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国です。 タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接しています。マレーシアはASEANの一員となっています。 マレーシア(半島とボルネオ島) 出典:Wikipedia クアラルンプールの夜景 出典:Wikipedia マレーシア首都、クアラルンプール (トリップアドバイザー提供) マレーシア首都、クアラルンプール (トリップアドバイザー提供) マレーシアの主な歴史 参考:Wikipedia 13世紀 アラブ商人やインド商人と共にイスラム教が伝来、仏教とヒンドゥー教 の時代の終焉。 1400年 マラッカ王国成立 1511年 ポルトガル、マラッカを占領(ポルトガル領マラッカ、1511年 - 1641年) 1542年 マラッカからポルトガルの鉄砲が日本に伝来。(鉄砲伝来) 1549年 イエズス会のフランシスコ・ザビエルがマラッカを出発し、日本到着。 1641年 オランダ、マラッカを占領(オランダ領マラッカ、1641年 - 1825年) 1786年 シャムの攻撃を恐れたクダ・スルタン国は、非常時におけるイギリスによる 兵力援助の約束と引き換えに、英国東インド会社にペナン島を賃貸。 英国東インド会社は、中国やインドからの移民増加政策を行った。 1795年 英国、マラッカを獲得。 1805年 トーマス・ラッフルズがペナンに派遣され、ペナンで積んだ経験が後の シンガポール建設の参考となった。 1819年 トーマス・ラッフルズがシンガポールの地政学上の重要性に着目、 ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得。 1821年 クダ・スルタン国はシャムに征服され、統治された。 1824年 英国・オランダ両国でマレー半島(マラッカ海峡)を中心とする 地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結 英国はスマトラ島西海岸のベンクーレン(ブンクル)とオランダの マラッカを交換し、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー 半島に英領植民地を得る。 1826年 英国とシャムがバーニー条約を締結、英領マラッカ海峡植民地成立 1836年 フランシス・ライトの息子でペナン出身のウィリアム・ライトが 南オーストラリアのアデレード建設を開始 1840年 ジェームズ・ブレマー(英語版)率いる英国極東艦隊が海峡植民地 シンガポールから阿片戦争へ出撃。ジェームズ・ブルックがサラワク の反乱の鎮圧に協力 1841年 サラワク王国がブルネイ・スルタン国から独立 1842年 ジェームズ・ブルックがサラワク王国の国主となる 1855年 英国とシャムが通商貿易に関するボーリング条約(不平等条約)締結。 1874年 イギリス領マラヤ成立 1882年 阿片戦争で有名なランスロット・デントのデント商会のデント兄弟が 英国北ボルネオ会社による北ボルネオ(スールー王国とブルネイ王国) の統治を開始 1888年7月 英国北ボルネオ会社により統治される英国保護国北ボルネオ成立 1909年 英泰条約によってクダ・スルタン国は英国に移譲され英領マラヤになる。U 1941年 日本軍がコタバル近郊に上陸(マレー作戦)。太平洋戦争の開戦。 1942年 日本軍がマラヤ全域を占領(日本占領下のマラヤ)。 1946年 マラヤ連合と改称。サラワク王国が英領サラワクになる。 1947年 マラヤ連邦、英領植民地の集合体として結成 1948年 戦後、英国に返還されていたクダ州がマラヤ連邦に加入。 1957年 マラヤ連邦(初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相 トゥンク・アブドゥル・ラーマン)独立。 1962年 - 1966年 インドネシアとマレーシアの対立。 1963年 シンガポール、英国保護国北ボルネオ、英領サラワクがマラヤ連邦 と統合し、マレーシア成立。 1965年 シンガポールがマレーシアから独立。 1968年 - 1989年 共産主義者の反乱。 1969年 5月10日、1969年総選挙実施。5月13日、マレーシア史上最悪の 民族衝突であるマレー人と中国人の間の衝突5月13日事件が起きる。 1970年 7月緊急条例発布。9月、ラーマン首相辞任。第2代首相にアブドゥル・ ラザク就任。 1974年 クアラルンプールを連邦の首都に定める。 1975年 ラザク首相急死。フセイン・オン、首相に昇格。第3代首相に。 1981年 マハティール首相就任( - 2003年) 1984年 サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領になる。 1999年 首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転。 首都機能が2010年までに移転される。 マレーシアの政治 政体は立憲君主制です。 元首 国家元首たる国王は13州の内9州にいるスルターン(首長)による互選で選出され(実質的には輪番制)任期は5年。世界でも珍しい、世襲ではなく選挙で選ばれかつ終身制ではない国王です。 下はサバ州立博物館の入り口に掲げられていた国王の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-1-31 行政 行政府の長は首相であり、国王は内閣の補佐を受けて行政を担当しています。 マレーシアの首相官邸 出典:Wikipedia 立法 元老院 - マレーシア議会上院 代議院 - マレーシア議会下院 マレーシアの国会議事堂 出典:Wikipedia マレーシアの経済、工業化、IT化 参考:Wikipedia IMFによると、マレーシアの2013年のGDPは3,124億ドルであり、一人当たりのGDPは10,548ドルであり、シンガポールには遠く及ばないものの、一人当たりのGDPが世界平均10,000ドル以上という熱帯地域では珍しく高くなっています。 英国植民地時代からのゴムのプランテーションや錫の採掘、天然ガスの掘削など、特定の農作物や鉱物の生産が盛んでしたが、マハティール・ビン・モハマド首相の指導の下、従来の農作物や鉱産物の輸出、観光業に依存した体質からの脱却を果たし、2020年に先進国入りするとの目標「ワワサン(マレー語でvisionの意)2020」を掲げています。 多くの東南アジア諸国が欧米列強の植民地支配の影響のため発展が遅れ、社会主義での失敗や工業化が進まない中、マレーシアは約170年間植民地支配されていたにも関わらず日本を手本に工業化と経済成長を達成したことで、シンガポールと共に『東南アジアの優等生』と呼ばれています。 しかし民族間での貧富の格差も大きく、環境問題などで課題もあります。 人件費が中国やタイと比べて高く、日本企業の進出は頭打ちの状態が続いていましたが、尖閣諸島を巡って対立する中国や洪水や政情不安が続くタイと比較して近年マレーシアに注目が集まっています。 マハティール首相時代に様々な分野において国産化を推進する政策を打ち出しました。なかでも国産車 (National Car) については、日本の三菱自動車の技術を導入した自動車メーカー「プロトン」や、同じく日本のダイハツ工業の技術を導入した小型車メーカーのプロドゥアを設立し、政府の手厚い保護もあって国内シェアの約6割を両社で占めています。 ※マレーシアは三菱自動車との資本提携を解消し、ドイツのフォルクスワーゲン社 と包括提携交渉を進めましたが、個別案件での協力関係を模索することとなり、 一方で再び三菱との技術提携を進めています また、アジアやヨーロッパ諸国への輸出も行われています。他にもルノーやデルコンピュータなどの外国企業の工場の誘致、港湾の整備、空港や鉄道などの各種交通インフラの充実など、主にインフラ整備と重工業の充実を中心とした経済政策を積極的に行い、一定の成果を結んでいます。 さらに、IT化については、マレーシアは近年、アジアにおけるIT先進国となるべく、ITインフラの整備や国内企業への支援などをはじめとする様々な経済政策を推し進めて来ており、インフラ整備が高く評価されてアメリカのデルコンピュータのアジアにおける生産拠点としての位置を確保した他、地元の関連産業が次々誕生するなど一定の成果を結んでいます。 その代表的なものとして、首都クアラルンプール周辺に建設された最新のITインフラが整備された総合開発地域マルチメディア・スーパーコリドーの建設が挙げられます。このマルチメディア・スーパーコリドーには、中核となるハイテク工業団地「サイバージャヤ」と、首相官邸や各省庁舎が立ち並ぶ行政都市「プトラジャヤ」、クアラルンプールの新しい空の玄関となるクアラルンプール国際空港、さらには同空港敷地内にF1マレーシアGPも開催されるセパン・インターナショナル・サーキットなどが建設されました。 また、クアラルンプール市内では、20世紀までの高層建築としては世界で最も高いビル・ペトロナスツインタワーの建設などが行われた他、あわせて各種インフラの強化が行われています。 天然資源 参考:Wikipedia マレーシアの鉱業はスズ鉱の採掘が中核となっています。2002年時点の採掘量は4215トンであり、世界シェア8位 (1.7%) を占めています。 主な鉱山は、クダ州、ヌグリ・スンビラン州に点在します。スズ以外の鉱物資源としては、金鉱(サラワク州、パハン州)、鉄鉱、ボーキサイト鉱(ジョホール州)、などが有力です。 有機鉱物資源では、石炭、原油、天然ガスを産し、石炭以外は世界シェアの1%を超えます。いずれもブルネイ・ダルサラーム国に近いサラワク州北部の浅海から産出します。日本が輸入する天然ガスの約20%はマレーシア産です。 リゾート開発 参考:Wikipedia 古くから世界的に有名であったペナン島などのほかに、近年ではボルネオ島やランカウイ島のリゾート開発などが行われています。 これらの開発は、かねてからの主要産業の1つであった観光産業の振興にも貢献しており、政府観光局や航空会社との協力関係をもとに各国からの観光客の誘致に国を挙げて取り組んでいます。 リゾート地には、以下のものがあります。 ・ペナン島 ・ランカウイ島 ・ティオマン島 ・パンコール島 ・レダン島 ・ボルネオ島(コタキナバル近郊ほか) ・キャメロンハイランド(キャメロン高原) ・ゲンティンハイランド(雲頂高原) とくにボルネオ島には多くの生物固有種がいるため、上記のリゾート開発がそれらの生物固有種を絶滅させてしまうことが危惧されています。 マレーシアの宗教 参考:Wikipedia このところイスラム、ムスリム関連問題が日本でもにわかに課題となっていますが、マレーシアは東南アジアの主要イスラム教国です。 マレーシアはイスラム教が国教であり、マレー系を中心に広く信仰されています。中国系は仏教、インド系はヒンドゥー教徒が多く、英国植民地時代の影響でキリスト教徒もいます。東アジアの非イスラム教国に住むムスリム(イスラム教徒)は、一般にマレーシアの見解に従うことが多いようです。 なお、マレーシア政府は先住民族を原則としてムスリムとして扱い、イスラム以外の信仰を認めていません(ブミプトラ政策の影響)。しかし、実際には無宗教であったり、伝統宗教(アニミズム)やキリスト教を信仰する先住民も存在しています。 イスラム教徒と婚姻関係を結んだ場合、イスラム法の関係で非ムスリムも必ずイスラムへ改宗し、イスラム風の名前を名乗らなければならないため、ムスリムであることが法的義務とされるマレー系住民と結婚する他民族は少なくありません。 ただし、オラン・アスリと呼ばれる先住少数民族は、登録上はマレー人とされていますが必ずしももムスリムではないこともあり、特にサラワクでは華人系との婚姻が珍しくありません。 近年では、非イスラム関連の出版物において神を「アラー」と表記できるかどうかが国民的な議論を呼び、政府がその使用を禁じたことから、キリスト教の司祭(カトリック関連雑誌の編集者)が政府を相手取って裁判を起こす事態にまで発展しました。 結果として、クアラルンプール高等裁判所が政府の見解を退けましたが、これに国内のムスリム勢力が反発、カトリック教会を襲撃する事件が相次ぎました。また、今度はその報復と見られるモスクに対する嫌がらせが続発し、宗教間における対立も激しさを増しています。 イスラム人口、人口比率 以下は2009年における世界のイスラム人口データです。世界で一番多い国は、インドネシア、次いでパキスタン、さらにインド、バングラディッシュと続きます。 マレーシアは、1658万人となっており、アジア・太平洋地域で10番目ですが、もともとの人口が3000万人弱なので、人口の半分以上(約60%)がイスラム人口であることが分かります。他の宗教としてはキリスト教(主にカソリック)、仏教などがあり、現地には教会や寺院がありました。 出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9034.html マレーシアの環境問題 急激な経済成長と経済発展を遂げているマレーシアですが、その影でクアラルンプールに集中する人口に起因する大気汚染と廃棄物問題が深刻化しています。これらは産業公害から都市生活型環境問題への移行として理解されます。 またボルネオ島では都市化とリゾート開発によるボルネオ島固有の生物種の絶滅が危惧されています。さらにサバ州都のコタキナバルの中心市街地では、大気汚染、悪臭、廃棄物、水質汚濁が深刻化しています。 これらについては、別途報告します。 つづく <全体目次> |