NHKのデジタルHiVisonで特集<シルクロード絶景50選>を見た方も多いと思う。この特集番組は、実に5時間に及ぶ大作であったが、あまりにも映像がすばらしいので、4時間ほどぶっ続けで見入ってしました。
今回はパキスタンとアフガニスタンを陸路で結ぶカイバル峠(Khyber Pass)である。
かのビンラディンが潜伏したというパキスタンとアフガニスタン(タンは国を意味する)国境沿いではカイバル峠以外、4000〜5000m級の山岳地帯となっており、おいそれと行き来が出来ない。その結果、物資輸送や人の行き来は、古来から、ほんんど唯一カイバル峠を通るしかなかった。 そのカイバル峠は、パキスタンの北西端に位置しており、パキスタンのペシャワール(Peshawar)にも近い。
カイバル峠のパキスタン側
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan
カイバル峠付近一帯は、現在はアフガニスタンとパキスタンに分かれているが、もともとパシュトゥーン人が多く住む地域で、古来より文明の交差点として重要な役割を果たしてきた。カイバル峠は南アジア世界と中央ユーラシア世界を結ぶ交通の要衝でもあった。
1878年、カイバル峠のジャムルード砦のアフガン人(パシュツウン人)ら
Source:Wikipedia English version
標高はそれほど高くなくなく約1070メートルである。そのカイバル峠は部族地域(自治区域)となり、部族の掟による自治にまかされている。ここではパキスタンの法律は国道上にしか適用されていない。
自治区の標識
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan
ジャルムード門(ゲート)。手前がパキスタン、その向こうが自治区
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan
今でも部族地域への外国人の立ち入りは厳しく制限されている。カイバル峠を通過するには特別許可が必要となる。政治的に不安定な地域であり、状況次第では通過の許可がおりないこともある。
パキスタンとアフガン国境のKhyber Pass、
いわゆるカイバル峠(Khyver Pass)。(この注は青山貞一)
出典:Chinadaily
カイバル地域一帯はヒマラヤ山脈、スレイマン山脈、大インド砂漠(タール砂漠)などに囲まれた地域であって外部からの侵入は容易でない。
そのため、カイバル峠は古代よりアフガンとパキスタンを行き来する数少ない侵入路となっていた。カイバル峠を越えるとアフガニスタンのジャララバードに至る。ジャジャラバードからカブールは近い。古くは起源前1500年頃、カイバル峠を越えてアーリヤ人がパンジャーブ地方に侵入した。
このカイバル峠は、シルクロードから南下してインドにむかう際の交易路としても重要な役割を果たしている。
アフガニスタンの地形図と主要地域
(カブール、カンダハール、ジャジャラバード、マザリシャリフなど)
上の地形図からはアフガンとパキスタンとはカイバル峠以外
通れる峠がないことが分かる。 Source:CNN
そのため、交易の権益を得ようとする諸勢力がこの地の周辺をめぐって抗争を続けた。インドのイスラーム化もこのルートから侵入した勢力によって進められたと言われている。
16世紀前半には、ウズベク人の侵入を受けて滅亡したティムール朝の残党がインドへ侵入し、ムガル帝国を建国した。その際も、ウズベク人はこのカイバル峠を超えている。さらに
19世紀前半には、アフガニスタンにまで影響力を広げようとしたイギリスが、この地を戦場としてアフガン人と争った(第一次アフガン戦争)もある。
1880年、第二次アフガン戦争を経てアフガニスタンを事実上の保護国としたイギリスは、この地の交通網を整備し現在はアジアハイウェイ1号線の一部となっている。
現在のカイバル峠。
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10
原典:NHKデジタルHi Vison、シルクロード絶景50選出典:NHKのシルクロード50選より
以下は「世界史最大のif、Kyber Pass」を出典としている。
私は先に、起源前1500年頃、カイバル峠を越えてアーリヤ人がパンジャーブ地方に侵入したと述べたが、紀元前4世紀には若きアレキサンダー大王がこの峠を渡っている。さらに7世紀には玄奘三蔵がこのカイバル峠を渡っている。
それ例外にも、かのチンギス・ハンそしてマルコ・ポーロなどが、カイバル峠を渡っている。なかでも22歳にして祖国マケドニアを出発したアレキサンダーは、宿敵ペルシャ帝国を打ち破った勢いで中央アジアを駆逐、このカイバル峠を越えてインドのインダス川流域に至る。
アレキサンダーの長旅と戦闘で疲れはてた軍は士気も低下し、世界史的に見て最も勇猛果敢で知られるパシュトゥーン人を前に世界帝国の夢は挫折している。
破れることとなった。
中国の唐を出た玄奘は灼熱のタクラマカン砂漠や厳寒の天山山脈はおろかカイバル峠も越えてインドに至り、大分冊の教典、仏像、仏舎利など、仏教のすべてを持ち帰る。帰国後は皇帝の支援も受けて訳経に専念し、その成果は中国のみならず朝鮮半島や日本にも伝えられることとなった。
参考:「世界史最大のif、Kyber Pass」
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事々さように、アフガンとパキスタンを繋ぐカイバル峠は、有史以来、広く世界史、文明史にあってもシルクロードにあるように、西洋と東洋の接点、東西交易の最大の要所であったと言ってよい場所である。
カイバルの峠道にかかる橋
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan
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