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日本変革のブループリント





第三章 グローバルな小日本主義
「ミニマ・ヤポニア」(14)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



4章 ユニバーサル・デモクラシーのために

1節 ユニバーサル社会の到来

 カリフォルニア大学のマーチン・トロウ教授は大学を論じた2部作『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』・『高度情報社会の大学―マスからユニバーサルへ』において、大学の「3段の変化」について説いています。

 大学の進学率は時代的・社会的背景に対応しているのであり、トロウ教授によると、それは「エリート型(Elite)」・「マス型(Mass)」・「ユニバーサル型(Universal)」の三つに大別できます。エリート型は大学進学率が一五%未満、マス型は15%以上50%未満、ユニバーサル型は50%以上に相当します。

 大半の人が大学に進学するユニバーサル型社会になれば、マス型の「高学歴社会」という価値基準も崩れ、学歴だけでは意味がない「高度情報社会」になるのです。

 20世紀はマス型の社会、すなわち大衆社会だったと言えるでしょう。フォーディズムに代表される大量生産大量消費大量廃棄が主流でした。

 そうした商品に囲まれ、マス・メディによる大量の情報に流される大衆という画一的な集団が、良いにつけ悪いにつけ、政治も経済も文化も左右してきたのです。

 現在の日本の高等教育進学率は、統計にもよりますが、50%前後です。マス型からユニバーサル型への以降の臨界状態にあります。

 大量生産大量消費の製品に代わって、今、店頭に並んでいるのは多品種少量生産の製品です。

 かつては一家に黒電話一台でしたが、今では一人カラフルな携帯電話一台の時代です。

 しかし、「ユニバーサル」に突入したかと言えば、まだその段階ではなく、新製品を矢継ぎ早に出荷して、消費意欲を刺激するのが目的のイベントです。大量廃棄が是正されていないのです。

 「ユニバーサル」はこの廃棄の点からも「大量」が消えた時に定着するのです。

 この現状を踏まえるならば、マス・メディアによるマス・デモクラシーとここのところ言われてきましたが、ユニバーサル・デザインの重要さが認識されてきたように、「ユニバーサル・メディア」による「ユニバーサル・デモクラシー」へと発想を転換していくべきなのです。

 大衆に代わって、多様性・グローバル性・個人性を持った「ユニバーサル」という存在が出現します。20世紀は大衆の世紀でしたが、二一世紀はユニバーサルの世紀になるでしょう。「ユニバーサル」が新しい公共性を表象していくのです。 

 21世紀はユニバーサル社会の時代です。その到来はそこまで迫っているのです。

つづく