早春・欧州奮闘紀行 ウィーン 青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komchi Ikeda 2006年4月1日 |
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ブラチスラバ (1)〜(5) ウィーン ミラノ コモ セベソ ■4日目(月)つづき 長距離バスは時間通り午前9時30分頃、ウィーンに到着する。 ここでオーストリア航空のチェックイン・カウンターに大きな荷物をチェックイン。 チェックイン 空港からCATというオーストリア国鉄の高速鉄道でウィーン市中心市街地のミッテ中央駅に向かう。 切符の買い方が難しい。最終的に分かったことは大きな額のお札を入れると受け付けないということで、少額紙幣を入れやっと購入できた(苦笑)。 ウィーン空港からミッテ駅までの所要時間は16分。早い。 国際空港と中心市街地がこれほど広い国はそう多くない。しかも、ウィーン国際空港周辺には工業団地はあるが、住宅地はない。 オーストリア国鉄の高速列車でウィーン国際空港駅 ミッテ駅でUバーン地下鉄の乗り放題切符を購入する。 訪問するウィーンの民間大規模焼却工場の待ち合わせ時間にはまだ余裕がある。 そこで、ミッテからステファン寺院駅に行く。ひさびさのステファン寺院。 ステファン寺院駅は、ミッテからすぐのステパンプラッツ、すなわちステファン広場駅で下車。その直前にある。 最初にウィーンに来たときは、ステファン寺院のすぐそばのホテル・グラーベンという年代もののホテルに泊まったことがある。狭くて閉口したが、このホテルは由緒あるホテルとのことだ。 地下鉄のステファン広場駅。寺院は駅の真ん前。 ステファン寺院は、すっかり改修工事が終わって、その全容を外から見えることが出来た。以前来たときは、足場などがあって全容は見れなかった。
今年はモーツアルト生誕250周年記念ということもあり、あちこちでコンサートの切符を売っている。残念ながら焼却炉施設での調査後、午後3時過ぎにウィーンを後にしてミラノに行くので、残念だが今回は、コンサートの切符は買わない(残念)。 このステファン寺院だが、かのモーツアルトとの関連では、モーツアルトがコンスタンツェと結婚式をした場所で有名。 1782年4月のことである。だが、父親レオポルドの姿は、そこにはなかった。父親はその結婚を認めず、ステファン寺院には来なかったのである。 ステファン寺院の真ん前にある奇抜なデザインのビル ウィーン子の間で景観論争の元となったビル。 ここでウィーン市のかなりのゴミを燃やしている焼却施設を現地視察する。この焼却炉にはダイオキシン連続モニタリングシステムが導入されている。 この焼却施設には今回で3回目だ。最初は車で、前回は一人で来た。 降りる地下鉄駅の名前を忘れたので駅の案内所で訪ねる。最初は分からなかったが、私がポンチ絵を書くとすぐにわかってくれ、駅名を教えてくれる。 地下鉄を乗り継ぎスピットロー駅に行く。 この駅の真ん前にユニークな焼却炉が広がる。 下の写真にあるような大きな焼却施設と煙突が駅前にある。この焼却施設のユニークなデザインを見て思い出すひともいるだろう。そうだ、大阪市が大阪港の埋め立て地に何100億円もの大金を叩いてつくったあの焼却炉である。 その大阪市が同じデザイナーにデザインを依頼した。いずれもウィーンのデザイナーが色彩、デザイン等を受け持った非常にユニークな焼却施設だ。 大阪市はデザイン料として1億5千万円を支払ったとされ社会的に問題となっているが、本場ウィーンでは、無料でデザインしたとか。もっぱら、ウィーン市の場合、この種の焼却施設はいずれも民営である。
工場施設視察したあと、工場の担当者と議論。今回の視察では、大阪市で起こっている騒ぎのせいか、会社側のガードが堅い。ビデオをもらい、説明を受けた後、工場内部を見学した後、質疑応答となる。
調査終了後、乗り放題の地下鉄切符で今度はかのシェーンブルグ宮殿に行く。今回で4回目。この日、ウィーンは気温がマイナス2度、体感温度はさらに低い感じで寒い。 前編(2)でブラチスラバ城をマリア・テレサ(テレジア)がつくったといったが、まさにこのウィーンの一大居城、そしてパリのベルサイユ宮殿を模してつくったというこの宮殿は、いつみても荘厳、華麗、往年のハップスブルグ家の力を見る思いだ。 確かにブラチスラバ城と色が同じ。
シェーンブルグ宮殿の庭を見る。結構、ひとはいるが、なにはともあれ寒くどうしようもない。そこで宮殿内のCAFEに入り、ホットカフェオレを注文する。するとでてきたカフェオレが何とブラスチラバで毎日入ったカフェとのものと同じ、ジュリアス・マインだ。この銘柄のカフェオレは確かにここでもおいしい。少々びっくり。 シェーンブルグ宮殿の中にあるカフェ。 ここで飲んだカフェオレは最高だった シェーンブルグ宮殿見学はそこそこに、再度地下鉄に乗り、今度はウィーン市街地北東部のショーテントールとラットハウスに行く。駅名も同じ。 大学があるこのショーテントール駅をでておどろいた。ステファン寺院にまけると劣らない立派な寺院が眼前に建っている。ただし、改装工事中。
改装工事中の寺院の周りには、企業の広告が多数ある。おそらく企業からの広告収入も寺院改修の一助としているのだろう。これは企業メセナ、ピランソロピーとしても大変良いことだと思う。 寺院の前にたくさんの広告が 寺院からラットハウスに向かって歩くと,EUの旗がはためく立派な建築物に出くわす。ウィーンには数多くの国際機関、EU機関がある。おそらくそのうちのひとつだろう。何しろこれも写真のように荘厳、華麗。ただし、ここも大規模改修中。 ラットハウスには大きな公園や国立シアターがある。いずれも高さ制限されていて、景観は秀逸。
日本の大都市のようにあらゆる建築規制を撤廃し、どこでもマンハッタンみたいになり、劣悪な都市景観とは雲泥の差である。 ラットハウス公園の一角にある由緒ある大学の入り口 ここでミラノ行き飛行機の出発時間もあるので、地下鉄でミッテ駅を経由し、国鉄でウィーン空港に行く。この鉄道では行きも帰りも検札が来て切符をチェックした。 空港で約1時間待って、オーストリア空港のちいさなジェット機でミラノに向かう。途中窓から下を見ると、眼下に真っ白な雪を頂いたアルプス山脈が連なっているのが見える。この小さなジェット機はまさにアルプス山脈を横断している。乗客は20名ほど。 ウィーンからミラノはチロル航空の小型ジェット機 眼下にアルプスが広がる。すばらしいパノラマだ。 そうこうしているうちに、イタリアのミラノ、マルペランサ国際空港に到着する。 実に大きな空港だ。空港の6番出口近くでダウンタウン行きのリムジンバスの切符を購入する。5ユーロと安い。 高速空港リムジンバスは超満員。途中からさらに乗ってくる人がいる。 かなりのスピードを出しているが、途中渋滞もあり、ミラノの中心街、中央駅に着いたのは1時間10分後、もうすでに空は暗くなっていた。 ここであらかじめベニス行きの列車のスケジュールをチェックする。早朝から一時間に約1本の割で特急列車がでていることが分かる。 駅から予約してあるホテルにタクシーをとばす。9ユーロ。 ミラノ市は人口が120万人の大都市だ。ホテルがある地区はミラノ市街の南東部で歴史的建造物や遺跡はないようだ。 東京からホテルを探したとき、ミラノは一泊3−5万円の超高額のものばかりが目立った。大学の研究費では到底そんな高額なホテルには宿泊できない。おそらく木賃宿とおぼしきイデアホテルを予約していたが、やはり木賃宿だった。しかし、部屋は広くはないが清潔で寝るにはまったく問題ない。 荷物を置いて、食事にでるがまっくらでほとんでリストランテもない。 唯一あった高級とおぼしきイタリア料理に入り、リゾットとパスタを注文する。いずれも一品、8から9ユーロ。1500円前後。大きなボトルに入った水が1本で2ユーロだ。味は秀逸。ただ、もっと庶民的な店でリゾットやパスタを食べたい。 今日もすごく疲れ午後9時に寝る。 ミラノ編につづく |