エントランスへはここをクリック   

ブログの思想
〜エリック・ホッファー〜



佐藤清文

Seibun Satow

2007年4月11日


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「常に勉強を続けるのは結構だが、学校通いはいけない。老人になってABCだなんてばかげている」。

ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー』


200691

 久しぶりに、エリック・ホッファーの『波止場日記』(みすず書房)を読む。これは、19586月から翌年の5月にかけて書いた日記が1963年に出版されたものである。

 この間は彼にとって転換期に当たる。彼は自己の危機に陥り、著作を出版していない。その後、自己から同時代の考察へと認識を発展させ、再び本を刊行していく。

 出版の翌年、ホッファーはカルフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授となり、さらに1967年には彼の対談がCBCテレビで全米に流され、大きな反響を巻き起こす。

 ホッファーが60年代に流行したことは、アメリカがアイデンティティを模索していたからだろう。911以降、再度ブームになったのも同じ理由からである。

 けれども、911の後、アメリカは独立心よりも、忠誠心が重要になっており、それは必ずしもホッファー的ではない。

 ホッファーは「知識人」を厳しく糾弾する。額に汗して働くこともせず、自分たちが国を動かしているという自惚れを持った連中が気に食わないからだ。

 私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一人であり、世の中の出来事の方向と形を与える神授の権利を持っていると思っている人たちである。

 知識人であるためには、よい教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである。

 知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることのほうが大切なのであり、無視されるくらいなら、むしろは迫害を望むのである。

 民主的な社会においては、人は干渉をうけず、好きなことができるのであるが、そこでは典型的な知識人は不安を感じるのである。彼らはこれを道化師の放埒と呼んでいる。そして、知識人重視の政府によって迫害されている共産主義国の知識人を羨むのである。

(エリック・ホッファー『波止場日記』序)

 これは出版業界にも言える。知名度は絶対値として認められる。正、すなわち名声であれ、負、すなわち悪名であれ、さほどの違いはない。無視されるくらいであれば、編集者や作家は顰蹙を買うほうを選ぶのであって、売らんがために記事を掲載するわけではない。「知識人」の心性はこうしたものだろう。

 ホッファーは、『現代という時代の気質』(晶文社)で指摘している通り、「大衆の時代」だからこそ、知識人意識はかつてないほど強まっている。身分制が解体し、平等化されていけばいくほど、自らをピラミッド型の秩序の上位に置くことは難しくない。

 近代以前はピラミッド型の社会であるが、近代は正規分布曲線の社会であって、各国や各地域は正規分布曲線の平均と標準偏差に異なりが見られる。知識人はこの標準分布をピラミッド型へと変更しようとしている。他人との違いが小さいがため、過剰にエリート意識が生まれやすい。知識人は大衆の時代を認められない者たちである。

 知識人は自分が大衆を指導する特別の存在だと確信している。しかし、大衆は問題に直面したとき、その総体によって取り組むのであり、知識人の指図は余計なお世話にすぎない。ホッファーは、『波止場日記』の中で、8時間交代制をめぐる組合の集会の様子をこう書いている。

 「いく人かの発言者についていえば、彼らはただの沖中士にすぎないが、国連代表、あるいは、どんな困難な交渉の代表にしてもひけをとらない人たちである。普通のアメリカ人は組織のこまかな問題に反応を示し、こまかな点に鋭い独創性を発揮する」。

 ところで、50年代の波止場と言えば、エリア・カザン監督の『波止場』を思い出す。しかし、ホッファーはマーロン・ブランドには見えない。

 ホッファーは自由を愛し、指図されることが大嫌いで、束縛されるのもするのも望まず、へそ曲がりというクリント・イーストウッドが演じるようなアウトローだ。イーストウッドと言えば、彼を見ると、エイブラハム・リンカーンを思い出す。是非一度その役をやってもらいたいものだ。

 夕食には、ハムとソーセージのジャンバラヤにツナとポテトのサラダを作る。正直、ケイジャン料理が一番得意だ。

200692

 今、エリック・ホッファーが生きていたなら、ブロガーになっていただろう。と言うよりも、彼はブログの思想を先取りしている。時代はようやく彼に追いつきつつある。

 今の世代は「ウェブ
2.0」と呼ばれているが、ウェブはこれからも変化していくだろう。しかし、それはホッファーの先見性を気がつくこととなるに違いない。

 『波止場日記』を読んでも、ドラマティックな出来事はあまり見当たらない。

 トルシュタイン号にて八時間。この仕事終る。

 戻ると、「ニューヨーク・タイムズ」から兄弟愛についての論文の原稿料として三百ドルの小切手が届いていた。論文を発送したとき、私は出来栄えに満足していなかった。

 実際のところ、採用されるとは思わなかった。今読み直してみると、その長所がわかる。そして、懸念していたよりもよかったという事実によって、今後私は自信過剰になりそうである。当然不安に思わなければならないことをも無視してしまうかもしれない。

(一月三十日)

 第四五A埠頭、ロッホ・ロイヤル号、十時間。楽だが退屈な仕事。板ガラスの大きなクレート。パートナーは意欲はあるが無能なニグロ。終日何一つ考えなかった。

 今朝早く頭に浮かんだのだが、私はこれまで一度もお祈りをした経験がない。マホメットが彼にとってこの世で特に大切なものが三つある、と言っていたのを思い出した。女、心地のよい香、そして彼の心の最高の慰めである祈り。

(二月九日)

 「ありふれた日々の出来事が歴史に光を当てることがあると知ったとき、私はこの上ない喜びを感じた。たぶん、書かれた歴史が抱える問題は、歴史家たちが古代の遺跡や古文書から過去への洞察を導き出し、現在の研究からは引き出していないということにあるのだろう。

 私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現在が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。大半の歴史家は、目の前で起きていることに興味を示さないのだ」
(ホッファー『ホッファー自伝』)

 ブログは深刻な話題よりも、書き込みやすいため、小さなものの方が好まれる。しかし、「考えることと書く行為の間には千里の隔たりがある」(『現代という時代の気質』)。

 ホッファーが本格的に書き始めるには、
1936年の終わり、ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』との出会いがなければならない。彼はその叙述スタイルを参考に、主にアフォリズムを使って、思索を書き記していく。

 多くのブログが示している通り、断片的な認識が本質的な議論に繋がらないこともしばしばである。ブログは敷居が低いため、批評でなく、感想や評論であることが少なくない。

 もちらん、中には、驚くほどの卓見もあるけれども、批評はなかなか見当たらない。感想は印象であり、評論は解説であるが、批評は判断である。英語であれば、感想は
”impression”、評論は“view”で、批評は“criticism”となろう。批評は論ずる対象や自分自身の社会的・歴史的位置付けが欠かせない。

 ネットは大衆化し、草の根によって支えられている。草の根レベルに浸透してこそ、それは普及したと言える。この大衆の社会はホッファーの理想でもある。

 出発点が感想であろうと、評論であろうとも、構わない。おそらく、ホッファーも、最初は、そうだったろう。彼は自己をめぐって考える小さな思想家だ。しかし、その小さな自己からスタートして、社会や歴史という大きな問題と結びつける。

 ブログの思想はこうあるべきだろう。「自分自身との対話をやめるとき、終わりが訪れる。それは純粋な思考の終わりであり、最終的な孤独の始まりである。

 注目すべきは、自己内対話の放棄がまわりの世界への関心にも終止符をうつということだ。われわれは、自分自身に報告しなければならないときだけ、世界を観察し考察するようである」(ホッファー『人間の条件について』)。

 夕食はメキシコ料理にする。メカジキのベラクルス・ソースに、タキートス風サラダ、アボガドと鶏肉のスープを作ったが、出来栄えには不満が残る。

200693

 西川長夫=松宮秀治の『「米欧回覧実記」を読む―1870年代の世界と日本』(法律文化社)に惹き込まれる。学生が批評的読解の参考として欲しいような本だ。手にとったのは偶然にすぎない。「私の知るかぎりでは、人生は偶然の十字路であるゆえにすばらしい」(『波止場日記』)

200694

 朝から晴れ渡り、洗濯にはもってこいの日だ。朝食には、この秋初めての生秋刀魚の塩焼きだったが、今秋は豊漁と予測されているので、これからは頻繁に食卓に並ぶだろう。

200695

 午後から、知人と『パイレーツ・オブ・カリビアン2』を丸の内ピカデリー1で見る。座席はK-23にしたが、さすがに海洋物をK19で見る気にはならない。

 船が漂う者たちの二重の比喩となっている。彼らは海だけでなく、生と死の間も彷徨っている。生きてもいなければ、死んでもいない。

 ホッファーは、1902725日、ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。他に、マーサ・バウアーという女性が同居している。7歳のときに、母と死別すると同時に、視力が失われ、15歳になって、突然、回復している。

 この視力障害のため、正規の学校教育を受けていないが、それを取り戻すかのように、一日中、本を読む生活を送る。
1919年、マーサがドイツへ帰国し、翌年、大工兼家具職人の父が亡くなる。

 ホッファーの家系は短命の人が多く、自分も40歳まで生きられないだろうと信じ、制約の多い工場で働く気にもなれなかったが、さりとて他人の好意にすがりたくもなかったので、父の遺してくれた300ドルを手に、とにかくニューヨークを出る決心をする。

 ロサンゼルスのドヤ街にたどり着いたホッファーは、そこでさまざまな職に就くが、1930年、28歳のとき、先の見えない単調な生活に嫌気がさし、自殺を試みる。

 命をとりとめた彼はロスを去り、カリフォルニアを中心に、移動労働者の生活に入る。黄金の
20年代は終わり、アメリカ人の4人に1人が失業者という恐慌期、暮らしぶりはひどいものである。

 1934年の冬、ホッファーは、独身の失業したホームレスを収容する連邦キャンプの中で、自分を含め、ここにいる人たちに共通点があることに気がつく。それは社会の秩序に適応できない「不適応者(misfit)」だということである。白人や黒人、北部人や南部人といった区分でしか人間を見てこなかった彼だったが、この瞬間から、思想家への道を歩むことになる。

 金と暇の余裕ができると、図書館に足を運んで、本を片っ端から読み、気に入った文章をノートに書き写すようになる。その後、アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンに代表される左右の急進主義の台頭はホッファーにショックを与え、自分の思索もノートにまとめるようになっていく。

 1941年、アメリカの参戦を機に、ホッファーは軍隊に志願するが、ヘルニアのため、採用を拒否される。その代わり、彼は、サンフランシスコで、沖中士の職に就く。この仕事はきついことで知られていたけれども、彼の生活スタイルにはあっていたようで、1967年に引退するまで、続けている。

 自由があって、読書や思索をするだけの有閑を可能にする収入もあり、身体がなまらないための運動までできる。こうした暮らしの間に、彼の著作はアメリカに好評をもって迎えられ、その名声が確立している。

 1983520日、予測の倍以上の年月をこの世ですごし、81歳であの世へと旅立っている。「死は、それが一ヵ月後であると、一週間後であろうと、たとえ一日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ」(ホッファー『情熱的な精神状態』)

 映画を見終わった後、銀座のタイ料理店ティーヌンに入る。青パパイアのサラダやトムヤンクン・ラーメン、生ビールなどを注文する。鼻の脇から汗が噴出す。

200696

 後藤田正純金融・経済財政担当政務官が消費者金融の金利をめぐる金融庁の改定法案に反対して、辞任したという報道をテレビで目にする。

 今春、最高裁がグレーゾーンを違法と判決を下したが、それをわざわざ後退させる内容の法案だ。判例は消極的規制であって、抑止にはなるとしても、やはり弱い。法律による規制には拘束力がある積極的な強制であり、それが必要だ。

 アングロ・サクソンの法体系は慣例法が中心であり、その基本は、当然、抑止であって、強制ではない。最低限、判例を法律で補完しなければならないのに、この動きは極めて悪質である。

 日本社会はデフレに苦しんできたが、デフレは借金を相対的に増やすのであって、その点でも、こうした高利は問題である。「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」は、古代ローマ以来、金の貸し借りに対して適用されてきたけれども、今日の日本ほどこれが拡大解釈されている社会は歴史上ない。消費者金融の20%以上の年利は多くの社会問題を誘発している。

 平成
15年版の犯罪白書によると、不明を除いて、消費者金融から借金をしている者が強盗群の66.1%、そのうち多重債務者は消費者金融からの借入れがある者の57.9%を占めている。また、年間3万人を超える自殺者の中にも消費者金融からの借金を苦にした人が少なからずいると推測される。この現状と照らし合わせるなら、ウィリアム・シェークスピアの『ベニスの商人』のシャイロックも慈悲深く見えるほどだ。「悪魔でも聖書を引くことができる,身勝手な目的にな」。

 シャイロックは、『ベニスの商人』により、歴史上最低の悪徳金貸しとなってしまったが、これは明らかにユダヤ人差別である。ユダヤ人はトーラーとタルムードの二つを守らなければならない。前者は律法、すなわちモーゼ五書を指し、後者は律法学者が決めたユダヤ教徒として従うべき日常生活や商取引などのルールである。

 この二つを共通基盤としているため、ユダヤ人はお互いを信頼して金融や商業のネットワークを形成できる。そのタルムードで、ユダヤ教徒がとっていい利率は
3%までと決まっている。シャイロックが今の消費者金融を見たらこう言うに違いない。「いかなる悪徳も外面にはいくらか美徳の印を見せている。それをせぬような愚直な悪徳はかつてない」。

 「高邁な理想に身を捧げた無慈悲な人よりも、玩具に夢中になっているが、同情心をもちうる人に世界をまかせたほうがよい」(『情熱的な精神状態』)

200697

 昨日の出産により、皇位継承問題は静まり返っている。笠原英彦の『歴代天皇総覧』(中央公論新社)によると、現在の天皇は、途絶えたために閑院宮家から迎えた養子の7代目にあたる。この閑院宮家は、皇統が断絶する可能性を踏まえて、新井白石が考案した宮家であり、現在はすでに絶えている。この養子以来、尊王論が高まり、明治維新がおきるが、近代に入ると、天皇をめぐる厳しい規則が定められ、むしろ、皇統が途切れる危険性は高まってしまう。

 「変化という試練」をホッファーは強調する。ドラスティックな変化は人からアイデンティティを奪い、ミスフィットを生み出す。そうした変化に対応できない物たちは自尊心を回復するために、「情熱的な精神状態」に陥り、急進化し、革命やクーデターに向かう。革命が変化をもたらすのではなく、変化が革命を引き起こす。

 この「情熱的な精神状態」は青年期的ないし思春期的である。人間は子供から大人へと成長していくが、特にその時期は変化が急激である。変化にアイデンティティを奪われると、人はその青年期の精神状態へと舞い戻ってしまう。

 「保守主義は、往々にして不毛性を示す一兆候である。成長し発展しうるものが内面にないとき、人はすでにもっている信条、観念、財産にしがみつく。不毛な急進主義者もまた、基本的には保守的である。彼らは自分の人生が空虚で無駄なものだとみられたくないため,青年期に拾いあげた観念や信条から脱皮するのを恐れている」
(『情熱的な精神状態』)

 この精神状態は自己からの逃避、すなわち自己嫌悪によって生まれる。「世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある」(『波止場日記』)。イデオロギーはこの自己逃避が現実を把握するために選ばれるのであり、現実認識は心理的現実にほかならない。自己嫌悪のミスフィットは、その認められていない自身への怒りから、世界の破戒による救済にとりつかれ、「狂信者(True believer)」となる。

 「あらゆる大衆運動は、その支持者の内部に死の覚悟と統一行動への傾向を生み出す。あらゆる運動は、どのような主義を説こうと、どのような綱領を打ち出そうと、狂信、熱狂、熱烈な希望、憎悪、そして不寛容を育てる。運動は全て生活の一定の分野における活動の力強い流れを放出することが可能である。

 そして運動は全て、盲目的な信仰と一筋の忠誠を要求するのである。あらゆる運動は、異なった主義と熱望とを持っているのにもかかわらず、その初期の支持者を同じ類型の人間から引き出してくる。運動は全て、同じ類型の心の持ち主の興味をひくのである」
(ホッファー『大衆運動』)

 ホッファーの言う「変化」は移民や都市への移住、失業、引退、階級の没落、途上国の近代化などを指している。それは特別ではなく、日常的であって、変化のない方が特殊な状態である。

 これはニュートン力学の運動と静止に関する前提と同じであり、省みられてこなかった点であるが、ホッファーが近代主義者であることを端的に表わしている。

 近代は変化に強いられているのであり、いつでも「情熱的な精神状態」に陥る危険性が潜んでいる。それは、いわゆる実社会に限ったことではない。ネットの掲示板やブログが情熱的な精神状態に覆われ、青年期的な破戒衝動が爆発することも稀ではない。禁欲的であることを思い起こさねばならない。「われわれは、自分自身に対する不満の種を見つけるや否や、奇妙にも、執拗で声高な一連の欲望にかられてしまう。

 欲望とは、好ましからざる自己から強引にわれわれを引き離そうとする遠心力の表現なのであろうか。自尊心が強まると、通常、欲求は減退するものだが、自尊心が危機に陥ると、多くの場合、自己規律は弱まるか、完全に崩壊してしまう。禁欲主義は、往々にして魂の化学反応を逆転させようとする意識的な努力である。つまり、われわれは欲望を抑制することによって、自尊心を再建し強化しようとするのである」
(『情熱的な精神状態』)

200698

 ホッファーは、モンテーニュを代表に、ブレーズ・パスカルやアレクシス・ド・トクヴィル、エルネスト・ルナン、アンリ・ベルクソンなどフランスの思想家に影響を受けている。彼は「個人的なものの下に常に人間の条件の普遍的形態を看破させようとし(略)真実を演繹もしくは形而上学ではなく、直接的な接触によって捉えようとする」(フォルテュナ・ストロウスキー『フランスの智慧』))系譜の継承者である。

 モラリストから影響を受けたのは、ホッファーが近代趣旨者だからである。彼はフランス革命に由来する近代の理念「自由・平等・友愛」に忠実である。これらは同一の概念ではないので、時に、対立しさえするが、禁欲的な自律において調停される。

 しかし、それには困難が伴うため、耐えきれず、しばしば、自由を犠牲にして従属を選びとってしまう。「自由に適さない人々、自由であってもたいしたことのできぬ人々、そうした人々が権力を渇望するということが重要な点である。

 
()

 
もしもヒトラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたなら、もしもスターリンが一流の理論家になる能力を持っていたなら、もしもナポレオンが偉大な詩人あるいは哲学者の資質をもっていたなら、彼らは絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう。()自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する」(『波止場日記』)

 人がこうした状態に走ってしまうのは、「自尊心」を失ったからである。「その理由は何であれ、自尊心が得られないとき、自律的個人は、きわめて爆発的な実体と化す。かれは、将来性のない自我から身をひるがえし、自尊心にかわる爆発的代用品たるプライドの追求という新しい冒険にとびこんでいく。

 すべての社会的混乱と激動は、その根底に、個人の自尊心の危機がある。大衆が最もたやすく統合される偉業も、基本的には、このプライドの探求である」(『情熱的な精神状態』)。ホッファーは「自尊心」と「プライド」を区別しているが、後者はルサンチマンが引き起こした感情である。

 この「プライド」探求にとりつかれるのが、ホッファーによれば、「知識人」である。フランス的な思考スタイルとアメリカの愛国者であることは、矛盾ではない。フィリップ・ソレルスはユートピアに幻滅した後、アメリカに現実的処方箋を見出している。ホッファーがアメリカを「大衆」の国と賞賛するのは。大衆が近代の理念を体現しているからである。それが大衆の中で実現しているのに、知識人が台無しにしようとする。

200699

 部屋の掃除をして、熱力学第二法則、すなわちエントロピーを実感する。

 雨が多いという予報のため、荻窪西友で食料品の買い溜めをする。右腕が痛い。ブラックタイガーが一尾19円と安く、24尾買う。

 午後、マーケット・ストリートを歩きながら、有名店でもへたなごまかしをやっているのに腹をたてた。二十年前にはドヤ街のいかがわしい商人だけがやっていた古くさいトリックだ。今ではすべての店がやっている。

 腹ただしいのは、このトリックがきくのである。一ドル九十九セントの定価がついていると、一ドルとちょっとだと思ってしまう。私にはものごとを警戒の目で見る習慣はないが、このようなごまかしの蔓延は、腐敗の広がりのように思われる。

(『波止場日記』)

 さすが心理的倒錯に鋭敏な作家だけのことはある。

2006910

 予想通り、この一週間の朝食はほとんどが秋刀魚を口にしている。今日、CATVで『用心棒』を見直す機会があったが、黒澤明よりも、小津安二郎を思い出す。

2006911

 今朝、恐怖を覚えるほど激しい雷雨だったが、午後1時すぎ、それを忘れさせる事件が起きる。新手の振り込め詐欺の電話がかかってくる。

 荻窪税務署を名乗る30歳代くらいの男が、「所得税の還付」があるので、本当は「受付は818日に終わっている」けれども、今手続きをすれば大丈夫だから、「携帯電話かキャッシュカード」を手元に用意して欲しいと言う。

 わかる人なら、この中に間違いが結構あることに気がつくだろう。おかしいと反論すると、郵便で書類を送ってもいと答える。

 そこで、「確認したいことがあるので、電話番号を教えてくれないか」と尋ねると、突然電話が切れてしまう。

 その後で、荻窪税務署に電話をしてこういうことがあったと言うと、総務の担当者が、今日、他でも税務署を騙った振り込め詐欺があったと教えられる。どういう手口だったかを覚えている限りで話すと、名乗った氏名まで同じだと言う。すでに被害にあった人もいる。

 手口が巧妙になっている。

 「他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くを持っていないのだ」(『情熱的な精神状態』)。

つづく