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厳寒のロシア2大都市短訪


小エルミタージュ

ロマノフ家の肖像ギャラリー4

青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 ・ロマノフ王朝肖像系コレクション
   ロマノフ王肖像1  ロマノフ王肖像2   ロマノフ王肖像3  ロマノフ王肖像4
   ロマノフ王肖像5  ロマノフ王肖像6   ロマノフ王肖像7  ロマノフ王肖像8


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)



◆小エルミタージュのロマノフ家肖像ギャラリー

歴代当主(歴代ロシア皇帝, インペラートル) ムラサキの地に黄色字は女帝
歴代 皇帝 在位 備考
初代 ピョートル1世 1721年-1725年 ツァーリ即位は1682年。元老院と宗務院より、インペラートルとともに大帝(Великий)の称号も受ける。
第2代 エカチェリーナ1世 1725年-1727年 ピョートル1世の皇后。
第3代 ピョートル2世 1727年-1730年 ピョートル1世の孫、廃太子アレクセイの子。
第4代 アンナ 1730年-1740年 ピョートル1世の異母兄イヴァン5世の子。クールラント公フリードリヒ・ヴィルヘルムの未亡人。
第5代 イヴァン6世 1740年-1741年 イヴァン5世の曾孫。宮廷クーデター(ロシア語版)により廃位。1764年に殺害。
第6代 エリザヴェータ 1741年-1761年 ピョートル1世とエカチェリーナ1世の子。
第7代 ピョートル3世 1761年-1762年 エリザヴェータの甥。ホルシュタイン=ゴットルプ公。宮廷クーデター(ロシア語版)により廃位、後に殺害される。
第8代 エカチェリーナ2世 1762年-1796年 ピョートル3世の皇后。プロイセンのアンハルト=ツェルプスト侯家出身。大帝の称号を受ける。
第9代 パーヴェル1世 1796年-1801年 ピョートル3世とエカチェリーナ2世の子。宮廷クーデター(ロシア語版)により殺害。
第10代 アレクサンドル1世 1801年-1825年 パーヴェル1世の子。
第11代 ニコライ1世 1825年-1855年 パーヴェル1世の子、アレクサンドル1世の弟。
第12代 アレクサンドル2世 1855年-1881年 ニコライ1世の子。「人民の意志」派の爆弾テロ(ロシア語版)により暗殺される。
第13代 アレクサンドル3世 1881年-1894年 アレクサンドル2世の子。
第14代 ニコライ2世 1894年-1917年 アレクサンドル3世の子。二月革命により退位。1918年に家族とともに殺害される(ロマノフ家の銃殺(英語版))。







ロシアのアンナ・パヴロヴナ(1795年1月18日 - 1865年3月1日)
オランダ王ウィレム2世の王妃で、ウィレム3世の母。ロシア大公女。
ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの第6皇女(第8子)
Source:Wikimedia Commons
Jean Henri Benner - http://www.cartalana.ru/tzar-058.php, パブリック・ドメイン, リンクによる



Borovikovskiy PtPavla1GRM
ウラジミール・ボロヴィコフスキー(V.Borovikovskiy)による
戴冠式の衣装を着たパーヴェル1世の肖像(1754-1801)
Source:Wikimedia Commons
ウラジーミル・ボロヴィコフスキー - http://lj.rossia.org/users/john_petrov/414961.html, パブリック・ドメイン, リンクによる



フランスの肖像画家ジャン=マルク・ナティエによるエカテリーナ1世の肖像
Source:Wikimedia Commons
By Jean-Marc Nattier - http://www.barmin-ekb.ru/?page=katalog&id=100065, Public Domain, Link



旅行着で旅行中の女帝エカテリーナ2世の肖像// シバノフ・ミハイル。1787年油彩。
Source:Wikimedia Commons
Mikhail Shibanov - http://www.imha.ru/knowledge_base/base-6/page,2,1144524414-ekaterina-ii-imperatrica.html, パブリック・ドメイン, リンクによる



エカテリーナ・パヴロヴナ(1788年5月10日 - 1819年1月9日)
ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の2度目の妻で王妃。ロシア大公女。
Source:Wikimedia Commons



シャルロッテ・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
(1694年8月29日 - 1715年11月2日)は、ロシアの皇族アレクセイ・ペトロヴィチ大公
(皇帝ピョートル1世と最初の妃エヴドキヤ・ロプーヒナの長男)の妃。
Source:Wikimedia Commons



ドイツ語名シャルロッテ・フォン・ヴュッテンベルグ(エレナ・パヴロヴナ)
(1807年1月9日 - 1873年2月2日)は、ロシアの皇族、ロシア大公妃。
パーヴェル1世の四男ミハイル・パヴロヴィチ大公の妻。
Source:Wikimedia Commons



何度も塗りなおされた肖像画。- これは、彼の父であるピョートル大帝のミニチュア肖像とともに描かれブロンズ額縁に入っていたが、青いリボンはすでに失われている。
⇒上記の絵は、Wikimedeiaを見ると以下のようなタイトルになっていました。
フランスの肖像画家ルイ.キャラバクによる皇女エリザベータをオリンピアの女神として描いた肖像(1710年代)損傷が激しい。
Source:Wikimedia Commons
Louis Caravaque (?) - http://www.tez-rus.net/ViewGood34467.html, パブリック・ドメイン, リンクによる


つづく