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厳寒のロシア2大都市短訪

   
正教会のイコン

イコンとは

青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁

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 ・イコン系コレクション
   正教会のイコン     正教会のイコン1     正教会のイコン2
   正教会のイコン3   正教会のイコン4     刺繍によるイコン


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

  



 ここでは、エルミタージュ美術館のイコンコレクションの紹介に先立ち、正教会におけるイコンについて解説します。出典はWikipedia です。

◆イコンとは

 イコン(ギリシア語: εικ?ν, ロシア語: Икона, 英語: Icon, ドイツ語: Ikon)とは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)です。


『ウラジーミルの生神女』聖使徒ルカによって画かれたと伝えられる。
(モスクワ、トレチャコフ美術館所蔵)
Source:Wikimedia Commons
パブリック・ドメイン, リンク



フレスコ画イコン『復活』。現在はカーリエ博物館となっている、ホーラ(コーラ)修道院の聖堂内、湾曲した天井に描かれています。主ハリストス(キリスト)がアダムとエヴァの手を取り、地獄から引き上げる情景を描いたものです。このハリストスの地獄降りのイコンが、正教会においては復活大祭のイコンとして定着しています。
Source:Wikimedia Commons
anonimus - part from file:Chora Anastasis1.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる


◆正教会のイコン

 正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする、聖なるものです。但し信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像です。


聖大ワシリイのモザイクイコン(キエフの聖ソフィア大聖堂、11世紀)
Source:Wikimedia Commons
不明 - http://www.sedmitza.ru/index.html?sid=883&did=49554&p_comment=belief, パブリック・ドメイン, リンクによる



ダマスコのイオアンのイコン。アラビア語が周りに書かれています。
Source:Wikimedia Commons
不明 - http://www.balamand.edu.lb/theology/WritingsSJD.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

 このことについて、正教会では「遠距離恋愛者が持つ恋人の写真」「彼女は、写真に恋をしていますのではなく、写真に写っている彼を愛しています」といった喩えで説明されることがあります。

 聖大ワシリイ(大バシレイオス)(330年頃 - 379年)は、「聖像への尊敬はその原像に帰す」としていました。

 ダマスコのイオアン(676年頃 - 749年)はこれを引用した上で、原像は聖像化されるものです、とともに結果を得る(尊敬を得る)元になるものでもあるとして、こうした聖像への敬拝を、東に向かって祈ることや十字架への尊敬とともに、書かれざる聖伝(アグラフォシス・パラドシス)に数えています。

 すなわち正教会において、イコンは信仰の対象ではなく、崇拝の対象でもないが(崇拝・礼拝は神にのみ帰される)、信仰の媒介として尊ばれるのです。

 こうした教義は第七全地公会議において確認されましたが、この公会議では全き人としてこの世に存在した全き神ハリストス(キリスト)を画き出すことは、神言の藉身(受肉)に対する信仰を守ることとして確認されました。
 
 正教徒がイコンの前で祈る時、描かれたハリストス(キリスト)、生神女、聖人に祈ります。人はイコンを通じて霊の世界やそこに住む者に触れることが出来るようになります。パーヴェル・フロレンスキイは「イコンとは別の世界への窓口」です。

 イコンは神の国の存在を信徒に証するとともに、教会にある信徒が神の国にいることを証してもいます。正教の信仰において、イコンは「使用を認められた」というよりも、むしろ属神的(ぞくしんてき、霊的)必需品とされています。

 ギリシア語の「イコン」(ギリシア語: εικ?νの中世 - 現代ギリシア語読み、古典ギリシア語再建音ではエイコーン)は、似姿、印象、かたどり、イメージという意味があります。

 思いや考えを託す器としてのイメージ(イコン)は、託されたものを表現する働きも持つため、器(イメージ、すなわちイコン)の破壊は器に盛られているものの破壊に通じると考えられています。ここでいう「器」は、具体的には伝統的なイコンの技法、既定された色や構図として整理されます。

イコン画家

 イコンを書く者は、聖伝の中に生き、正教の共同体の一員であり、いつも機密的生活の内にいなければならなりません。

 真のイコン画家にとりイコンの製作は習練と祈りの道、修道の道そのものであり、この世と肉体の情念と欲からの解放がなされ、人の意志が神の意志に従えられていなければならないのです。真のイコン画家は自分のため、もしくは自分の光栄のためにではなく、神の光栄のために働くのです。

 従って原則としてイコン画家はイコンに自分の名を記しません。例外的に記名する場合にも「~によって」「~の制作」「~の手によって」「~の手」といった言葉を付けることとしています。

 これはイコンの製作課程の中に神聖なものが入り、神の恩寵がイコン画家の心を照らして、彼の手を導くと感じられることによっています。


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