エントランスへはここをクリック     <全体メニュー・中央アジア> 

   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド3日目

アイニ博物館
  Aini Museum Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁


 サマルカンド三日目です。

 今日は、サマルカンド市内の博物館を廻ります。

 最初は、歴史文化博物館です。この歴史博物館は、いつくかの地図を見るとレギスタン広場の近くにあるはずでしたが、30分以上歩き回り探しまくっても見つかりません。どうも他の場所に移転したようでした。その場所にアートギャラリーという名の建物がありましたが、閉館されていました。
,
 そこでレギスタン広場のすぐ近くにあるアイニ博物館(正式にはThe Home-Museum of Sadriddin Aini)を訪問しました。このアイニ博物館は、今まで日本語となっているガイドブックや資料にほとんど紹介されていない博物館です。

 その意味で非常に貴重なものですが、何しろここでも博物館の標識にはじまり内部もすべてロシア語とウズベク語(タジク語)です。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 アイニ博物館は、下の地図の真ん中にあります赤い色の屋根の中庭がある建物のなかにあります。前の通りはレシスタン通りであり、地図の外の右上にレギスタン広場があります。


アイニ博物館(赤い屋根の中庭付きの家)
出典:グーグルマップ

 アイニ博物館はソ連革命から冷戦集結前までの約70年の間、サマルカンドに生活し革命的詩人として多くの作品を内外に発表してきたウズベキスタン(タジキスタン)の著名な文化人であり芸術家そして詩人です。 

 アイニ氏はウズベキスタンのブハラで1878年4月27日に生まれ、954年7月15日に死去しています。国籍はソビエト、レーニン賞受賞を受賞しています。

 博物館はアイニ氏の自宅でもあります。

 ウズベキスタンでは、住居は全て高い塀で囲われていて、中庭を囲むように部屋が配置されています。それは正に、メドレセの構造、配置と同じものです。

 下の写真はその中庭です。欧米人はもとより日本人はおそらく誰も来たことがないアイニ氏の博物館、学芸員は大変懇切丁寧に説明してくれました。
,

撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 アイニ氏の詩は世界各国の言語に訳されており、日本語版の訳本もありました。残念なからロシア語もウズベク語も読めず、詩の内容については理解できませんでしたが、この国の人びとに慕われ尊敬されている詩人であるかは十分に分かりましたが。

 下はアイニ氏の肖像画のまで、学芸員と一緒に。


撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下はアイニ氏の肖像を織り込んだ絨毯です。
,

アイニ氏の肖像を織り込んだ絨毯
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 この博物館では、近代から現代にかけでのタジキスタン人(及びウズベキスタン)の一般住宅の構造や間取り、さらに調度品などを間近に見ることが出来ました。

 というのも、アイニ氏の自宅が博物館になっているからです。文物は非常に大切に保存されており、また膨大な写真、さらに書斎、机、筆記用具なども当時そのままで展示されています。

 下はアイニ博物館のアイニ氏の書斎で学芸員と一緒の池田こみちです。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 下は時代物のタイプライターですが、よく見ると活字は英語ではなくウズベク語でした。たとえばeは数字の3のようになっています。
 

撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 以下はアイニ博物館で頂いたパンフレットを池田が日本語訳したものです。

サドリディン・アイニ ホーム・ミュージアム The Home-Museum of Sadriddin Aini
  パンフレットの日本語訳

 この博物館は、作家の前期、後期の活動の拠点となった自宅を保存したものです。

 前期は、1923年〜1937年の間、居住した自宅で執筆した彼の長編及び短編作品である「オディナ Odina」、「奴隷の祖父The Slave Grandfather」、「古い学校 The Old School」「質屋の死 The Pawnbroker's Death」などが執筆されています。

 彼は、また、「Yatim」、「タジク人の英雄テムルマィク The Hero of Tajik People Temurmalik」、「ムカンナ蜂起 The Mukanna Uprising」を執筆し、彼の思い出などを新しい作品にまとめ上げています。

 作家のアイニ氏は質素に暮らしていました。住まいの家財道具はすべてアイニ一家の所有したものであり、革命以前のもので、タジク及びウズベクの伝統的な生活様式を今に伝えています。

 サドリディン・アイニ (1878〜1954)は教育者であり、ブハラにおける新しい方式の学校の基礎を築いた人物でもあります。と同時に、傑出した詩人、かつ作家であり、タジク及びウズベクの近代文学の祖と言われています。

 博物館は、サマルカンド市街の著名な史跡、レギスタン広場のすぐ近くにあります。 アイニは、ブハラからサマルカンドに逃げてきてからこの家に住んでいました。アイニ氏はブハラの地方総督(アミール)の弾圧に苦しんみ、ブハラから脱出した後、ここに落ち着くことができました。アイニ氏は、18世紀後半に建てられた この自宅に、35年以上住んでいました。 (池田こみち訳)

 下はアイニ氏の作品の数々です。

 下から二段目には「ブハラ ある革命芸術家の回想」(発行日:1973年7月14日 アイニ 著、米内哲雄 訳)もあります。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 下は、「ブハラ ある革命芸術家の回想」(発行日:1973年7月14日 アイニ 著、米内哲雄 訳)の表紙です。




 下の写真は、アイニ氏の自宅の一角にある絨毯の上のコタツ(サンドリ)です。まさに日本のコタツと同じです。
 

アイニ氏の自宅の一角にある絨毯の上のコタツ(サンドリ)
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 上のコタツを含む部屋が絵画となっていました。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8 2015-3-3

 なお、帰国後、グーグル検索で調べたところ、アイニ氏については、以下の記述がありました。

ブハラ ある革命芸術家の回想 
 発行日:1973年7月14日 アイニ 著、米内哲雄 訳

 タジック文学創始者として、また祖国建設に生涯を捧げた革命詩人の自伝小説。19世紀ロシア帝政下、圧政に苦しむタジック人民の生活をリアルに描写。

 サドリディン・アイニー(英語:Sadriddin AyniまたはSadriddin Aini、1878年 - 1954年)は、ソ連、タジク共和国(現:タジキスタン)のペルシア語詩人、小説家であり、タジク近代文学(タジキスタン文学)の創始者でもある。ペルシア古典詩人たちの優れた研究論文を発表した。タジキスタンで流通している5ソモニ紙幣に肖像が使用されている。

サドリディン・アイニー【Sadriddin Aini】
 中央アジア、タジキスタンの文学者。ブハラ近郊の農村に生まれ、ブハラのマドラサ(学院、神学校)に学んだ。ブハラ・ハーン国時代には教育改革運動に従事し、ブハラ革命(1920)にも貢献した。革命後はタジク共和国の要職を歴任。著作には同時代のブハラ社会を活写した小説《ドフンダ》(1930)、《回想録》(1949〜54。ロシア語よりの邦訳《ブハラ》)、10世紀以来のタジク文学の精華を集めた《タジク文学精選》(1926)などがあり、タジク・ソビエト文学の創始者とよばれる。」(世界大百科事典 第2版の解説より)

●世界大百科事典内のアイニーの言及【ボロジン】より
 …中央アジアの歴史と文化とに傾倒し,おもにウズベク共和国で活動した。中央アジアの民衆生活を描いた《最近のブハラ》(1931),ティムールの生涯を題材とした三部作《サマルカンドの星》(1953‐73)などのほか、アイニーの回想録のロシア語訳《ブハラ》でも知られる。なお、ロシア史に取材した《ドミトリー・ドンスコイ》(1942)はソ連邦国家賞を受賞した。

●サドリディン・アイニー Sadriddin Ayni(1878年 - 1954年)
 ソ連、タジク共和国(現:タジキスタン)のペルシア語詩人、小説家であり、タジク近代文学(タジキスタン文学)の創始者でもある。ペルシア古典詩人たちの優れた研究論文を発表した。1878年、ブハラ・ハン国にて生まれる。後にブハラで高等教育を受け、教育者になり、教育改革運動に従事する。1918年にアイニーによって作られた『挽歌』はタジク文学最高の詩とされている。


 以下は英語のWikipedeia からの引用です。

◆Sadriddin Ayni   From Wikipedia, the free encyclopedia

 This article needs additional citations for verification. Please help improve this article by adding citations to reliable sources. Unsourced material may be challenged and removed. (May 2012) 


Sadriddin Ayni 

Born Emirate of Bukhara 27 April 1878 (ブハラで1878年4月27日誕生)
Died 15 July 1954 (aged 76) (1954年7月15日死去)
Nationality Soviet Union (国籍、ソビエト)
Awards Order of Lenin (レーニン賞受賞)

Sadriddin Ayni (Tajik: Садриддин Айн?, Persian: also Sadriddin Aini; 27 April 1878 - 15 July 1954) was a Tajik intellectual who wrote poetry, fictional writing, journalism, history and lexicography. He is regarded as Tajikistan's national poet and one of the most important writers in the country's history.

 アイニ氏はソビエト連邦共和国(CCCP)の記念切手に2度もなっていました。


Sadriddin Ayni on a 1958 Soviet stamp. 


Sadriddin Ayni on a 1968 Soviet stamp. 

Biography

Ayni was born in a peasant family in the village of Soktare in what was then the Emirate of Bukhara. He became an orphan at 12 and moved to join his older brother in Bukhara, where he attended a madrasa and learned to write in Arabic.[1]

In the early 1920s Ayni helped to propagate the Russian Revolution in Uzbekistan and Tajikistan. In 1934 he attended the Soviet Congress of Writers as the Tajik representative. By purporting national identity in his writings, he was able to escape the Soviet censors that quieted many intellectuals in Central Asia. Ayni survived the Soviet Purges, and even outlived Stalin by one year. He was member of the Supreme Soviet of Tajikistan for 20 years, was awarded the Order of Lenin three times, and was the first president of the Academy of Sciences of Tajik SSR. After 1992, his writing helped to bind together a sense of Tajik nationalism that survived the collapse of the Soviet Union.

Ayni gave indigenous Tajik literature in Tajikistan a boost in 1927 by writing Dokhunda, the first Tajikistani novel in the Tajik language.His main work is the four-volume Yoddoshtho

Ayni's early poems were about love and nature, but after the national awakening in Tajikistan, his subject matter shifted to the dawn of the new age and the working class. His writings often criticized the Amir of Bukhara. Two recognizable writings include The Slave and The Bukhara Executioners.

Ayni died in Dushanbe, the capital of Tajikistan, where a mausoleum stands in his honor

Demolishing Ayni's House in Samarkand

According to RFERL Tajik Service, Ayni's house in Samarkand is under threat of demolition by the Uzbekistan Government.[2]


つづく