「731部隊」今までの記録(8) ・ハバロフスク裁判 ・日本国への賠償請求 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年9月30日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
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◆ハバロフスク裁判 第二次世界大戦後にソ連が行ったハバロフスク裁判では731部隊関係者に訴追が行われ、判決で強制労働が命じられた。
青山註:2017年8月に放映されたNHKド巨メント「「731部隊の真実」 は、このハバロフスク裁判における各種証言を記録したロシ ア国立音声記録アーカイブもとに制作されている。これらは、 本ブログ後編で紹介する。 出典:NHKド巨メント「731舞台の真実」 2017-8 NHK総合 出典:NHKド巨メント「731舞台の真実」 2017-8 NHK総合 ハバロフスク裁判被告人 山田乙三(関東軍司令官・大将) 梶塚隆二(関東軍軍医部長・軍医中将) 高橋隆篤(関東軍獣医部長・獣医中将) 佐藤俊二(関東軍第5軍軍医部長・軍医少将) 川島清(第4部/細菌製造部部長・軍医少将) 柄沢十三夫(第4部細菌製造課課長・軍医少佐) 西俊英(教育部長兼孫呉支部長・軍医中佐) 尾上正男(731部隊海林/牡丹江支部長・軍医少佐) 平桜全作(100部隊研究員・獣医中尉) 三友一男(100部隊隊員・軍曹) 菊地則光(731部隊海林/牡丹江支部支部衛生兵・上等兵) 久留島祐司(731部隊林口支部衛生兵・実験手) 証人 古都良雄(731部隊元隊員) 堀田主計中尉(731部隊ハイラル支部) 佐々木幸助 橘武夫(チャムス憲兵隊長) 倉員悟(ハルビン憲兵隊) 畑木章 裁判官 D.D.チェルトコフ (議長法務少将) M.L.イリニツキ− (委員法務大佐) I.G.ヴォロビヨン (委員法務中佐) 検察官 L.N.スミルノフ 弁護士 N.P.ベロフ S.E.サンイコフ A.V.ズベレフ N.K.ボロヴィク P.Ya.ボガチョフ V.P.ルキヤンセフ D.E.ボルホビチノフ G.K.プロコペンコ 判決 矯正労働収容所で25年間の監禁 - 山田・梶塚・高橋・川島 矯正労働収容所で20年間の監禁 - 柄沢・佐藤 矯正労働収容所で18年間の監禁 - 西 矯正労働収容所で15年間の監禁 - 三友 矯正労働収容所で12年間の監禁 - 尾上 矯正労働収容所で10年間の監禁 - 平桜 矯正労働収容所で3年間の監禁 - 久留島 矯正労働収容所で2年間の監禁 - 菊地 イワノボ将官収容所にて服役。菊地は1951年、久留島は1952年に釈放。 その他の10年以上の刑を受けた者全員(病死した高橋と自殺した柄沢を除く)が、1956年の日ソ国交回復に伴って帰国している。 批判 ボンダレンコはこのハバロフスク裁判について国際法違反だと述べている[hb1]。 以下はWikipediaに掲載されているハバロフスク裁判における証言。 柄沢十三夫証言 731部隊の実験データに強い関心を示していたソ連は、ハバロフスク裁判で731部隊の第4部細菌製造部第1班班長であった柄沢十三夫少佐を厳しく尋問し、柄沢は1946年9月26日から30日までの間に、731部隊の編成と責任者、研究内容、設備、人体実験の事実、中華民国での細菌兵器使用、寧波と常徳で行われたペストノミ攻撃の事実を認め、総指揮者が石井四郎であったと証言した[74]。 また、ハバロフスク裁判の判決準備書面で「昭和18年末あるいは19年の初めに安達付近演習場にて人体および動物に関する実験が行われたり」と述べている[75]。この時は炭疽菌爆弾の実験が行われ、犠牲となったのは10?20人であり、その他に馬20頭についても実験が行われたという[76]。 川島清証言 また、柄沢の上司だった川島清軍医少将(731部隊第4部長)も、飛行機によるペストノミの散布、ペストノミの入った陶磁器製爆弾の投下、天皇の命令書、部隊の資金と出資、マルタの供給と受領の仕組みなどについて供述した[77]。川島によれば、実験の犠牲者は3,000人以上とされる[78]。 また、ハバロフスク裁判の判決準備書面で「昭和18年末あるいは19年の初めに安達付近演習場にて人体および動物に関する実験が行われたり」と述べている。この時は炭疽菌爆弾の実験が行われ、犠牲となったのは10〜20人であり、その他に馬20頭についても実験が行われたという。 倉員サトル証言 731部隊の憲兵班の曹長であった倉員サトルは、ハバロフスク裁判において、凍傷実験を目撃した様子について次のように証言している。 「生きた人間を使用する実験を私が初めて見たるは、1940年12月のことであります。第1部員である吉村研究員がこの実験を私に見せてくれました。(中略) 私が監獄の実験室に立ち寄りました時、ここには長椅子に5人の中国人の被実験者が座っていましたが、これらの中国人の中2人には、指が全く欠け、彼らの手は黒くなっていました。三人の手には骨が見えていました[79]。」 ◆日本国への賠償請求 1997年に中華人民共和国の180名が、ハーグ陸戦条約3条違反などにもとづき細菌戦の被害者への謝罪と賠償を日本政府に求める裁判を日本で起こした(731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟)。2002年、東京地方裁判所は、ハーグ陸戦条約が個人に国際法主体性を認めておらず、また日中平和友好条約で日中共同声明の「戦争賠償の請求放棄」原則が確認されて国際法上は国家責任は決着した、補償法令の立法不作為も認められないなどとして請求を棄却した[80]。 731部隊・細菌戦の真実、テレビ朝日・ザ・スクープ 以下は損害賠償請求の根拠となった1941年の中国南部における731部隊によるペスト菌の空中散布により甚大な被害がでたとされる地域。 731部隊・細菌戦の真実、テレビ朝日・ザ・スクープ 他方、東京地方裁判所は細菌戦の事実関係について、当該訴訟では原告側の立証活動だけで被告側による反証活動がされていないという制約があり、複雑な歴史的事実であるから歴史の審判に耐え得る事実の認定は学問的な考察と議論に待つほかはないとしたうえで、当該裁判所の事実認定としては731部隊や中支那防疫給水部(1644部隊)が1940年から1942年にかけてペスト感染したノミを散布したり、コレラ菌を井戸に入れるなど細菌兵器の実戦使用(細菌戦)があったと判断した[80]。 同事件は、2007年に最高裁判所で原告側の敗訴が確定した。 つづく 脚注 74. ^ 青木、2008年、370頁 75. ^ 常石(1995年)、155頁 76. ^ 常石(1995年)、156頁 77. ^ 青木、2008年、370頁 ^ 78. 小俣和一郎「検証 人体実験 731部隊・ナチ医学」第三文明社、2003年、p.82。ISBN 4-476-03255-9 79. ^ (公判書類 1950: 480) 80. ^ a b 東京地方裁判所平成14年8月27日判決 81. ^ a b c 日本経済新聞2011/2/21付「旧陸軍軍医学校跡地、謎の人骨を発掘調査 厚労省」 82. ^ 常石(1995年)、107頁 83. ^ 常石(1995年)、113頁 84. ^ 人骨焼却差止請求事件判決 85. ^ 厚生労働省、記者会見用の報告と今後の方針「戸山研究庁舎建設時に発見された人骨の由来調査について」平成13年6月14日。軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会HP 86. ^ 人骨ニュース179号、2016年3月29日、軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 87. ^ a b c Release of Archives Helps Fill Gap in Files on Wartime Atrocities - Research - The Chronicle of Higher Education Jan 19 2007 88. ^ 松村 高夫 『日本帝国主義下の植民地労働史』 不二出版、2008年、331頁。 89. ^ 青木冨貴子「731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」新潮社(新潮文庫)、2005年。ISBN 4-10-373205-9。もっとも、青木は、隠語の一部が人体実験などを表しているのではないかと疑っている。 90. ^ 秦(1999)、550-551頁。 91. ^ 中国黒龍江省档案館・中国黒龍江省人民対外友好協会・日本ABC企画委員会編『七三一部隊 罪行鉄証 関東憲兵隊「特移扱」文書』「[1][2] 92. ^ 「凍傷ニ就テ(第15回満州医学会哈爾濱支部特別講演)」満州第731部隊陸軍技師 吉村寿人 国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵 93. ^ 秦(1999)、552-553頁。 94.^ 『朝日ジャーナル』(昭和59年11月2日号 95. ^ 原正義「済南事件邦人被害者の写真(イラスト)を七三一部隊細菌戦人体実験として宣伝する中国教科書」『動向』1999年10月号、pp.40-45.動向社 HB1. ^ Е.Ю. Бондаренко. ≪Судьбы пленных: Токийский и Хабаровский международные процессы над японскими военными преступниками и их последствия≫. Россия и АТР. 1993, No.1.小林昭菜「「シベリア抑留」研究の現状と課題」異文化 論文編 (11), 267-285, 2010-04 法政大学国際文化学部 つづく |