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被災と物語

第二章 魂の行方

佐藤清文
Seibun Satow
2014年3月11日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


第2章 魂の行方

 「震災怪談」の命名者である東雅夫によると、被災地では多くの奇譚が語られている。しかも、村落にとどまらず、都市でもそうした話をよく耳にすると報告している。一例を挙げよう。歩道橋の上に、ある時刻になると、「鈴木さん」が現われるが、その人が最後に目撃されたのは津波から懸命に逃げるそこでの姿である。作者ははっきりせず、集団的匿名と言ってよく、いささか都市伝説めいてもいる。

 東雅夫はこうした現象を『遠野物語』にも見出し、『朝日新聞』の「新・遠野物語」の中で九九話に言及している。『遠野物語』は、岩手県遠野町(現遠野市)出身の佐々木喜善によって語られた遠野盆地から遠野街道に至る地域の民話を柳田國男が筆記・編纂したコレクションである。ただし、中には、近代以降を舞台にした物語が含まれている。九九話もその一つであり、1896年の明治三陸大津波をめぐる物語である。

 1896年6月15日午後7時32分、岩手県上閉伊郡釜石町(現釜石市)の東方沖を震源とするマグニチュード8.2〜8.5の巨大地震が発生する。それに伴い、本州における当時の観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録する津波が発生し、三陸各地に甚大な被害を与える。

 九九話の舞台は田ノ浜(現下閉伊郡山田町)である。ここはこの津波によってほぼ全滅している。波の高さは9.11mだったと推定されている。船越村全村の被害は、流失戸数104戸、死者1250人であり、中でも田ノ浜は船越と並んで最大である。全家族死亡が60戸に達したとされる。当時村役場も災害に遭い、完全な戸籍簿の復旧は困難であり、正確な実数はつかめていない。あまりにも壊滅的だったため、合併や移転をした上で、復旧復興することが検討されていたほどだ。

 九九話はその震災一年後の次のような物語である。

 土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元もとの屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪なみの打つ渚なぎさなり。霧の布しきたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞ほこらあるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛かわいくはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元あしもとを見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退のきて、小浦おうらへ行く道の山陰やまかげを廻めぐり見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中みちなかに立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。

 この九九話は、『遠野物語』の区分で言うと、「魂の行方」に属している。これは生者と死者との交流を扱っており、他に、二二、八六〜八八、九五、九七、一〇〇が含まれている。

 東雅夫は、この九九話について、「妻を失った悲しさ、無念さ。それでも、せめてあの世では、別の男とではあっても、幸せになってほしいと願う人々の気持ちです」と言っている。しかし、こうした理解では登場人物がいささか近代人すぎる。と言うのも、生者も死者も個人として考えていると彼が捉えているからだ。伝統社会では規範圧力が強い。登場人物はそうした規範の象徴と把握すべきだ。地域コミュニティにおける生者と死者の関係を前提にして読む必要がある。

 生者の語りの中に死者の思いが生きている。それは近代人特有の認識である。そうした発想は漱石の『夢十夜』に収められた次の「第一夜」によく示されている。

 こんな夢を見た。

 腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。

 自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍そばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに瞠ったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。

 じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。

 しばらくして、女がまたこう云った。

「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」

 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」

 自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、

 「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。

 「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。

 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭するどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

 それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑かになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。

 自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。

 しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。

 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。

 すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。

 「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

 九九話の時空間の系は一つである。生者と死者の世界は別々であるが、福二と妻が出会っているように、両者は交錯する。生者と死者が交流するためには、両者が時間と空間を共有している必要がある。お互いの世界が排他的であるなら、同時に見ることができない。時空間の系が一つである複数の世界でないと、生者と死者は話をすることができない。こうした事情により、この物語構造は単純にならざるを得ない。

 九九話に限らず、「魂の行方」の物語世界の時空間の系は一つである。このモノ構造は小泉八雲の『怪談』も共通している。怪談は、生者と死者の出会いを扱うから、時空間の系は一つでなければならない。両世界の関係は区切りや区別よりもつながりや隣接が強調される。あくまでも連続性の上で生者と死者の世界は分割されている。

 一方、漱石の「第一夜」は重層的で、非連続的である。物語には時空間の系は複数存在している。生者と死者の世界が同時に現われることはない。両者は交錯せず、排他的で、別々の時空間の系に属している。二つの世界は交わることなく、入れ替わるだけである。死後、女はもう出現しない。主人公は幽霊となった女と交流することもない。主人公の認知を通じて、一瞬のうちに時空間の系が変換する。生者と死者の世界の関係は重層的で、非連続である。だからこそ、死者の思いが「百年はもう来ていたんだな」という生者の語りの中で生きている。

 九九話を柳田國男に語った人にとってその後の田ノ浜は自明だったかもしれない。しかし、コンテクストを共有していない読者はそれを知らなければ、九九話を十分に理解できない。

 村は高台移転を進めようとしたが、手間取っているうちに、津波を経験していない人々が外から次々に流入し、被災地域に住宅を建設し始め、計画は立ち消えになる。昭和三陸大津波の頃には震災前の300戸にまで世帯数が戻っている。その3分の1が新住民と推定されている。ただ、田ノ浜は震災以降、住民の流動性が高くなっている。新住民もさることながら、養子縁組や養女によって名義を復活させた家が多く、その成長に伴って独立したり、北海道を始め遠方へ移転したりする場合が少なくない。子孫がいなくては、墓を守る者も、先祖を拝む者もいない。明治三陸大津波以降の田ノ浜は、ドラスティックな変化を経験し、伝統社会とは言い難い状況である。

 明治三陸大津波は田ノ浜の地域コミュニティを破壊したのであり、そうした状況の中から語られてきたのが九九話である。伝統社会における生者と死者の関係を改めて確認し、その上で、なぜこの物語が必要とされたかを考えるべきだろう。それは震災怪談が生まれた理由にもつながる。

第三章につづく