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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comun
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ポンペイ遺跡ブログ 9 
Pompei Ruins Blog 9

   青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

    
アマルフィの位置    ポンペイの紋章    イタリア国旗

◆ポンペイ遺跡ブログ9 


 次に、ヴェスヴィオ山の大噴火によって一瞬にして亡くなられた人々の石膏レリーフを見てみよう。

大爆発で亡くなった人々のレリーフ

 ヴェスヴィオ山の大噴火に伴い発生した二酸化硫黄(SO2)や硫化水素(H2S)などの有毒ガスによって、ポインペイでは多くの人がバタバタと倒れ、次に膨大な量の火山灰が人々の上に降り注ぎ、そして火山灰が積った。

 大爆発が起きた時、ポンペイのまちの人口は1万人弱であり、ローマ市の住民の別荘も多くあった。また、別荘族向けのさまざまなサービスを提供する店もあった。

 大きな食物市場(Macellum)、製粉所(Pistrinum)、居酒屋(Thermopolia)ここでは冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したという。また小さなレストラン(cauporioe)、円形闘技場、円形劇場、娼館などなどである。これらの多くは既に紹介してきた。

 多くの年月が経ち、人間や動物の肉体が腐食し微生物による分解でなくなる。その結果、火山灰の中が空洞となる。そこに考古学者等は石膏を流し込む。石膏の固化後、火山灰を取り除くことで、以下に示す人や動物のレリーフができあがる。

 この方法によって顔の表情や容姿、衣服から装飾品までがレリーフで再現され往年の人々の生活のありようが再現されることとなった。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 以下のレリーフには、多数の子供も含まれていて痛ましい。



 このように、2000年近く前に起きた大噴火時の「ポンペイのそのとき」が、人体レリーフによって現代に伝えられているわけだ。

 このポンペイのレリーフについては、以下の動画ビデオ(EVTV1)の最後の部分に詳細があるのでご覧頂きたい。

 ポンペイの絵画と人体レリーフ動画
 出典:EVTV1:The Last Days Of Pompeii
 
◆南イタリア紀行:ポンペイのブログはこれでおしまいです。
 ご覧いただきありがとうございます。南イタリア紀行には以下もあります。


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