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富士五湖、自然と文化・歴史短訪

河口浅間神社3
Kawaguchi-Sengen Jinjya, Yamanashi pref.

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年9月
 

河口浅間神社(かわぐちせんげんじんじゃ)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2022-9


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河口浅間神社(かわぐちせんげんじんじゃ)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2022-9

河口浅間神社本殿と「大元霊の御額」

富士河口湖町指定 有形文化財

拝殿奥に見える、朱色の社殿が河口浅間神社の本殿です。また、本殿正面に掲額されている「大元霊(おおもとだま)」の額は、醍醐天皇の直筆で、本殿とともに富士河口湖町の有形文化財に指定されています。

本殿と「大元霊の御額」
本殿と「大元霊の御額」
孫見祭りと稚児の舞
毎年4月25日に行われる例大祭で、山梨県指定の無形文化財である「稚児の舞」が奉納されます。「稚児の舞」は、富士山の噴火や地震などの災害を鎮める伝統の舞です。災害を押さえるのではなく、神様が和み穏やかになって欲しいと祈願する舞です。

「稚児の舞」が奉納されると、神主や神輿の行列が産屋ヶ崎神社までの道をねり歩きます。

太々御神楽祭

毎年7月28日に行われる太々御神楽祭(だいだいおかぐらさい)でも「稚児の舞」が奉納されます。舞いは全部で5番立ですが、4月に行われる孫見祭りでは前半の3番のみが奉納され、7月の太々御神楽祭では5番全てを午前から夕方にかけて奉納します。

御幣(ごへい)の舞 – 2人または3人舞。御幣を採物にする。
扇の舞 – 2人または3人舞。採物は扇。
剣(つるぎ)の舞 – 1人舞。採物は剣。
八方(はっぽう)の舞 – 2人舞。採物は御幣。最も複雑な動きを見せ、八方向を清める舞。

宮めぐりの舞 – 8人舞。採物は扇。拝殿から本殿前にかけてを3廻りし、本殿前の浜床に並んで舞い納める。

稚児の舞奉納の祭典

この祭りは貞観六年の大噴火の際、穢れ(けがれ)を知らぬ童女の稚児達が浅間様の荒神霊をお慰めしたもので、古くからのしきたりに則り舞を奉納します。氏子の中で、両親の健在な七、八歳の童女で衣装は白衣の上に緋の千早(ひのちはや)、差祓(さしぬき)をまとい、上には錦織の陣羽織、緋の襷(ひのたすき)を懸け、頭には誠を捧げる意味の熨斗紙(のしがみ)を着し、舞瓔珞(まいようらく)を戴きます。


河口浅間神社  河口の稚児の舞 の解説
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2022-9

 以下は稚児の舞の動画(youtube)


稚児の舞の動画(youtube)  出典:山梨県

御由緒

例大祭:4月25日(孫見祭)

太々御神楽祭:7月28日
人皇第五十六代清和天皇の御宇、貞観六年(864年)五月富士山大噴火の事あり、富士山北面に在った大湖、剗の海(現在の青木ヶ原流域)埋没す。この様な大噴火の為、時の住民は甚大な災害を被く。此の事、甲斐の国司、橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観七年十二月九日丙辰の勅命により、富士山の神、浅間明神を此の地に奉斎、擬の大領-無位伴直真貞公を祝に、同郡の人伴秋吉公を禰宜に任じ、富士山噴火の鎮祭を行う。これ当神社の御創祀である。延喜の制により名神大社に列せられる。

身曽岐祭

身曽岐(みそぎ)とは心身ともに洗い清めることで、大祓の行事です。同日8月5日に行われる河口湖湖上祭の起源となっている祭事で、古くは毎年旧暦の6月30日に行われていました。産屋ヶ崎にて神事の後、氏子の幸せを祈願し身曽岐は湖に流されます。身曽岐祭は御筒粥の神事とともに特殊神事として古い伝統に基づいて執り行われています。元は富士山信仰の道者の来訪時期に合わせ、富士登山前の身の清めとして行われたと考えられており、富士山と地域の結びつきがうかがえます。

祭事の様子

七本杉(ひちほんすぎ)
社殿周辺にある7本のスギの神木は、1958年に山梨県指定天然記念物となりました。



Mishirushi
1.御爾(みしるし)
2.Ubuya, 3.Reikaku, 4.Shinmen
2.産射(うぶや) 
3.齢鶴(れいかく)
4.神綿(しんめん)
5.6.Futahashira
5.6.父母(ふたはしら)
7.Tenjo
7.天壌(てんじょう)


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