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日本国憲法の形成過程は、一般に考えられているよりも、はるかにこみ入っています。憲法史における主流の学説は、占領下という特殊な状況であるものの、日本国憲法は日米合作です。 しかも、それはアメリカ対日本という国家間の抗争の結果ではなく、かかわった個々人の憲法観の対立と妥協の産物なのです。ステロタイプによる短絡化は本質を見失います。 条文を見るだけでも、日本国憲法が単純に占領軍によって押しつけられた憲法ではないことは明らかです。 当時、日本各地で多くの団体や個人による新しい憲法の作成が取り組まれていました。各政党も憲法草案を起草していますが、五五年体制を担う保守政党も日本社会党も、不甲斐ないことに、国民主権すら書けていないのです。 実は、GHQは、有名無名や専門の如何に問わず、膨大な文献や資料、提案、意見を英訳しており、それを汲み上げて、日本国憲法に書き記したのです。憲法を変えることが目的なのではなく、日本人の間に定着しなければ意味がありません。 古関彰一獨協大学教授は、『新憲法の誕生』において、依然として日本国憲法は「新憲法」と呼ぶのにふさわしいと次のように述べています。 にもかかわらず、あえてここで「新憲法」を使うのは、そこにはやはり明治憲法とはまったく異なった新しいものを見出すからである。戦争と圧政から解放された民衆が、憲法の施行をよろこび、歌い、踊り、山間の山村青年が憲法の学習会を催し、自らも懸賞論文に応募する姿は、近代日本の歴史において、この時を除いて見あたらない。そればかりではない。制定過程の中でたしかに官僚の役割は無視できないが、つねに重要な役割をはたしたのは、官職にない民間人、専門家でない素人であった。日本国憲法が今日においてなおその現代的意義を失わない淵源は、素人のはたした役割がきわめて大きい(戦争の放棄条項を除いて)。当時の国会議員も憲法学者もその役割において、これら少数の素人の力にはるかに及ばない。GHQ案に影響を及ぼす草案を起草したのも、国民主権を明記したのも、普通教育の義務教育化を盛り込んだのも、そして全文を口語化したのも、すべて素人の力であった。 かつて米国憲法150周年記念(1937年)にあたり、ローズベルト大統領は「米国憲法は素人の文書であり、法律家のそれではない」と述べたが、近代国家の憲法とはそもそもそういう性格を持っている。 古来、日本において「法」とは「お上」と専門家の専有物であった。その意味からすれば、やはり日本国憲法は小なりといえども「新しい」地平を切り拓いたのである。こう考えてみると、そこに冠せられる名は、老いてもなお「新憲法」がふさわしい。 日本国憲法をGHQによって押しつけられた憲法と考えるのはその意義を矮小化するだけです。日本国憲法は「素人の力」、すなわち民衆の思いの表象なのです。 石橋湛山の理念を継承するグローバルな小日本主義から見れば、九条を含め、日本国憲法を改定する緊急性はありません。政治家が挙げている変更の理由はとても納得できるものではありません。
もちろん、未来永劫に変更するべきではないというわけではありません。「当分の間」だけです。憲法はあくまで国内法です。国際条約の方が国内法よりも上位にあります。将来的に、アジア共同体が設立され、その取り決めとして国内法の整備が必要になることもあるでしょう。 |