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信州松代の真田

真田邸(新御殿跡)1

はじめに

青山貞一  池田こみち  鷹取敦
September 5 2016
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信州松代の真田 2015-10-10
@ 真田邸1 はじめに A 真田邸2 真田幸教 B 真田邸3 表門、主屋正面
C 真田邸4 間取、襖、絵画 D 真田邸5 落ち縁、庭園 E 真田邸6 化粧室、風呂、蔵

 2015年10月10日、私達は北軽井沢の保養所から長野県長野市松代にある真田一族関連の建物、博物館、史跡などに向かいました。

 真田一族の信州(長野県)、上州(群馬県)における拠点は、旧真田町(現長野県上田市)、上田市(上田城など長野県)、沼田市(沼田城など群馬県)、東吾妻町(岩櫃城など群馬県)などとともに、松代町(長野県長野市)があります。

 その松代には北軽井沢から国道144号線を西に進み、鳥居峠で長野県に入り約1時
間半ほどで到着します。走行距離は約60kmほどです。


出典:グーグルマップp

 下は松代における真田邸の位置です。すぐ近くには真田宝物殿があります。



 下は現地における真田邸での案内表示です。


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10

 最初に訪問した真田邸は、2003年3月から保存整備事業が行われており、2013年3月に終了し、その後、一般公開されています。

 下は真田邸の修復・保存事業の概要です。

 長野市は2003年3月に「国史跡 松代城跡附新御殿跡(真田邸)保存整備事業」の基本計画を策定し、事業に着手しました。2004年からは国庫補助事業となっています。

 史跡の整備に必要な発掘調査や史料の解読などを行い、その成果を生かしながら、もっぱら伝統的な工法を用い、建物の保存修理・庭園の整備などを行いました。

 整備にあたっては、各分野の専門家で構成される「整備委員会」の指導・助言に基づき、事業を進めました。

 整備の対象は、御殿、表門、各土蔵、庭園、物見と史跡全体に及び、2013年3月をもって終了し、約150年ぶりに生まれ変わった真田邸をご覧いただけることになりました。


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10

 下は長野市松代にある真田邸の入り口の写真です。


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-10


 下は入場料を支払っているところの写真です。入場料は大人一人200円です。


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10


撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-10


 さて、真田邸は、以下にあるように松代藩九代藩主、真田幸教に創建されています。

 真田邸は、当初は真田幸教の義理の母の住居でしたが、やがて隠居した真田幸教の住居となっています。

◆真田邸について

 真田邸(新御殿跡)は、元治元年(1864)に、松代藩九代目藩主の真田幸教(ゆきのり)によって建てられました。

 当初は幸教の義母、貞松院の住居でしたが、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真田家の私邸として使われていました。

 敷地内には御殿(主屋)と表門、七棟の土蔵などの付属物に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも数少ない御殿建築の遺構です。

 このため、昭和56年(1981)には、松代城とあわせて国史跡に指定されています(国史跡、松代城跡、新御殿跡)。
 
 御殿には35の主要な部屋があり、外部の人間が出入りする「表」の部分と、生活のための私的な「奥」の部分とに分かれます。それぞれの部屋は用途によってつくりや大きさ、唐紙(壁紙)や装飾などに違いがあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-10


つづく