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再稼働第一号問題に揺れる

薩摩川内市訪問

  池田こみち

掲載日:2014年6月1日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁



 真夏日が続く5月末の5日間、鹿児島県薩摩川内市に出かけた。

 2012年6月に災害瓦礫広域処理の問題で鹿児島市内での講演を行うために立ち寄って以来2年目の帰郷となる。


鹿児島県 薩摩川内市   出典:グーグルマップ


 今回の訪問の目的は、叔母(84歳)を連れて、祖父母のお墓参りと山の管理について森林組合に確認するという個人的な用事に加えて、再稼働問題に揺れる薩摩川内市の状況について、九電川内原発や薩摩川内市役所などを訪問し情報収集することだった。


写真: 九州電力川内原発写真 
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 丁度、滞在期間中の29日に南日本新聞が川内原発事故時の放射性物質拡散シミュレーション結果を掲載したため、急遽川内市議の方々にもお目にかかることになった。

◆川内原発原発事故時避難計画 放射性物質拡散考えず(PDF) 南日本新聞


●薩摩川内市の概要

 平成16年10月12日、川内市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村が合併し、新たに「薩摩川内市」が誕生した。今年平成26年は新市誕生から10周年の記念すべき年となる。

 川内市は鹿児島市に次ぐ県内第二の都市として発展してきた。主要な企業としては、中越パルプ工業や京セラなどが進出している。しかし、現状は人口も10万人を割り込み、衰退を余儀なくされている。

 昭和39年に川内市議会が原発誘致を決議してから半世紀、この間、電源三法の交付金で市財政は潤ってきたはずだが、道路など一部公共施設の整備は進んだものの、先に視察した青森同様、高齢化、過疎化に歯止めはかかっていない。市民生活が豊かになっている様子も見られない。


写真:衰退する川内市中心部1
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:衰退する川内市中心部2
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 そんな折、3.11以降、停止していた全国の原発の中でも川内原発が最も再稼働の現実味が高くなってきて薩摩川内市への関心が高まっている。


写真: 川内原発に関するテレビニュース
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真: 川内原発に関するテレビニュース
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真: 川内原発に関するテレビニュース
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

◆薩摩川内市の概要

 薩摩半島の北西部に位置し、南は県都鹿児島市といちき串木野市、北は阿久根市に隣接する本土区域と、上甑島、中甑島、下甑島で構成される甑島区域で構成されています。

 東シナ海に面した変化に富む白砂青松の海岸線、市街部を悠々と流れる一級河川「川内川」、藺牟田池をはじめとするみどり豊かな山々や湖、地形の変化の美しい甑島、各地の温泉など、多種多様な自然環境を有しています。

 本市が有するこれらの多彩で美しい自然環境は、川内川流域県立自然公園、藺牟田池県立自然公園、甑島県立自然公園に指定され、人々に親しまれています。

・総面積:683.50km2(本土564.75km2/甑島118.75km2)

・総人口:96,809人(平成26年4月1日現在)

薩摩川内市Webより

 「帰郷」と言っても、私は東京生まれの東京育ち、ただ、父方祖父母と母方の祖父の生まれが薩摩川内市(旧薩摩郡を含む)のため、小さい頃から私の田舎は川内だった。

 今では祖父母も両親も亡くなったが、川内には祖父母のお墓もあり、今も祖父母が残した山や田んぼも残り大切に管理されている。また、高齢の親戚や従姉妹もいるので原発問題は私にとって人ごとではない。


写真:管理人ご夫妻
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:廃屋
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 小さな谷津田で細々と稲作を続け、管理をしてくださっている方にお話しを聞くと、昔はせいぜいイノシシくらいだったが、最近ではイノシシよりシカの出没が多くなり、山の木を荒らすということで捕殺のために多くのハンターが山に入っているという。猿も見かけることがあるようだ。


写真:山の写真 
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:田んぼの写真 
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 ちょうど5月の末は、6月の田植えに向けて稲の種(籾)を撒いて苗を作る作業で忙しい様子だった。田んぼの畦を整備していたら、マムシが出てきて早くも2匹を鎌で殺したとのこと。昔はマムシを買い取る業者もいたがそれも今ではなくなっているようだ。

 祖父母の家は廃屋同然だが、叔母や私にとっては懐かしい場所でもある。


写真:種撒きの写真 
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 原発について聞いてみると、この地域は原発から10km弱の中山間地にあり、人口は700名に満たない。少子高齢化が著しい地域である。市役所から原発事故時の避難先についての資料が配付されたので、部落で避難先の湧水町(30km圏外)にマイクロバスで模擬避難をしてみたが、平常時でも1時間以上かかり、実際の事故時には渋滞も起こるだろうし、どうなるのか不安だと話していた。

 また、原発に反対の声もあるものの、原発関係に就職している人も多いことからなかなか声を上げられない状況であるとも話していた。避難先は湧水町立の体育館で、福島のことを思い出しても、80歳を超えた高齢者が車で避難し体育館での避難生活に耐えられるかどうか、という不安も広がっていた。何よりも、市の情報提供により、かえって、この地区の避難先は「湧水町」と固定的に考えていることに対して疑問を感じざるを得なかった。


写真:原発反対の看板
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:原発まちづくりの看板
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400
         
 山や田んぼなどの様子を見て、私たちは親戚の竹屋(川内高城温泉)に行って汗を流した。ここは、800年の歴史を持つ、鹿児島県内で最も古い温泉として有名であり、西郷隆盛も足繁く通ったとされている。その泉質と豊富な源泉は今も訪れる人を癒やしてくれる。


写真:竹屋 1
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:竹屋 2
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真:竹屋 3
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

つづく