東南アジア最後の秘境 ミャンマー マハ・オウグミ・ボザン僧院 Maha Aungmye Bonzan Monastery 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
(64) ヤダナーシメパゴダ (65) バガヤ僧院 (66) ナンミン塔、アヴァ王宮跡 (67) マハ・オウグミ・ボザン僧院 (68) インワの王朝遺跡リスト (69) サガインとモンユワ (70) マンダレーへの帰途 (71) 伝統民族音楽と操り人形 ◆マハ・オウグミ・ボザン僧院 インワで五つ目は、マハ・オウグミ・ボザン僧院 Maha Aungmye Bonzan Monasteryです。場所は下の地図で城壁の中にあります。 インワ(アヴァ)の概略地図 出典:マンダレーのホテルで入手 このインワのバガヤ僧院は、一般的には Me Nu Ok Kyaungとして知られています。 1818年に著名なBagyidawの第一王女、Nanmadaw Me Nu が彼女の宗教の教師、 Nyaunggan Sayadawの住居として建てたものです。 1838年の地震によって破壊され、1873年、Nanmadaw Me Nuの娘であり、Mindonの王女であったSinbyumashinによって再建されました。 この建物は、伝統的な石造りのビルマの建物とは違い、木で作られていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 以下は、マハ・オウグミ・ボザン僧院(The Maha Aung Mye Bonzan Monastery) の解説です。 マハ・アウン・ミー、ボザン僧院はコンバウン王朝時代のビルマ建築の素晴らし例といえます。僧院はまた、煉瓦僧院とても知られており、非常に保存状態がよくオークル色(薄い茶色)になっています。大変華麗な建築構造となっており、複雑な漆喰彫刻で装飾されています。 マハ・アウン・ミー、ボザン僧院は、コンバウン王朝時代のBagyidaw王の妻であるMe Nu 女王によって1818年、王室の修道僧の居宅として建てられました。Me Nu Kyaungとしても知られ、それは、Me Nuの煉瓦僧院という意味です。 その頃、僧院は木材で建築されるのが一般的でした。しかし、今日では、多くの木造建築の僧院や王宮は火災や風雨によって傷みが進んでいます。 煉瓦造りの僧院は、同時代に、木造僧院と同じ様式で建てられていました。何層にも重ねた屋根をもち、木造の僧院に取り付けられていたような、木彫のようにみえる漆喰の装飾をつけていました。 僧院の内部には通路があり、内部には、いくつかの仏像が安置されています。 多くのビルマの寺院と同様に、ここでも、二つの大きなChinthes(ビルマの神話に登場する獅子)が、入口を守っています。僧院の庭には、様々な大きさの多くの白い仏塔があり、傘のような形をした、金の傘蓋が切り妻の装飾として取り付けられています。僧院は1838年の大規模な地震によって激しく損傷しましたが、40年後に再建されています。 出典:Renown Travel 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-5 つづく |