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   東マレーシア・サバ州現地予備調査

ボルネオ島とダーウィン・ウォレス

Darwin & Wallace in Borneo Is.

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年2月8日
独立系メディア E-wave Tokyo


<全体目次>



 1月31日 成田→コタキナバル(東マレーシア・サバ州)
 2月 1日 ~ 2月4日 現地予備調査
    1日 熱帯雨林自然保護区野生生物観察..........●
    2日 ボルネオ島最北部クダッ現地視察
    3日 キナバル山麓、キナバルパーク現地視察
    4日 コタキナバル市内視察
 2月 5日 コタキナバル→成田


 ここで閑話休題です!!

 ボルネオ島といえば、生物学者ダーウィンとともに有名なウォレスが有名です。ウォレスはたびたびボルネオ島や隣にあるセレベス島に探検に来ています。

 以下のNational Geographic Magazineの「ダーウィンになれなかった男」を読むと、ウォレスがいかにマレー諸島、とりわけボルネオ島に関心、興味があったかがわかります。

アルフレッド・ラッセル・ウォレス 
(Alfred Russel Wallace, 1823年1月8日 - 1913年11月7日)



 ウォリスはイギリスの博物学者、生物学者、探検家、人類学者、地理学者であり、ブラジルのアマゾン川とマレー諸島を広範囲に実地探査して、インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線、ウォレス線を特定しています。

 そのため時に生物地理学の父と呼ばれることもある。チャールズ・ダーウィンとは別に自身の自然選択を発見した結果、ダーウィンは理論の公表を行っています。

 また自然選択説の共同発見者であると同時に、進化理論の発展のためにいくつか貢献をした19世紀の主要な進化理論家の一人でもあります。その中には自然選択が種分化をどのように促すかというウォレス効果と、警告色の概念が含まれます。

 ウォレスはイギリスの社会経済の不平等に目を向け、人間活動の環境に対する影響を考えた初期の学者の一人でもあります。その講演や著作を通じて幅広く活動しています。とくにインドネシアとマレーシアにおける探検と発見の記録は『マレー諸島』として出版されており、19世紀の科学探検書としてもっとも影響力と人気がある一冊となっています。

参考 Wikipedia

 なお、National Geographic Magazineの「ダーウィンになれなかった男」という連載の中に以下のような一説があります。

 ウォレスは友人宛の手紙にこう記している。「英国にたどり着いたら、もう二度と船旅には出ないと、私は50回も心に誓った。だが、その決意はもろくも崩れてしまった」。

 ほうほうの体(てい)で英国の港に着いてから数日とたたないうちに、ウォレスは次の旅の計画を立て始めた。今度は東へ、インド洋と太平洋の間に浮かぶ島々に向かおうというのだ。

 マレー諸島の探検は、前回のアマゾン探検とちがい、集めた標本数でも思い浮かんだアイデアでも、はるかに実り多い旅となった。

 シンガポールに到着したのは1854年4月。それから8年にわたって、ウォレスは精力的に島々を回る。島に上陸すると、草葺(くさぶ)きの家に住み、物々交換やお金で手に入る食べ物は何でも食べ、住民たちと変わらぬ生活をした。

 訪れた島は、スマトラ、ジャワ、バリ、ロンボク、ボルネオ、セレベス(スラウェシ)、ジロロ、テルナテ、バチャン、ティモール、セラム。

 マレー諸島の東端に位置するアルー諸島やニューギニア島のフォーゲルコップ半島にも上陸し、ボルネオ島のサラワクやアルー諸島などには何カ月にもわたって滞在した。

 ウォレスは奥地の人々と物々交換などができる程度にマレー語を覚え、行く先々で昆虫や鳥や哺乳類を捕らえては、羽や毛皮を傷めないよう標本や剥製にし、ていねいに梱包して、港に着くまで持ち歩き、ロンドンのサミュエル・スティーブンズに宛てて船で送った。

National Geographic Magazine「ダーウィンになれなかった男」より

 一方、NHKの「ダーウィンが来た!」の撮影クルーがボルネオ島にきたのは当然です!

 以下は、その「ダーウィンが来た!」撮影クルーがボルネオ島でオランウータンはじめボルネオキョンやチビオマングース、ベンガルヤマネコ、バンテン、アジアゾウなど珍しい生き物たちを取材した際の興味深いいわば取材記です。

「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」
 - ボルネオ熱帯雨林・魔法の泉に動物大集合!
-オープニングオープニング (その他)


 今回は魔法の泉で繰り広げられる、オランウータンなど野生動物の命のドラマを紹介する。

第1章 珍獣続々!
    泉の秘密第1章 珍獣続々!泉の秘密 (バラエティ/情報)

 マレーシア・ボルネオ島内陸部のジャングルの奥深く、森が少し開けた場所に野生動物の人気スポットがある。ただの水たまりのように見える泉だが、ちゃんと水が湧いている。松林尚志さんは同じような泉を他にも数か所教えてくれた。5か所の泉にカメラマン2人、カメラ16台を配置し、張り込み作戦の準備が完了した。

 泉のそばを離れて待つことにした。張り込みを始めて4日目、ボルネオオランウータンがやって来た。このオランウータンは5分ほど水を飲んでから泉を去っていった。オランウータンを皮切りに、ボルネオキョンやチビオマングース、ベンガルヤマネコ、バンテン、アジアゾウなど珍しい生き物たちが次々集まってきた。

 夜になっても泉には訪問客が絶えない。ヒゲイノシシやパームシベット、オオコウモリの仲間まで泉の水を飲んでいた。松林博士はこれまでに32種類もの動物を泉で確認してきた。

 近くの村の人たちに協力してもらい、泉の水を煮詰めてみると塩が出てきた。特別に塩分の多い泉の場所は塩場と呼ばれる。動物たちがやって来る目的は、生きるために欠かせない塩分を摂るためだった。塩場には水を飲む動物と飲まない動物の両方が来るが、飲む動物は草食動物、飲まない動物は肉食動物である。

 草食動物は塩分不足になりやすい。井の頭自然文化園(東京都)に協力してもらい、塩を溶かした水と普通の水を並べて用意して実験を行うと、ヤクシカは普通の水には目もくれず、塩水を選んだ。ウンピョウやクビワマングースなどの肉食動物が塩場に来る目的は、塩場に来る草食動物が目当てなのではないかと考えられている。


第2章 目撃!
   オランウータンの絆第2章 目撃!
   オランウータンの絆 (バラエティ/情報)

 塩場を訪れる動物たちの中で、松林博士が特に注目しているのがオランウータン。テナガザルやカニクイザルと比べると、オランウータンはずば抜けて体が大きい。この泉には単独で暮らすオランウータンが18頭も集まってくることがわかり、博士は彼らの暮らしぶりを調べることにした。オランウータンは毎日木の枝を折り重ねて寝床を作る。

 空からオランウータンの寝床を調査した博士は、寝床の正確な場所を記録し、塩場との位置関係を分析した。その結果、塩場に近いほど寝床の密度が高いことがわかった。塩場でのオランウータンは他のオランウータンと鉢合わせしないよう、細心の注意を払っている。

 わざわざ声を出してから塩場に現れた大人のオスのオランウータンは、頬が大きく張り出しており、この辺りに棲むオスの中で一番強いことの証である。水を飲み終わってもオスはなかなか立ち去らず、時々立ち上がってはじっと上を見つめている。オスが気にするのは木のこずえの方。この行動はメスが塩場に来るのを待っているのではないかと考えられる。

 ある朝、赤ちゃんを連れた1頭のメスが塩場にやって来た。10分後、別のオランウータンが降りて来たが、メスの方も気にする様子はない。この2頭は親子で、子供は親離れの時期を迎え、母親と離れて過ごすことが多くなっている。一度は子供を払いのけた母親も、完全に拒んだわけではないようだった。オランウータンの親子や兄弟の関係が、これほどはっきりと撮影されるのはとても珍しいことである。


つづく         <全体目次>