東南アジア最後の秘境 ミャンマー ダマヤンジー寺院(2) Dahmmayan Gyi Phaya 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
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(122) 自転車でスラマニ寺院へ (123) ダマヤンジー寺院(1) (124) ダマヤンジー寺院(2) (125) ダマヤンジー寺院(3) ダマヤンジー寺院はピラミッド型のパゴダの稜線の途中からいわゆる仏舎利とは別に仏像を安置する堂(部屋)がたくさんついています。 ダマヤンジー寺院はこれから紹介するように、外観の美しさ、素晴らしさとは裏腹に、創建当時、創建王をめぐりさまざまな悲劇があったようです。 出典:Wikipedia 実際近くで見ると、ダマヤンジー寺院は非常に複雑な形をしています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-8 下の写真は玉ヤンジー寺院に入る門と寺院などです。 ダマヤンジー寺院 (トリップアドバイザー提供) ダマヤンジー寺院 (トリップアドバイザー提供) ダマヤンジー寺院 (トリップアドバイザー提供) ダマヤンジー寺院 (トリップアドバイザー提供) ダマヤンジー寺院 (トリップアドバイザー提供) 以下はダマヤンジー寺院をめぐる創健者ナラトゥー・パガン王についての解説です。出典はWikipediaです。 ◆ナラトゥー王 ナラトゥーは、パガン王朝の第5代の国王(在位1167年 - 1171年)。第4代国王アラウンシードゥーの子です。史料によってはエインドーシン、カラ・ジャ・ミン(「異国人によって殺害された王」の意)とも書かれています。 ナラトゥーは父のアラウンシードゥーと兄のミンチンソウを殺害して即位しました。ナラトゥーの事跡にはパガン最大の寺院であるダマヤンジー寺院の建立が挙げられていますが、彼の行動は王朝の権威を大きく低下させ、評価は非常に低いものとなっています。 ◆生涯 ナラトゥーはパガン王アラウンシードゥーと王妃ヤダナボンの次男として生まれる。彼の母はチャンシッターの宮廷で大臣を務めたDhamma Kyinの娘にあたります。ビルマの年代記に記されている彼の生年と統治期間は一致しておらず、主要な4つの年代記に記されている年代を以下の表に示します。
◆ダマヤンジー寺院の概要 ダマヤンジー寺院はそのナラトゥー王が建立した代表的な寺院です。 即位の経緯から宮廷の人間はナラトゥーを忌避したが、それに対して妻であるパティカヤの王女などの周囲の人間を殺害し、僧侶を迫害しました。 自らの行為に後悔した彼は贖罪のためにダマヤンジー寺院を建立したと伝えられています。しかし、工事は遅々として中々進まず、またナラトゥーが煉瓦と煉瓦の間に針が入るほどの隙間があるという理由で左官を処刑した噂も立ちました。 完成した寺院について、ハーヴェイは煉瓦の工法に見るべきものがありますが、同様の建築様式で作られたアーナンダ寺院とは逆に重く沈んだ雰囲気があると評されています。 つづく |