メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 インバラレイ Inveraray 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* オーバン キルカーン城1 キルカーン城2 キルカーン城3 インバラレイ インバラレイ城 インバラレイ城内部 インバラレイ庭園 ロッホ・ローモンド1 ロッホ・ローモンド2 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ここでは、ロッホローモンドの北側にあるインバラレイの町を紹介します。 ◆インバラレイ(Inveraray)の概要 撮影:グーグルマップ 水辺に面したインバラレイ城です。 撮影:グーグルマップ 下の写真はインバラレイの町並みです。 インバラレイの街並み 2003-08-29.撮影 Source:Wikimedia Commons インバラレイ(Inveraray)はスコットランドのアーガイルとビュートにある町です。 それは Fyne湖の西岸、そしてA83の道路に面しています。ここには、元ロイヤル・バーグ・アーガイルの伝統的な町そしてアーガイル公の先祖の邸宅が多数あります。 湖のように見えますが、実際にはクライド湾が深く長く切れ込んだ海に面したインバラレイ城です。地元では、Loch Fyne(ファイン湖)と呼びますが、Cowal半島の沿岸であり、Argyll and Buteの西海岸に位置しています。池田コメント ◆インバラレイの再建 タワーから見たインバラレイの街並み Source:Wikimedia Commons インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL ファイン湖のインバラレイ橋。インバラレイ城の尖塔が左に見えています。 橋の後ろの丘はDun Corr-Bhileです。 Source:Wikimedia Commons By Michael Parry, CC BY-SA 2.0, Link 1747年、ウィリアム・アダムは新しいインバラレイの創造計画を策定しました。 1770年まで(その経過は)ほとんど行われておらず、第5代公爵は現在の形で町を再建することに決めました。 再建されたインバラレイの一部は、ジョン・アダムによって行われています。 フロント通りにあるインバラレイ・イン(以前はNew Inn、Great Inn、Argyll Arms Hotel、Argyll Hotelとして知られていました)は、町屋だけでなく、教会を含み、町の残りの多くは、著名なエジンバラ生まれの建築家Robert Mylne(1733-1811)によって1772年から1800年までに設計され、建設されました。 最終的な成果物は、不動産業労働者のための家屋、羊毛工場、および町の経済において重要な役割を果たすために後に大きく発展したニシン漁業のための桟橋など含む魅力的な町でした。 完成したインバラレイの町はスコットランドの18世紀の新しい町の最高傑作のひとつといえます。インバラレイの中心部にある大部分の建物は、インバラレイの重要建築物として保護に値すると考えられています。 インバラレイの街並み Source:Wikimedia Commons インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL ※参考 ハイランド牛(ハイランド種) イギリスのスコットランド北西部高原地帯の原産で、ウエストハイランドとも呼ばれます。 体格は小型で、全身が長い毛で覆われ長い角を持ち、独特の見た目をしています。 毛色は、赤褐色、淡褐色、灰褐色が多く見られます。良い肉質をしていますが、骨太で多くの肉はとれません。 イギリス、ドイツ、スウェーデンなどで飼われています。出典:(社)肉用牛振興基金協会 インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL 観光スポット インバラレイ城以外では、町のジョージ王朝時代のインバラレイリー刑務所が現在博物館になっています。その他、アウシンンドレインのアーガイル民族博物館などがあります。ベルタワーは町の象徴として、十個のベルが鳴る世界で二番目に思い鐘があります。この鐘楼は一般に公開されています。 「インバラレイ城」につづきます スコットランド総目次へ* |