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<ヴェスヴィオ総合メニュー> ナポリ(コムーネ) 考古学博物館・ギャラリー1 考古学博物館・ギャラリー2 考古学博物館・ギャラリー3 考古学博物館・ギャラリー4 考古学博物館・ギャラリー5 考古学博物館・ギャラリー6 考古学博物館・ギャラリー7 考古学博物館・ギャラリー8 考古学博物館・ギャラリー9 考古学博物館・ギャラリー10 考古学博物館・ギャラリー11 考古学博物館・ギャラリー12 考古学博物館・ギャラリー13 考古学博物館・ギャラリー14 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 ◆ナポリ(コムーネ) Source:Wikipedia 概要 ナポリ(Napoli, 英語 Naples)は、イタリアの南部にある都市。その周辺地域を含む人口約101万人の基礎自治体(コムーネ)です。カンパニア州の州都であり、ナポリ県の大都市圏でもあります。ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市です。都市圏人口は約300万人あります。 ナポリ湾に面した港湾都市・工業都市です。 古代ギリシア人によって建設された植民市に起源を持ち、13世紀以降はナポリ王国の首都として南イタリアの政治・経済の中心地となりました。 ヴェスヴィオ火山を背景とする風光明媚な景観で知られる観光都市であり、「ナポリを見てから死ね (vedi Napoli e poi muori)」と謳われています。 旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されています。ナポリ周辺にも、ヴェスヴィオ火山やポンペイの遺跡、カプリ島などの観光地を有します。 名称 「ナーポリ」とも表記されます。地元で話されるナポリ語での名称はナープラ(Napule)です。ラテン語名はNeapolis(ネアポリス)、英語名はNaples(ネイプルズ)です。 地理 ナポリ県概略図 位置・広がり ティレニア海の一部、ナポリ湾の北岸に位置する都市であり、サレルノから西北西へ46km、ベネヴェントから南西へ53km、首都ローマから南東へ189kmの距離にあります。 コムーネの面積は117.27 km2に及びます。ヴェスヴィオ火山は東南東14kmに位置します。カプリ島などへフェリー・高速船が通っており、南にソレントやアマルフィ海岸が位置しています。古代都市ポンペイも見える距離にあります。最高地点は450mです。 隣接コムーネ 隣接するコムーネは以下の通りです。 ポッツオーリ - 西 クアルト - 西 マラーノ・ディ・ナーポリ - 北西 ムニャーノ・ディ・ナーポリ - 北西 メリート・ディ・ナーポリ - 北西 カザンドリーノ - 北 アルツァーノ - 北 カザヴァトーレ - 北 カゾーリア - 北 ヴォッラ - 北東 チェルコラ - 東 サン・セバスティアーノ・アル・ヴェズーヴィオ - 東 サン・ジョルジョ・ア・クレマーノ - 南東 ポルティチ - 南東 気候 気候はケッペンの気候区分で地中海性気候 (Csa) と温暖湿潤気候 (Cfa) の中間で、夏は暑くやや乾燥し、冬は寒く湿度があります。平均最高気温は5~10月が最高20~30℃、11月~4月が20~13℃。 出典: World Meteorological Organization[6] 歴史 ナポリ市は、紀元前6世紀に古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられています。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味です。 その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にありましたが、476年の西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族やランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となりました。 6世紀になると、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とする東ローマ帝国の属州となりました。ナポリ市には660年に東ローマ系の公国が設置されています。 11世紀にはノルマン人が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア島を征服してシチリア王国(オートヴィル朝)を建国しますが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年ノルマン人の手に落ちました。 12世紀にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の支配に移りました。 1224年には異色の皇帝フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学を設立しました。 フランスの王族シャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世は1266年、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都しました。 しかし1284年、シチリアの晩鐘事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領しますが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割されました。2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していましたが、この時にナポリ王国が成立したと見ることができます。 トラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世はシチリア王を兼ねていましたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねた。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治しました。 1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承しますが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝のシャルル8世がこれにつけ込んで、1494年にナポリを武力占領しました。 これに対してスペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ将軍は、1503年にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放しました。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となりました。 スペイン継承戦争(1701年 - 1714年)のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われました。オーストリアの支配は1734年まで続きます。 ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家はスペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復しました。 カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲りました。この1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もあります。ただこの時は正式名称としては使用されませんでした。 ナポレオン戦争の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなりました。ナポリは1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴くことになります。 1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国とましした。1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合されました。 1995年、世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録されました。 社会 社会問題 古くから過密が社会問題になっています。 イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっています。その一方で、今日でもナポリを拠点とするマフィア・カモッラによる影響が強い都市です。 ごみ問題 2007年以降、ナポリではごみの増大に処理場の増設(1994年以降、数回造成されていますが追いつかず、街中に未回収のごみが散乱する状態が度々起こっています。 ごみが散乱する理由として、マフィアによるごみの不法投棄が挙げられます。1980年代からマフィアがナポリにイタリア北部から運んできた産業廃棄物を埋め始め、この頃からマフィアにとってごみ関連ビジネスが麻薬密売に次ぐ収入源となりました。環境アナリストによると、違法ごみビジネスによって、マフィアは年間25億ユーロにも上る収益を得ているといいます。 健康被害 イタリアの研究機関による調査で、ナポリ近郊では他の地域と比べてガンの発生率が上昇していることが判明しました。これはカモッラが1980年代からゴミ処理ビジネスに参入し、有害物質を含むゴミを不法投棄したことが関連しているといいます。 特にナポリ県北部はナポリ湾などの主要な観光地の近辺であるにもかかわらず、不法な焼却や投棄が続けられた結果、地元が「死の三角形(Triangle of Death)」と呼ばれるほど環境が悪化しています。 観光 ・ナポリ歴史地区 ・ナポリのパノラマ ナポリから眺めたヴェスヴィオ火山 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 「世界三大美港」の一つとされることがあります。また、日本では「世界三大夜景」の街の一つともされます。 主な建築物 ・ナポリ大聖堂 ナポリ大聖堂 Source:Wolo,edoa Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる ・パラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリ(王宮) プレビシート広場に面したファサード Source:Wolo,edoa Commons CC 表示-継承 3.0, リンク ・卵城 卵城 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 2.0, リンクによる ・ヌオーヴォ城 ヌォーヴォ城 13世紀の建築 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる ・サン・カルロ劇場 ナポリのサン・カルロ劇場 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク ・ナポリ国立考古学博物館 ナポリ国立考古学博物館(略称、MANN)の正面からの外観 Source:Wikimedia Commons By Mister No, CC BY 3.0, Link ・カポディモンテ美術館 カポディモンテ美術館 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 4.0, リンクによる ・ウンベルト1世のガッレリア ウンベルト1世のガッレリア 19世紀の建築で、高さ58mのガラス天井を備える Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 遺跡 ポンペイ 自然 ヴェスヴィオ山 ナポリから眺めたヴェスヴィオ火山 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 文化 食文化 ナポリピッツァ スフォリアテッレ ピザ(ピッツァ)の起源はアラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ナポリでピッツァと呼ぶようになったことと言われる。ナポリピッツァの代表がマルゲリータである。これは統一イタリア王国のマルゲリータ王妃が1889年6月ナポリ来訪の折、ブランディという店がイタリアの三色旗を模してトマト(赤)バジリコ(緑)モッツァレッラチーズ(白)で生地を飾って捧げたことに由来する。2017年12月7日には、ナポリのピッツァイオーロ(ピザ職人)の技がユネスコの世界無形文化遺産に登録されることが決定した。 スフォリアテッレ ナポリ名物の焼き菓子。 なお、日本で見られるパスタ料理の「ナポリタン」は日本生まれの洋食(和製洋食)であり、ナポリが発祥ではない。 スポーツ 2019年夏季ユニバーシアードの開催地。 サッカー イタリアサッカーリーグのセリエAのSSCナポリの本拠地。かつてディエゴ・マラドーナが在籍していた。 交通 ナポリ地下鉄 ナポリ・カポディキーノ国際空港 姉妹都市 アテネ、ギリシャ イズミール、トルコ ・鹿児島市、日本 1960年5月3日 姉妹都市提携 ともに火山と縁の深い海沿いの都市であり、鹿児島が「東洋のナポリ」と呼ばれていたことが縁となっている[14][12]。日本・イタリア間の姉妹都市協定としては最も古い[15]。ナポリ市内には「鹿児島通り」(via Kagoshima)があり、鹿児島市内には6車線の大通りである「ナポリ通り」がある[12]。 ・コルカタ、インド ・サラエヴォ、ボスニア・ヘルツェゴビナ ・サルヴァドール、ブラジル ・鄭州市、中華人民共和国 ・ナーブルス、パレスチナ ・パルマ・デ・マヨルカ、スペイン ・バクー、アゼルバイジャン ・バレンシア、ベネズエラ ・ブエノス・アイレス、アルゼンチン ・ブダペスト、ハンガリー 人物 著名な出身者 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ - 建築家 アウグスト・デ・ルカ - 写真家 ジョルダーノ・ブルーノ - 哲学者 ジャンバッティスタ・ヴィーコ - 哲学者 ジョン・アクトン - 歴史家・思想家・政治家。後にイギリスに定住。 ウルバヌス6世 - ローマ教皇 ファビオ・カンナバーロ - サッカー選手 フランチェスコ・ロージ - 映画監督 パオロ・ソレンティーノ - 映画監督 ロベルト・サヴィアーノ - 作家 サルヴァトーレ・ディ・ジャコモ - 小説家 エレナ・フェッランテ - 作家、『ナポリの物語』シリーズなどを執筆 マッシモ・トロイージ - 俳優 バッド・スペンサー - 俳優 エンリコ・カルーソー - テノール歌手 ジョルジョ・ナポリターノ - 第11代イタリア共和国大統領 エドゥアルド・デ・フィリッポ - 劇作家 リッカルド・ムーティ - 指揮者 ルッジェーロ・レオンカヴァッロ - 作曲家 ドメニコ・スカルラッティ - 作曲家 ニコラ・ポルポラ - 作曲家 サルヴァトル・ローザ - 作曲家、画家 アルド・チッコリーニ - ピアニスト ダニエレ・セーペ - 音楽家 フェデリーコ・デ・ロベルト - 小説家 ソフィア・ローレン - 女優 セルジョ・ベンヴェヌート - 精神分析学者 ゆかりの人物 アル・カポネ - マフィア。ナポリ移民の家に生まれた。 ラウラ・アントネッリ - 女優。幼少期以降、ナポリに居住。 パンツェッタ・ジローラモ - 日本のタレント。少年時代にSSCナポリに在籍。アヴェッリーノ県出身。 色名 ネイプルスイエロー - ナポリの黄色という意味。世界の伝統色のひとつ。ウェブカラーでは16進 - #fdd35c、10進 - R:253 G:211 B:92。 脚注 考古学博物館・ギャラリー1へつづく |