オリンピック 戦争と商業主義 鷹取 敦 掲載月日:2014年1月11日
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■オリンピックと戦争と財政難昨年(2013年)12月にギリシャ・アテネを訪れた際、アクロポリスの丘見学の後に、そこから800メートルほど離れた場所にある、第一回近代オリンピックが開催されたパナティナイコ・スタジアムを訪れた。パナティナイコ・スタジアム(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 近代オリンピックには、ナチスドイツに利用されたベルリンオリンピックや、ロサンゼルスオリンピック以降の商業主義への批判はあるが、一般的にはオリンピックは平和の祭典が本来の姿だというイメージがある。 しかし最初の近代オリンピックが開かれた1896年は、開催地ギリシャにとって平穏な時代ではなかった。1830年にオスマン帝国から独立したばかりのギリシャの領土は現在よりはるかに小さく、ギリシャはコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)への領土拡大を目指していた時代で、バルカン半島は戦乱の時代だった。 当時のクレタ島はまだギリシャの領土ではなかった。そのクレタ島でギリシャへの統合を求める蜂起が起き、ギリシャの民族主義者の集団はクレタ島に武器や資金を送って支援し、非正規軍がかけつけるような時代だった。一方、オリンピックの3年前、1893年にはギリシャは破産状態で、財政は火の車、国民生活も経済的に困難な状態だった。 アテネで第一回オリンピックが開催されたのは、このような困難な時代であり、クレタ島の蜂起が幸先のいい段階だったことと合わせ、オリンピックの成功が、ギリシャ人のナショナリズムを高揚させたのである。 国民の熱狂に押されて、その翌年にはギリシャはクレタに派兵したが、1897年にはじまったオスマン帝国との戦争に、ギリシャ軍は大敗北した。当時のオスマン帝国とギリシャの軍事力の差は圧倒的に大きかったにも関わらず、オスマン帝国軍に戦いを挑むことになったのは、このような国民の熱狂が背景あったことも一因と言えるのではないだろうか。 オリンピックの熱狂が、無謀な戦争への道、財政破綻による国民生活の困難を覆い隠してしまった、という構図が見える。 ■オリンピックと商業主義1984年のロサンゼルスオリンピック以来、オリンピック開催はテレビ放映料、スポンサー協賛金、入場料など、お金になるイベントに変わり、商業五輪と呼ばれるようになった。2020年の東京オリンピック開催に関する批判の1つに、新国立競技場の建設がある。既存の施設を生かしてコンパクトに開催するようなイメージを打ち出しているが、開催計画の中には1964年の東京オリンピックスタジアムである国立競技場を建て替え収容人数8万人のスタジアムの建設する計画が含まれる。 ◆新国立競技場の公式サイト http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/ 新国立競技場のデザインは、国際デザイン・コンクール(コンペ)で選定された。審査委員長は有名な建築家の安藤忠雄氏である。最優秀賞に選出されたのは、イラク出身、イギリス在住のザハ・ハディド氏のデザインである。 出典:新国立競技場の公式サイト 選出されたザハ氏のデザインについて、巨大すぎること、建設費が予算の数倍にものぼる可能性があること、そして景観について大きな問題等の批判が報道されている。以下は代官山を現在の形に育て上げた有名な建築家である槇文彦氏による批判を報道したものである。 ◆産経新聞・新国立競技場案「巨大過ぎる」建築家・槇文彦さんが疑義、幅広い議論を http://sankei.jp.msn.com/life/news/131009/art13100911210005-n1.htm ◆東京新聞・東京開催良いが…社会へ説明義務 槇文彦さんに聞く http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/ CK2013092302000140.html ◆BLOUN ARTINFO・ザハ・ハディッドによるオリンピック競技場のデザインに槇文彦が抗議 http://jp.blouinartinfo.com/news/story/971226/ zahahadeitudoniyoruorinpitukujing-ji-chang-nodezainnidian-wene 2013年10月11日には、新国立競技場への建て替えが計画されている神宮外苑の歴史的文脈で考えるべきと以下のシンポジウム開かれた。 ◆シンポジウム 新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈で考える https://www.facebook.com/events/146766988867251 シンポジウムのパネリストの1人である社会学者の宮台真司氏はTBSラジオで、この問題を取り上げた。 http://www.youtube.com/watch?v=SJJ3DBSW0xw 周囲の風致地区を規制緩和して、収容人数8万人、延べ床面積がロンドンオリンピックの3倍、現国立競技場の5.6倍以上の巨大なスタジアムの計画をすること、シンポジウムにおける槇文彦氏の、建築物は地域、歴史の文脈に対して自然なもの、社会的文脈を参照しながら作っていかなければならない、そういう観点から見て新国立競技場の案はおかしい、という問題提起を紹介した。 さらにコンペのあり方についても疑問を呈した。パース(いろんな方向から見た建物の姿)を全く審査せず、鳥瞰図だけで決めていること、北京五輪やロンドン五輪と同じ8万人規模が、なぜか延べ床面積が3倍の巨大な建物に、敷地に余裕がなくぎちぎちに詰まり、緊急時の避難誘導にも問題があること、コンペの要件がおかしいことを指摘した。 新国立競技場の問題は森山高至氏もブログへの連載で詳細に批判しているが、ここでもコンペのあり方に言及している。 ◆新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 3 http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11649527967.html
そして、独立行政法人 日本スポーツ振興センターが作成した「新国立競技場基本構想国際デザイン競技募集要項」では、高さ70メートルまで建てていい、つまり巨大なものを前提としたコンペだったことを指摘している。槇文彦氏が指摘している、地域の歴史的文脈を無視しているのは、選定されたデザインだけでなく、そもそも募集の前提からだったのである。 ◆新国立競技場建設コンペをめぐる議論について 6 http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11662724251.html つまり、きわめて巨大な建築物を作ることを前提とし、短時間の応募期間、限られた応募者、そして短期間に十分な検討を行わない審査を行った結果、現実に建設することが困難なデザインを行うことで有名な、ザハ・ハディッド氏のデザインが採択された、ということになる。 このブログでは、政府は現競技場の耐震補強や大規模改修した場合の試算を行っていることも明らかにし、「建て替えに近い700億円程度かかることが判明した。日本スポーツ振興センターが2010年度、久米設計に委託した調査です。」実際には建て替えの半分以下であり、ザハ氏のデザインの4分の1に過ぎないと指摘している。 ◆新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 4 http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11650970097.html 宮台氏が指摘したように、コンペでは上からみた様子、鳥瞰図だけで審査したようだが、このブログでは、地上からみたモンタージュ写真を示し、いかに景観を破壊するものであるか示している。以下はその一部である。 出典:新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 8 出典:新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 8 出典:新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 8 槇文彦氏は、環境をまるごと1つの生物としてとらえ、街並みを保全していかなければならない、と指摘している。建築家の鈴木エドワードさんが「いまある国立競技場を直して使おう!」と呼びかけている。景観を破壊せず、この地域の歴史を踏まえ、より現実的な費用でという提案である。 ◆GOod DESIGN・いまある国立競技場を直して使おう! http://blog.bookpeople.jp/atlas/edward_suzuki/post_420.html 商業五輪と呼ぶとお金になるからいいではないか、ということになりそうだが、実際にはテレビ局やオリンピック景気に乗る企業、そして大規模施設建設を行うゼネコンにとっての話である。現実はオリンピックの時しか使われない大規模な施設を作って、その後の巨額の維持管理費が自治体の財政を圧迫することになる。新国立競技場のような巨大な施設を作り、景観と地域社会を破壊し、後世に大きな負担だけを残すような五輪は、超高齢化が進む日本では避けなければならない事態である。 |