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国際ダイオキシン会議に参加して(1)
〜不可思議な大会運営と
研究者のあり方について考える〜

鷹取 敦

掲載日:2007年9月5日


 東京で開催されている国際ダイオキシン会議(学会)に参加している。論文はそれ以前から環境総合研究所として連名で出してきたが、会場への参加は2005年にトロント(カナダ)以来、2回目だ。

学術の世界も「格差社会」(2)〜国際ダイオキシン会議始まる〜
(青山貞一教授)


 すでに上記で詳しく指摘されているが、東京大会の運営のあり方には異常に高額な参加費、実行委員会情報の公開の遅さ、120名もの実行委員、参加者への不親切なアナウンスから、華美なオープニングセレモニーと対照的な立食のランチ・バンケット、2日間しか掲示できないポスターセッション、ポスター掲示に充てられているスペースの狭さ、プレナリーレクチャーの広い会場・食事の場所と個別の発表の会場が別棟となっており移動を強いられるなど、前回参加したトロントと比べても小さなことから大きなことまで多くの問題を感じた。

 問題は多岐に渡るが、ひとことで言えば参加者、研究者のための会議になっていないのである。そもそも参加費の異常な高さのために参加を断念した方は国内外に少なくないようであるが、参加した人にとっても配慮されたものであるとは言えない。

 青山教授のコラムにも紹介されているが、中心的な役割を担っている実行委員のひとりから聞いたことであるが、委員は資金集めを求められて頑張って集めたそうである。ひとり8〜9万円もの参加費を取りながらである。一方で上記で指摘したように、参加者に不便を強い、一方で華美なオープニングセレモニーなのである。いわゆる「お役所仕事」とよく似ているかもしれない。


 それはそれとして、せっかく参加した国際会議についても簡単に紹介したい。今回、環境総合研究所からの発表は以下の2つである。

 P-086 RELEVANCE OF PAHs EMITTED FROM AUTOMOBILES
  MONITORED BY PINE NEEDLES IN TOKYO, JAPAN
  Takatori A, Ikeda K, Saito M, Aoyama T

 P-087 PBDEs LEVELS IN PINE NEEDLES AFFECTED
  BY MUNICIPAL SOLID WASTE MELTING FURNACES IN JAPAN
  Ikeda K, Takatori A, Saito M, Aoyama T

 詳しい内容は会議が終了した後に別の機会を得て紹介したいが、いずれも松葉を生物指標として用いた一連の市民参加の研究・調査の新しい提案として行ったものである。

 これまで1999年からダイオキシンを対象とした松葉調査を行ってきたが、今回は、難燃剤として使われているPBDEs(ポリ臭化ジフェニルエーテル)、そして石油が燃焼した時に発生する発ガン物質であるPAHs(多環芳香族炭化水素)を対象とした。PBDEsは難燃剤を含む製品を焼却した時に大気中に放出される可能性を想定した調査を行い、PAHsは主な発生源である道路沿道に着目した調査を行った。

 結果は非常に興味深いものであった。別途、詳しく紹介する機会として本コラムで論文を紹介するだけでなく、調査に協力していただいた方々はじめ一般の方を対象として報告会を持つ予定であるので、ご関心のある方はお問い合わせいただきたい。

 他の方の発表で特に印象的だったのは、いわゆる一般の研究者の発表とは異なる方からの発表があったことである。それはフォト・ジャーナリストの中村梧郎さんによるものである。

 ポスターセッションの時に中村梧郎さんが、環境総合研究所のポスターのところにいらっしゃり、ご本人に教えていただいて知り急遽発表の場にかけつけることができた。中村さんはベトナムのダイオキシン禍のその後の状況について、50枚以上の写真を中心に報告されていた。

 今回も一般の研究者の発表の中には、研究のための研究ではないかと思ってしまうようなものがあるように感じていただけに、当時から現在に至るまで現地に入り、丹念に取材されていた中村梧郎さんの報告は非常に貴重であり、淡々とした語り口ながら迫力のあるものと感じた。中村さんは主催者側に頼まれて急遽発表されることになったそうであるから、この点は主催者を評価したい。

 枯れ葉剤と現地の方や米軍兵士への直接的な影響については、「科学的」には未だ議論があることになっているが、中村さんの報告やその後のベトナムの研究者からの報告を聞き、世代を超えて影響が残っている現実を知るにつけ、まずは現実知ることなしには問題解決も教訓も得られないのだと、改めて実感した。

 何のための調査・研究であるか、その社会的な意義を常に意識する研究者(中村梧郎さんは研究者ではないが)には、今回のような大会運営のあり方は理解のしようがないだろう。

 幸い、中村梧郎さんは、帰国された直後で、初日のオープニングセレモニーに参加する時間もなく、発表当日も発表終了後にすぐに東京を後にされたようである。