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富士五湖、自然と文化・歴史短訪

北口本宮冨士浅間神社3
Kitakuchi-Honguh Fujisengen Jinjya, Yamanashi pref.

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2023年9月30日
 

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)
撮影:池田こみち iphone  2022-9


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 ここでは、北口本宮冨士浅間神社 の歴史、由緒などを紹介する。

◆由緒


 大鳥居 景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになった。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となった。

 天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立した。これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りした。

 古代、富士のような高い山、美しい山は神のおわす山として人が入ることは禁忌であった。よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み祭祀を行う場であった。現在拝殿を囲んでいる巨木はその神域を物語っている。

 時代は下って、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、発展するにつれ、御山に登ること即ち祈り、とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになった。

富士講 

 初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1577)に登山している。

 富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大した。

 中でも大きな団体であった村上講の村上光清師は、藤原角行師の6世の弟子にあたり、享保18年から元文3年までの6年間(1733~1738)で、境内社殿の大造営を行った。現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えている。

 主な社殿は、仁和3年(887)より、藤原当興、北条(左京太夫)義時、武田信玄、浅野(左衛門佐)氏重、鳥居(土佐守)成次、秋元(越中守)富朝、秋元(摂津守・但馬守)喬朝、らによって造営が重ねられた。

 貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として現本殿の西側におうつしされている。現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建で、いずれも国指定重要文化財です。


◆造営の歴史

本 殿  

 元和元年(1615)鳥居土佐守創建、

【一間社入母屋造、向拝唐破風造、檜皮葺屋根、安土桃山様式】

 昭和28年、国指定重要文化財
 幣 拝 殿 元文4年(1739)村上光清師建立、

【八棟造、向拝唐破風造、本殿に接続して全形は権現造】

 東宮本殿 貞応2年(1223)北条義時創建、永禄4年(1561)武田信玄造営

【一間社流造、檜皮葺屋根、室町・桃山様式】

 明治40年、内務省にて国宝指定(法改定により国指定重要文化財、昭和25年)
 西宮本殿 文禄3年(1594)浅野左衛門佐建立

【一間社流造、檜皮葺屋根、室町様式】

 明治42年、上吉田諏訪内鎮座大神社合併
 昭和28年、国指定重要文化財
 諏訪神社 創建未詳、地主神と伝わる
 慶安2年(1649)拝殿建立
 昭和51年本殿再建
 富士吉田市指定文化財

【一間社流造、拝殿、切妻造】


◆浅間大神

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

主な御神徳は安産・火防、富士山の女神。


 大変美しい女神であったため、天孫・瓊瓊杵尊の妻となり、猛火の中で3柱の皇子をご安産なされた故事がある。

 芸能の神、酒造の神、養蚕の神としても信仰を集めてきた。
 その全てにはムスビ(産霊)の御力が通じており、モノを生み出す神であるといえる。

 また、水を司る神であり、転じて交通や流通の神でもある。

彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)

 天照皇大神の孫神様で、天孫降臨をなされ、木花開耶姫命を娶られた。
 三種の神器を現世にもたらした

 神武天皇の曾祖父神様で、昔話で名高い海幸彦・山幸彦の父神様である。

 姫神様と強い絆で結ばれた夫婦神として、夫婦和合・夫婦円満の霊験あらたかである。

大山祇神(おおやまづみのかみ)

 木花開耶姫命の父神様。

 全ての山の神様。

 姫神様のご夫婦と共にお祀りされ、家族の円満を守り導いて下さる。


◆むすひについて

 あらゆるものを生み出す神霊をいい、「産むす霊ひ、産む巣す日ひ、魂むすひ、産むす日ひ、産むす魂ひ」とも表記されます。

 「ムス」は生成発展する意、「ヒ」は霊または神秘的なはたらきを意味し、「ムスヒ」とは「天地・万物を生成発展させる霊的なはたらき」を意味する。

 「ムスヒ」の観念は幅広く、神道においては「神々の生成をはじめ万物の生成発展にかかわる重要な概念」とされている。また、『古事記』の神話から「衰えようとする魂を奮い立たせるはたらきをもつ」信仰があったことがわかります。(参考『神道事典』弘文堂、國學院大學日本文化研究所編)

 ムスビの神としては、高御産巣日神や出雲の結神らが名高いですが、当社御祭神・コノハナサクヤヒメ様の様々に深き御神徳もまた、この一語によってほぼ表せるといえます。

 一、子の生み育て ―――― 子授け、安産、子育て…等
 一、関係を生み出す ――― 縁結び、夫婦円満、良縁…等
 一、産業を興し増やす ―― 起業、事業繁栄、養蚕…等
 一、モノを生み出す ――― 酒造(発酵)、芸術…等

 現代日本の一般的日常生活においては忘れられかけている言葉で、ご参拝の方への説明に苦労することもあるが、日本人の心の中には変わらずあり続ける概念である。例えば「結ばれる」という言葉をめでたく尊いことであると感ずる、ごはんを成形したものを「おむすび」という、などが挙げられる。「おむすび」には命を授かるものとして、お米を尊び、食べることを神聖とする気持ちが込められている。

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