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「この物語を読むとき、しばしば私の脳裏をよぎるのは、旧約学とキリスト教伝道に人生を捧げるようにして生きた亡父・正雄の書斎に、レンブラントの『イサク献供』の絵が飾られてあったことである。子供心に気味の悪い絵だったが、長じてその絵の意味を知るに至っては、父の信仰のために殺されていたかもしれない、これはたまったものではなかった、と息子の身としては嘆息したものである」。 関根清三『旧約聖書と哲学』 第一章 二つのアプローチ 現在まで伝わっている最古の文字文学は古代オリエントに起源を持っている。『タナフ』あるいは『旧約聖書』と呼ばれている作品群もそれに含まれる。けれども、その原典は存在していない。今日、それとして知られているテキストは写本に基づいている。レニングラード写本やアレッポ写本など現存する中世の諸写本に保存された本文を「マーソーラー本文」と呼んでいる。この本文編纂の完成期のヘブライ語写本が定本になっている。しかし、長い年月の間に、原意が不明の語や誤写、写本の破損によって意味のよくとれない箇所を多く含んでいる。第二次世界大戦後まもなく発見された死海文書はマーソーラー本文の信頼性を確認させたものの、この原意の問題がそれによって解消されてはいない。 関根清三東京大学教授は、『旧約聖書と哲学』(2008)において、旧約聖書へのアプローチには歴史学的と哲学的の二つがあると言っている。その歴史的アプローチは、分析のレベルの違いによって、本文批判・文書批判・伝承史的研究・編集史的研究・様式的研究・伝統史的研究に区分され、「歴史的意味規定」を目標とする。 まず、本文批判は各種の古代語訳や写本を照らし合わせ、文法・語彙・表現を分析して原典を確定する作業である。次の文書批判は各本文から形成される全体との関連を吟味しつつ、個々の主題・文体などを検討し、その特質のある単元を規定する作業である。旧約聖書は文書化される以前に口伝伝承の時期を経ていると想定されている。この諸段階と歴史的要因の関連、伝承の姿を明らかにするのが伝承史的研究である。こうした口承が文書化され、加筆・補足・註釈などの編集過程を通じて現在の定本に至った行程を探求する編集史的研究である。その際、作者や口承者、編集者は彼らが属している集団の文学的規範に則り、類型的に語り、記されていたとして、それを浮き彫りにするのが様式史的研究である。最後の伝統史的研究は、彼らが前提としていた精神史的・文化史的・思想史的な背景伝統と認め、それらの中で何に基づいて本文を形成していったのかを用語のレベルまで及んで考察する作業である。 『創世記』・『出エジプト記』・『レビ記』・『民数記』・『申命記』のモーセ五書は、ユダヤ教では、律法、すなわちトーラーと呼ばれる。紀元前400年頃までに経典として確立し、ユダヤ人のコミュニティにおける生活の根本規範が記されている。ただし、律法が預言書・諸文書と共にユダヤ教の三分冊の経典と最終的に認められたのは、紀元132年から135年に亘って続けられたローマに対する第二ユダヤ叛乱の後のことである。地下に潜っていたり、国外に逃げていたりしていたラビが下ガラリアのウシャに集結し、その会議の場で決定されている。ローマによる迫害がユダヤ教徒にそのアイデンティティの確認・強化をもたらし、加えて、イエスによるユダヤ教改革運動として興ったキリスト教との論争にも臨む必要があったからである。 1711年、ドイツの牧師H・B・ヴィッテル(Henning Bernhard Witter)、1756年、それとは別個にかつもっと徹底してフランスの医師ジャン・アストリュック(Jean Astruc)が 『創世記』で神の呼称が「ヤハウェ」と「エロヒム」の二種類あることを指摘する。「ヤハウェ」は神の名前であり、「エロヒム」は神を意味する普通名詞の複数形であるが、動詞の活用が三人称単数で固有名詞的に用いられている。また、二章と三章において「ヤハウェ神」という用語が用いられている。微妙に統一性が損なわれている。モーセ五書の中に違った神の呼称を使用する二種類の資料の存在が推測される。なお、日本語訳では、「ヤハウェ」は「主」、「エロヒム」は「神」と当てられることが多い。 ヴィッテルやアストリュックを含む聖書に対する批判的研究者たちは、成立年代の違ういくつかの資料が編集されて現行になったのではないかと考え、ユリウス・ヴェルハウゼンが文書仮説として大成する。紀元前10〜前9世紀に成立したとされるヤハウェ資料層(J資料)、紀元前9〜前8世紀にまとめられたと見られるエロヒム資料層(E資料)、紀元前8〜前5世紀に編纂された申命記的資料層(D資料)、紀元前6〜前5世紀に書かれた祭司資料層(P資料)とに大きくわかれ、そのうち、紀元前722年の北王国滅亡後にJとEを編集・結合したのをJE資料と呼ぶ。これらの四大資料の分類・分析に批判もあるけれども、律法研究における重要な共通理解である。 旧約聖書学の専門家の間でこうした歴史的アプローチが主流であるのは、当然であろう。アカデミズムは、構成員が研究成果を共有し、それを今後に生かしていく場である以上、実証性や検証可能性が重視される。 近年、関根教授によると、注目されているのが「地平の融合・解釈の葛藤を旨とする」」哲学的アプローチである。ニュートラルな読者が一般的方法論に則って検証可能な歴史的意味規定に到達することなどあり得ない。と言うのも、読み手には固有性があるからである。読者は自らの主観性を自覚しつつ、テキストに向かい、「解釈者の地平と本文の地平の葛藤、対話、あるいは融合といった過程こそが、解釈の作業にほかならない」。読者はおのおのの哲学的立場を自覚し、それとのせめぎあいの中でテキストの思想的な意味を規定していく。解釈に自らの哲学的立場や道徳的価値観をあえて持ちこみ、それをお互いにぶつけ合って議論する。こうした哲学的アプローチは解釈の多様な可能性を顕在化させる。だからと言って、恣意的に読んでもよいというわけではない。歴史的アプローチの業績を踏まえ、独善と偏見に陥らないように注意しなければならない。 しかし、それは哲学的立場の多様性を示しているのであって、他のテキストを読んだ際にも起こりうる事態である。彼らの哲学的志向を明確にすることに役立っても、そのテキストの固有性の浮き彫りにはつながらない。チェーザレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』以来の多くの哲学者による死刑論議は多様であると同時に示唆に富む。もし関根教授の言う目的であるなら、こうしたオープン・エンドの問題の方がふさわしい。ある立場に立脚すれば、解釈はおそらくこうなるだろうと推測がつく。主観主義に多様性を期待するのではなく、解釈はテキスト自体の固有性を尊重すべきである。これまで哲学者たちはテキストを読み、自分の意見を語ることに一生懸命になりすぎている。テキストの核心から離れ、我田引水に終始することも少なくない。しかし、文化人類学のフィールド・ワークの意義を受けとめ、テキストに寄り添い、その固有の声を聞くことが必要である。 関根教授はハンス・ゲオルク・ガダマーやポール・リクールなどの解釈主義に範を求めている。主観主義への多様性の期待は、20世紀の哲学や文学に見られる潮流である。19世紀、実証主義や近代小説など客観性志向が強かったが、その客観性なるものが幻想あるいはごまかしではないのかという批判が生じる。第一次世界大戦による近代文明への幻滅が欧州の文学者や哲学者の間で広がり、主観性を前面に押し出すようになる。この場合の主観は他者ではなく、自分に属している。一見したところでは、主観主義に反しているように思える関係論も、自分の相対化ではなく、そこから構成されている。主観主義は、そのため、恣意性や断片性を助長する。 好例がジャック・デリダの提唱した「脱構築(Deconstruction)」である。彼自身の意図は別に、エピゴーネンがこの方法論から生産した論考は主観的な思いつきと思いこみに満ち溢れている。ディコンストラクションは「注意散漫(Distraction)」の間違いではないかと思うほどである。 20世紀後半から主観性の尊重が社会的な課題として認知されている。その典型例がセクシャル・ハラスメントである。それに当たるか否かの判断基準は被害者の主観性に基づいている。医療や看護、介護、福祉、保育、カウンセリングなど幅広い領域で個別性の配慮が図られている。こうしたクライアントからの声を聞く試みと比べて、自分の意見を語る哲学の解釈学は主観性の尊重という点で不徹底でしかない。 いつも傾聴していればいいというものでもないだろう。破壊的思考や胡散臭い似非科学などに対しては同意しないが、生まれてきた、あるいは受容された事情の考察はすべきである。そういった思考には現状検討力が欠けている傾向が見られる。歪みの背後にある健康な部分にだけ同盟を結んで解釈するという戦略が必要である。 確かに、哲学者たちの解釈は個性的で、興味をそそられるものも多い。聞くことの重要さを説く以上、彼らの意見に耳を傾けなければ、言行不一致と責められかねない。以下では関根教授の考察を参考に言及してみよう。 つづく |