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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

国立歴史博物館
(1)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(6) ヤンゴン二日目の朝  (7) 国立歴史博物館@  (8) 国立歴史博物館A
(9) 旧国会議事堂と遷都、連邦議会  (10)人民公園と人民広場


ヤンゴン国立博物館(Yangon National Museum)

 下が国立博物館です。入り口は右側の大きな建物のさらに右側にあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-6-1

 博物館の前には下の写真にある立像が2つ鎮座していました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-6-1


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-6-1



 国立博物館の入場料は大人一人5000K(約500円)です。

 ヤンゴンに限らず、バガンでも国立博物館やマンダレーやバガンの旧王宮の入場料は5000K(約500円)でした。また国立博物館はヤンゴン、バガンともに入場時に所持しているカバン、カメラをロッカーに預けることになっており、館内での通常の撮影はできません。

 このヤンゴンの博物館はミャンマーに数ある博物館の中で最も規模および展示物の量、質が大きな博物館です。

 とりわけ博物館の一階にある「獅子の玉座」は、これから行きますマンダレーの王宮内に八ヵ所に設置されていた王のための腰かけです。これら八つの玉座のうち、英国軍がマンダレーを攻撃する際、事前に持ち去られた王座のひとつであるとされています。

 その直後にビルマの最後の王となっていたティーボーが隣国のインドヘ拘束され、幽閉されます。八つあった他の玉座は火事で焼失します。しかし、英国に行っていたために災難を免れたこの「獅子の玉座」は1948年にビルマに返却されています。

 この王座は高さが8.1mもあり、うるし(漆)で固めた上から金細工で飾られたもので、すごく風格のあるものです。この玉座は、ビルマ最後の王朝の栄華と悲劇の象徴するものでもあります。

◆ビルマ最後の王朝

 ビルマ最後の王朝はコンバウン王朝(Konbaung Dynasty)と呼びます。後にミャンマーとなるビルマ(Burma、以下ビルマと表記)最後の王朝(1752年 - 1886年)でありアラウンパヤー朝ともいいます。
 1782年前王を殺害して即位したボードーパヤー王はアラカン王国を征服し、マニプール王国やアッサム王国を支配下に治め、ビルマ史上最大の版図を実現しました。
 しかし、ビルマの西方への拡大はインドを支配する英国当局の利益と衝突し、英緬戦争が勃発しました。
 ビルマは結果、三次にわたる英緬戦争に敗れ、最後のティーボー王はボンベイに幽閉され、1886年にビルマは英領インド帝国に併合されました。

<関連年表>
1752年 アラウンパヤー王モーソーボで即位、コンバウン朝の成立
1753年 ビルマの旧都インワ(アヴァ)を奪回
1757年 下ビルマ、モン王国の首都パゴー(ペグー)を占領
1758年 シャン地方やマニプールに遠征
1759年 タイの首都アユタヤ攻撃、撤退
1766年 シンビュシン王、アユタヤを陥落させる
1769年 清軍とアヴァ近郊で停戦協定を結び、清の朝貢国となる。
1782年 ボードーパヤー王、マウンマウン王を殺害。アマラプラに新王都建設
1795年 アラカン王国を征服
1814年 マニプール王国を支配下に入れる
1817年 アッサム王国を支配下に入れる
1824年 第一次英緬戦争( - 1826年)
1826年 ヤンダボー条約でアラカンとテナセリウム割譲、アッサムと
     マニプールに対する宗主権喪失
1852年 第二次英緬戦争、英軍下ビルマ占領
1885年 第三次英緬戦争、王都マンダレー陥落
1886年 イギリス、上ビルマを英領インドに併合

主な出典:Wikipedia

 二階には、やはりこれから行くバガン朝の仏像や仏塔、寺院の模型などが多数展示されていました。さらに、三階はビルマの民族楽器や人形、操り人形、木彫りの工芸品が展示されています。また、四階には装身具や絵画が、さらに五階には少数民族の文化を伝える展示物があります。

 以下はヤンゴンにある国立博物館の入場時にいただいたパンフレットの表紙です。写真に写っているのが、「獅子の玉座」です。非常に大きなものです。またビルマ・ミャンマーでは、仏塔やこの種の王朝に関わる構造物の多くが金箔で装飾されているのが大きな特徴です。


出典:国立博物館の入場時にいただいたパンフレットの表紙

 以下、各階にある展示室のテーマ毎に紹介しましょう!

最後の王朝の「獅子の王座」

 以下は「獅子の王座」室(Lion THrone Show Room)の解説です。

「獅子の王座 展示室」

 国立博物館の主要な展示物のひとつが獅子の王座です。獅子の王座は、150年以上前にYamanayの木(ミャンマーほか東南アジアに産するチーク材の一種)で作られたもので、全体に彫刻が施されています。

 8つの異なったタイプの王座がありますが、全部で9つあり、そのうち二つが似通った形となっています。「獅子の王座」は王が裁判で判決を下すときに使用したとされています。(英国政府により)コルカタ(インドの西ベンガル州の州都)の博物館に展示するため、持ち去られていましたが、1948年のミャンマー独立後に返還されました。現在残っているのはこの王座のみで、残りはすべて、第二次世界大戦で破壊されました。




 以下も入場時にいただいたパンフレットからです。


マンダレーの王宮内、八ヵ所に設置されていた王のための腰かけ
通称「獅子の王座」。八つあった王座のうちのひとつ
出典:入場時パンフレット


「獅子の王座」  出典:入場時パンフレット

 なお、以下の写真は後日訪問するマンダレーの旧王宮にあった「獅子の王座」と王様と妃のレプリカです。これを見ると、「獅子の王座」と座った人間(王)の関係がよくわかります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-6-4


ヤダナボン期の展示

 以下はヤダナボン期の展示室の解説です。

◆ヤダナボン時代の展示室

 この展示室の模型、写真、絵画などは、マンダレーのMyanansankyaw王宮のもので、王家の家具、式典の際に王族が着用する衣装などが展示されています。




 以下はヤダナボン期の展示室です。


ヤダナボン期の展示室   出典:入場時パンフレット

 以下はヤダナボン期の展示物と解説です。

展示されている文物

左上:ガラスのモザイクで作られた衝立    19世紀
右上:ヤダナボン時代(19世紀)に作られた王室の刺繍のショール
左下:王室の靴
右下:粘土でつくられた焼き物の魚の形をした水指(Cray はClayの誤りと思われます)


ヤダナボン期の展示物   出典:入場時パンフレット


Royal Shoes    


 王室の王権を象徴する展示室の解説です。

王室の王権を象徴する展示室

 王家の権威を象徴するもの(王冠・王笏・宝珠)、として、純金と宝石をちりばめて作られた豪華な宝物が獅子の王座の前に展示されています。これらの御物は、王や妃が式典等の際に使用したもので、年に三回、家臣や重臣からの挨拶(拝礼)を受ける時などに用いました。




 下は仏像の展示室とその解説です。

◆仏像の展示室

 この展示室には、ピューからヤダナボン時代にかけて、また近代の仏像や仏画、奉納額などが展示されています。

左上:仏像の絵(U Ngwe Gaing 1901-1967)
左下:Me Nu女王の煉瓦製僧院の絵画 (インワ、15世紀)





つづく