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被災と物語
第一章 震災怪談
佐藤清文
Seibun Satow
2014年3月11日
初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁
「2011年3月11日14時46分に何をしていました?覚えていますよね?」
第1章 震災怪談
東日本大震災後、被災地で『遠野物語』を思い起こす不思議な話が生まれている。これらは「震災怪談」と呼ばれ、最近、被災地以外でも話題になっている。13年8月8日付『朝日新聞』は「新・遠野物語」、同月8日付『東京新聞夕刊』は「被災地の幽霊話 ほんのり温かく 『死と向き合う心に癒やしも』」と題する記事をそれぞれ掲載している。
この震災怪談の広がりはある企画と関連している。10年、仙台の出版社である荒蝦夷が『遠野物語』出版100周年記念として「みちのく怪談コンテスト」を開催する。審査員は、岩手県出身の作家高橋克彦、東北学の提唱者赤坂憲雄、10年に『遠野物語と怪談の時代』を刊行した評論家東雅夫の三名である。いずれもこの企画にふさわしい人選だ。
これが成功したため、第2回を検討していた時に大震災が起きる。企画の存続も危ぶまれる。しかし、怪談専門誌『幽』編集長でもある東雅夫は、中止しては「慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談なんだ」という従来の主張と矛盾するとして、荒蝦夷と話し合いを持つ。本来の意義を訴えることで第2回の実施が決定される。
第2回のコンテストには全国から300編近い投稿が寄せられる。その中で大賞に選ばれたのは仙台市在住の須藤茜の『白い花弁』である。震災で亡くした父をめぐる次のような作品だ。
大きく揺れた時、私は仙台のアパートにいた。気仙沼の実家にすぐに電話をする。
「こっちは平気。お父さんが仕事場にいるけど、たぶん大丈夫よ」
それきり連絡は途絶え、一週間後にようやく繋がった電話で、父がまだ帰ってこないことを知る。
私にできることは何もなかった。ただひたすら、限られた日常を進めるだけだった。
私は知人に連れられ、近くの銭湯に出かけた。涙はお湯に溶けて誤魔化された。
帰ろうと下駄箱の鍵を外して中からブーツを取り出し、足をいれた瞬間。ふわっ、と足の裏で何かを踏んだ。
白い花弁が一房、靴の中に入り込んでいた。真っ白な、今切り取られたばかりのような瑞々しさを保って、入り込んでいた。
靴箱に入れた時は無かったはずである。しかし説明はつかず、私が気がつかなかっただけだろうという話をして、笑った。
二週間後、木棺に入れられて、父が帰ってきた。
顔の部分だけガラスで縁取られており、肩から下を見ることはできなかった。水にぬれた顔は青白く、細かい傷が付いていたが、大きな怪我はなかったためにすぐに父だと分かる。遺体に触る事はできなかった。触りたい。触りたい。ほんの少しでいいから。
棺の中に隠れている、身体があるはずの方向に視線をやり、目を見張った。
胸の上に、白い花が添えられていた。それは靴の中に入っていた、あの白い花と同じものだった。
父を思い出すとき、あの白い花を思い出す。足の裏で感じた、冷たさと柔らかさを。そのたびに最後まで触れる事のできなかった父の濡れた皮膚を思い、3月のひんやりとした白さと重なり、ああ、崩れたとしても触れておきたかった、と、思う。
「白い花弁」と死と言うと、夏目漱石の『夢十夜』の「第一夜」を思い起こす。過去の文学の記憶を想起させるこの作品は父の死という喪失感が淡々とした文体で語られ、それが読み手にリアルさを与える。
この文体には動詞の用法に特徴がある。それはいわゆる現在形が効果的に登場する点である。最後の段落は文の動詞がいわゆる現在形である。伝統的物語において、冒頭と末尾で「けり」など伝聞の助動詞を用いることが慣例である。物語世界の入口と出口を明確に示すためだ。『白い花弁』の場合、それまでいわゆる過去形が多用されていたのに、最終段落はいわゆる現在形で占められ、そうした機能が認められる。
また、作品末の「思う」は物語世界の出口からさらにその先を予感させる。「思う」は、通常、主語が一人称の文で使われ、二人称・三人称の場合、平叙文においてそれは「思っている」になる。一人称であれば、「思う」ことの理由が発話の瞬間にも確認できるが、他の人称では、不可能だからだ。これが「我思っている故に我在り」ではなく、「我思う故に我在り」となる所以である。「思う」は、発話したその後も、確かにそれが維持されることを予想させる。「思う」は未来に向けられた表現である。
さらに、「知る」や「わかる」、「触りたい」など知覚をめぐる動詞もいわゆる現在形が用いられている。「思う」がそうだったように、日本語のいわゆる現在形にはまだ完了していないニュアンスがある。父に関する知覚は完結していない。そこに生者と死者の交流が読者に伝わってくる。リアルさの印象はこの用法に由来する。
第2回は開催自体がその外部への被災地との連帯効果を持っている。「みちのく」と冠されたコンテストであるので、被災地以外からの投稿作品も東北を踏まえていなければならない。書くためには、その舞台の実情を知る必要がある。それには、被災の実態を調べ、集めた情報を自分で再構成しなければならない。書く行為を通じて被災を追体験することになる。このコンテストは今も続けられており、極めて有意義な企画である。
第二章につづく