厳寒のロシア2大都市短訪 プーシキン美術館 歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・プーシキン美術館 概要 歴史 内部・内装 絵画 ラファエロ 彫刻 ◆モスクワ市 モスクワ市の紋章 ◆歴史 創設 プーシキン美術館の創設者、イワン・ウラジーミロヴィッチ・ツヴェターエフ。 モスクワ大学芸術学部の学部長であったイワン・ウラジーミロヴィッチ・ツヴェターエフ教授(1847年 - 1913年、女性詩人マリーナ・ツヴェターエワの父)は、かねてからモスクワに公共美術館を設立することを提唱していました。 プーシキン美術館の創設者、イワン・ウラジーミロヴィッチ・ツヴェターエフ Source:Wikimedia Commons Far Karl Fischer - http://all-photo.ru/portret/index.ru.html?kk=50d5c46267&img=29744&big=on, Publika havaĵo, Ligilo レニングラードの連合切手の展示会に出品された、 アレキサンダープーシキンの美術館の建物をデザインしたソ連時代の切手 Source:Wikimedia Commons Sロシアの切手 2012年発行 No.1595 プーシキン美術館所蔵 プーシキン美術館の100周年記念として発行。 Source:Wikimedia Commons ツヴェターエフは、モスクワ大学付属美術研究所を核として、大富豪のユーリ・ネチャーエフ=マリツェフと建築家のロマン・クレインにロシア帝国の首都であるモスクワに美術館を作る必要性を説き、彼らの支援を引き出すことに成功しました。 さらにツヴェターエフは、時の皇帝アレクサンドル3世の支持も取り付けることに成功し、皇帝は美術館建設のコンペを支持しました。このコンペではクレインの新古典主義による建築案が第一等となりました。 モスクワ市議会の議決によって、モスクワ大学に無償で土地が譲渡されました。建設に当たっては、ユーリ・ネチャーエフ=マリツェフをはじめ、マーモントフ、モロゾフ、シェラプーチン、ユスポフ、シェフテリなどの献金により、1898年定礎します。 モスクワ市ガイドより Source:Wikimedia Commons By E. Zvyagintsev et al. - http://gbooks.archeologia.ru/MOCKBA.htm, Public Domain, Link 美術館は、コンペで1等であったクラインが本設計を行いましたが、ウラジーミル・シューホフ Vladimir Shukhovがガラス張りのキャンティレバーCantilever(片持ち梁)と暖房システムを、ジョルトフスキーが正面玄関を、バルヒーンが内装など部分的設計を分担しています。 1912年5月にアレクサンドル3世芸術博物館として開設を見ました。最初の展示品は、ヨーロッパ諸国の彫刻や古代エジプトの遺物のレプリカ、イタリア、オランダ、フランスの絵画、古銭や古代の陶器などでした。 1912年5月31日のニコライファミリー 1912年5月31日、モスクワのプーシキン美術館の開館の日。ニコラス2世とその家族が写っています。美術館の創始者であるイワン・ツヴェトエアエフは、皇后陛下の右下に立っています。 実際に博物館に貢献した人物、ユリー・ネシャエフ・マルチェフは、ニコラスの肩の後ろに立っています。 Source:Wikimedia Commons By Unknown author - Москва в фотографиях, 2004, ISBN 5874171584, Public Domain, Link ウラジーミル・ゴレニシュチェフVladimir Golenishchevによって、モスクワ数学古文書 Moscow Mathematical PapyrusやStory of Wenamunなどの考古資料が寄贈されています。帝政期を通じて美術館はモスクワ大学の付属美術館として、美術専攻の学生の学問・調査・研究の場として機能していました。 つづく |