厳寒のロシア2大都市短訪 スターリンビル 概要・歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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ロシア短訪・総目次に戻る ・モスクワシティ・大学 モスクワ・シティ モスクワ大学概要 モスクワ大学学部 ・スターリン様式建築物 スターリンビル概要・歴史 スターリンビル外観1(ロシア、セブンスターズ) スターリンビル外観2(東欧) スターリンビル外観3(中国、北朝鮮) ◆モスクワ市 モスクワ市の紋章 モスクワを車で走っていると、似たようなデザインの超高層ビルを見ます。 有名なビルは、モスクワ大学本館、ロシア外務省、文化人アパートなどです。実は2003年に学会でドイツ行く前にチェコのプラハに行ったとき、宿泊先のホテルのプラハ・インターナショナルホテル(現ホテルクラウンプラザ・プラハ、チェコ・プラハ)、それに2009年、ナチスドイツがポーランド各地に設置した強制収容所を視察しに行ったときワルシャワ駅のすぐ隣にあった文化科学宮殿など、これらはいずれもスターリン様式でつくられたビルです。 今回の旅行でも、モスクワ大学だけでなく、いくつかのスターリン様式の超高層で巨大なビルを見ました。 ここでは、これらスターリン様式の超高層で巨大なビルについて紹介します。 ◆スターリンビル 概要と歴史 スターリンビルのもととなるスターリン様式は、ヨシフ・スターリン政権の時代のソビエト連邦で多く建てられた建築物(様式)のひとつを指します。 主に、1933年にソビエト宮殿の最終デザインが固まった年から、1955年のソビエト建築アカデミーが廃止された年までの間に建てられています。 このスターリン様式は第二次世界大戦以後のソビエト連邦内の大規模建築、特に超高層ビルに多く見られるほか、第二次世界大戦後にソビエト連邦の衛星国となった東ヨーロッパ諸国をはじめとする共産主義国家の建築にも大きな影響を与え、現在も旧東ドイツの首都であるベルリンやポーランドのワルシャワ、中華人民共和国の北京、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌、モンゴルのウランバートルなどにその影響を受けた建築物が多数散見されます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2 スターリン様式の例 モスクワ大学(高さ約240m) モスクワ大学本館 Source:Wikimedia Commons Alexey Kljatov from Moscow, Russia - Lomonosov Moscow State University (MSU), CC 表示 2.0, リンクによる 以下は2009年3月に、ナチスドイツによるポーランドにおける強制収容所を現地視察する際、ワルシャワで立ち寄ったワルシャワに建てられた文化科学宮殿です。 ワルシャワに建てられた文化科学宮殿 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8
概要 以下はWikipediaを基に執筆しています。 このスターリン様式は、いわば社会主義リアリズムの表現のひとつであり、社会主義の発展と革命の達成を、摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙ったものとされています。 スターリンは、ニューヨークの摩天楼に対抗し、モスクワに何十棟の超高層ビルを建設し、モスクワの風景をニューヨークのマンハッタンのようにするつもりだったと思われます。 スターリン時代のソ連の他の芸術分野同様、建築も「共産主義を理想的な社会秩序として賛美する」ために貢献するよう位置づけられ、文学者や音楽家ほど劇的な再編はなかったものの、建築家も国家の管理下におかれるようになり、ロシア・アバンギャルドやロシア構成主義の時代に花開いたヴフテマスなどの前衛的な学校や組織は圧力を受けるようになったのです。 歴史 1932年4月23日、ソ連共産党中央委員会は『文学および芸術に関する組織の構造改革について』と題する文書を採決し、芸術家が自主的に作った組織は違法となりました。建築家たちの組織も、共産党が「実を結ぶ、創造的で、正しい」建築について決定できるような統一組織へと一本化を迫られたのです。 1932年7月までに、建築家がそれぞれの建築思想に基づいて自主的に組織した集団や組織は全て廃止され、政府が資金を出す会員組織であり建築に関する検閲を行う「ソビエト建築家組合」が設立されました。翌1933年にはソビエト建築アカデミーが創立され、これがスターリン建築の時代の始まりとなりました。 アカデミー創設の年である1933年、ソビエト宮殿(1931年に建築計画が発表され、その敷地にあった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月に爆破解体された)の建築設計競技(コンペ)が行われましたが、ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルゾーンといったモダニズム建築家の案を抑え一等に輝いたのはボリス・イオファンの案であり、バベルの塔や天へ登る梯子の形を思わせる装飾的で権威的な外観で、頂上に高さ100mのレーニン像を掲げた415mの世界一の超高層ビルでした。 これはソ連がアバンギャルドやモダニズムを重視したレーニンの時代から古典へ回帰するスターリンの時代への転換点となりました。この宮殿はスターリン様式の模範となりましたが、建設は難航し1950年代に中止されています。 第二次世界大戦の間は建築事業自体が中断しましたが、古典主義的スターリン様式の時代は1940年代末から1950年代初期に最盛期を迎えました。古典主義的スターリン様式の中で最も印象的な例は、モスクワの全ソビエト農業展示会(現・全ロシア博覧センター)のパビリオン群、モスクワ地下鉄の初期の駅構内、モスクワの七つの超高層建築「セブンシスターズ」、ポーランド・ワルシャワの文化科学宮殿、その他ソ連や東側諸国の各地の大都市に建てられた高層アパートや政府庁舎などです。この時期の代表的な建築家にレフ・ルドネフがいます。 スターリンの死から2年後の1955年にソビエト建築アカデミーは解体され、スターリン様式は急速に収束しました。しかしソ連崩壊後のロシアでは、ネオ・スターリン様式ともいうべき、スターリン様式を引用した建築も作られています。代表的なものは、57階建て、高さ264mで完成時はヨーロッパ一の高さを誇った超高層ビル「トライアンフ・パレス」(2003年竣工、主な用途は高級マンション)で、スターリンゴシックの外観を引用していることから「セブンシスターズ」に次ぐ「八番目の姉妹」とも称されています。 スターリンゴシック スターリン様式の中でも特に「スターリンゴシック」と呼ばれる様式の重厚な高層建築がモスクワ市内に7棟、ワルシャワ市内に1棟存在しています。モスクワの7棟は「セブンシスターズ」と呼ばれています。 ※( )内の数字は竣工年です。 モスクワ モスクワ大学本館(1953年) ソビエト連邦運輸建設国家委員会(1953年) 文化人アパート(1945年) 芸術家アパート(1952年) ホテル・レニングラード(1953年) ロシア外務省 (1953年) ホテル・ウクライナ(1955年) ワルシャワ 文化科学宮殿(1955年) その他のスターリン様式建築物 旧ソ連構成国 ラトヴィア科学アカデミー(リガ) 旧ソ連衛星国 プラハ・インターナショナルホテル(現ホテルクラウンプラザ・プラハ、チェコ・プラハ) カール・マルクス・アレー(旧スターリン・アレー)の建造物群(旧東ベルリン) ウランバートル駅(モンゴル・ウランバートル) その他、共産圏 人民大会堂、中国人民革命軍事博物館、北京展覧館(中国・北京) 旧成都量具刃具廠紅楼(中国・成都) 厦門大学講堂(中国・廈門) 上海展覧センター(中国・上海) 人民大学習堂、朝鮮中央歴史博物館、錦繍山太陽宮殿、平壌駅、 金日成競技場など( 北朝鮮・平壌) ※人民大学習堂は朝鮮古来の建築様式とスターリン様式の折衷 関連作品 ドキュメンタリー「失われた世界の謎」シリーズ 第32回 「スターリンの都市改造」(ヒストリー・チャンネル) ドキュメンタリー「謎のアンダーワールド2」シリーズ 第19回「モスクワ」(ヒストリー・チャンネル) つづく |