その1 その2 その3 その4 その6 本ホームページの無断転載を禁じます。 リンク歓迎です!
key word 正当性なき米国のイラク攻撃(5) No Justification for US Attack on Iraq(5) |
ところで米国の対外政策に痛烈な批判をしつづけているマサチューセッツ工科大学教授、ノーム・チョムスキーは、米国をして世界最大の「ならずもの国家」と公言してはばからない。今年75歳になるノーム・チョムスキー教授(現役教授)は、ベトナム戦争以来の米国の外交政策を徹底的に批判している。 9.11以降、チョムスキーによる彼の史実に基づいた言論は海外はもとより米国内でも高い評価を得ている。ロックバンドU2のボーカル、ボノはチュムスキーを「飽くなき反抗者」と呼んでいる。たたかう言語学者、それがノーム・チョムスキーである。
イラクと対テロ戦争をめぐる米国の海外政策についての質問にチョムスキーは次のように答えている。
「 第一に、「対テロ戦争」という言葉を使うにあたっては多大な注意が必要です。テロに対する戦争というものはあり得ません。論理的に不可能なのです。米国は世界最大のテロリスト国家です。現在政策決定を行っている人々は皆、世界法廷でテロリズムを批判された人々です。米国が拒否権を発動しなければ(このとき英国は棄権しています)、安保理でも同様の批判を受けていたはずの人々です。これらの人々が対テロ戦争を行うなどということはできません。問題外です。これらの同じ人々は20年前にもテロリズムに対する戦争を宣言しています。そして、我々は、これらの人々がそこで何をしたか知っています。中米を破壊し、南部アフリカで150万人もの人々を殺害する手助けをしたのです。さらに他の例もあげることができます。ですから、「対テロ戦争」などというものは存在しないのです。」
また「では、テロリズムはどう定義するのか」という質問に対しチョムスキーは次のように答えている。
「テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても『防衛』や『テロ防止』と呼ばれる」と。
以下は、チョムスキーがインタビューに答える形で述べた「米国の対テロ戦争」及び「米国のイラク攻撃」の全文だ。長文ですがぜひ読んで欲しい。
イクバール・アフマドの言い分にも耳を傾けよう |
チョムスキー教授の友人に、イクバール・アフマド氏(Eqbal Ahmad)がいる。アフマドは1999年11月にイスラマバードで病気でなくなっているが、彼は9.11が起る3年前の1998年、「テロリズム---彼らの、そして、わたくしたちの」と言う講演のなかで、テロリズムについてたいへん示唆に富んだ話をしている。
最近刊行されたイクバール・アフマド発言集「帝国との対決」(太田出版(03-3359-6262)、大橋洋一・河野真太郎・大貫隆史共訳)から長くなるが以下に核心部分を引用する。
まず第一の特徴的パターン。それはテロリストが入れ替わるということです。昨日のテロリストは今日の英雄であり、昨日の英雄が今日のテロリストになるというふうに。つねに流動してやまないイメージの世界において、わたしたちは何がテロリスムで何がそうではないかを見分けるため、頭のなかをすっきり整理しておかなければなりません。さらにもっと重要なこととして、わたしたちは、知っておかねばならないのです、何がテロリズムを引き起こす原因となるかについて、そしてテロリズムをいかにして止めさせるかについて。
テロリズムに対する政府省庁の対応の第二のパターンは、その姿勢がいつもぐらついており、定義を避けてまわっていることです。わたしはテロリズムに関する、すくなくとも二十の公式文書を調べました。そのうちどれひとつとして、テロリズムの定義を提供していません。それらはすべてが、わたしたちの知性にはたらきかけるというよりは、感情を煽るために、いきりたってテロリズムを説明するだけです。
代表例を紹介しましょう。一九八四年十月二十五日(米国の)国務長官のジヨージシュルツは・ニューヨーク市の〈パーク・アヴェニュー・シナゴーグ〉で、テロリズムに関する長い演説をしました。それは国務省官報に七ぺージにわたってびっしり印刷されているのですが、そこにテロリズムに関する明白な定義はひとつもありません。その代わりに見出せるのは、つぎのような声明です。その一、「テロリズムとは、わたしたちがテロリズムと呼んでいる現代の野蛮行為である」。その二はさらにもっとさえています「テロリズムとは、政治的暴力の一形態である」。その三、「テロリズムとは、西洋文明に対する脅威である」。その四、「テロリズムとは、西洋の道徳的諸価値に対する恫喝である」。こうした声明の効果が感情を煽ることでなくしてなんであろうか、これがまさに典型的な例なのです。
政府省庁がテロリズムを定義しないのは、定義をすると、分析、把握、そして一貫性を保持するなんらかの規範の遵守などの努力をしなければならなくなるからです。
以上がテロリズムヘの政府省庁の対応にみられる第二の特徴。第三の特徴は、明確な定義をしないまま、政府がグローバルな政策を履行するということです。彼らはテロリズムを定義しなくとも、それを、良き秩序への脅威、西洋文明の道徳的価値観への脅威、人類に対する脅威と呼べばいいのです。人類だの文明だの秩序だのをもちだせば、テロリズムの世界規模での撲滅を呼びかけることができます。
要約すれば、米国なり西洋が使うあらゆる暴力はテロリズムとは言わず、米国なり西洋が被る暴力はすべてテロとなるということだ。これはチョムスキー教授の言い分と共通している。すなわち
「テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても『防衛』や『テロ防止』と呼ばれる」
のである。ここに今日の米国の対テロ戦争や対大量破壊兵器戦争の大きな課題が集約される。
米国が自分たちがいくら核兵器や大量破壊兵器をもち、使ってもそれは自由と民主主義を守る正義の戦いとなり、中南米、カリブ諸国にCIAや海兵隊を送り込み他国の政府を転覆したり、要人を殺傷しても、それはテロとは決して言わないのである。
まさに、違う「敵」を作り上げて結果的に多くの一般市民を殺す! |
かつてイライラ戦争(イラン・イラク戦争)において、米国は反イランと言う外交政策を理由によりイラクを軍事的、経済的に徹底支援した。冷戦時代には、対ソ連、反共の外交政策を理由にアフガンを徹底的に支援した。現在、ブッシュ政権が嫌悪するイラクやアフガニスタンは、もとはいえば米国が育てた申し子である。米国は自国の都合でイラン、イラク、アフガンなど中東の特定国を軍事、経済的に徹底支援し、ひとたび自国にとって役に立たなくなると、簡単に援助を中止、はては最新の武器で軍事攻撃し、政権を崩壊させると言うことを繰り返してきた。まさに冒頭でヘレンさんが述べた違う「敵」を作り上げては殺してきたのだ。
米国とイラクの関係※も、その一部のストーリーに過ぎない。イライラ戦争を理解するためには、冷戦時代にさかのぼる必要がある。米国は巨大な石油埋蔵量が地下に眠るイランやイラクなど中東諸国へのソ連の影響力に極度に苛立っていた。1970年代前半、イラクは石油産業の国営化を宣言する。当時の米国大統領ニクソンは、イランのシャー(パーレビ国王)と連携し、イラク国内のクルド人に多量の武器を提供し、イラクと戦わせた。しかしニクソンによる国営化解消策は失敗に終わる。理由はイラン、イラク国境を流れるシャッタルアラブ川(以下の地図を参照)の領有権争いで、イラクの副大統領フセイン(現大統領サダム・フセイン)とシャーが川の領有権をイラクからイランに委譲することで合意したためである。ペルシャ湾に流れ込むこの川がもつ地政学的な重要性を米国は認識していなかったのである。
※ 経緯の詳細は、 スコットリッター著、星川淳訳、「イラク戦争」、合同出版、2003年1月
当時、イランと米国の関係が安定であれば米国の中東における政治的、エネルギー権益的な安定は確保されていた。このイランと米国の関係が一気に悪化したのが、イスラム原理主義をかかげるホメイニ氏らによる反米ナショナリズムの台頭であった。反米ナショナリズム運動の結果、シャーは国外に追い出され、アメリカ大使館が占拠される事態に発展した。大使館員は人質に取られ、カーター大統領は人質救出に失敗。これがレーガン氏に大統領の座を奪われるきっかけともなった。
このアメリカ大使館占拠事件を契機に米国のイラン政策は一変する。イランと米国の蜜月関係は終わり、米国のイランにおける石油権益も激減する。一方、イラクはこのころ、イランに移譲した河川の領有権を再度イラク側に戻すようイランに軍事攻撃をかけることになる。イラク支援を公言したのはかのブレンジンスキー大統領補佐官である。この後、イラク、イランの間で8年の長期にわたるイライラ戦争がつづく。このときイラクにはサダム・フセインが大統領に就任していた。カーターの後、新たに大統領に就任したレーガンは、何とイラクと国交を回復。イラク軍を積極支援するため軍事指導、武器供与を含むありとあらゆる援助を行なうことになる。そしてレーガン政権は、イラクが化学兵器を開発し、イラン相手に使用するのを黙認し続けていたのである。この事実が発覚したのは2002年になってからのことである。さらに後になって、米国がイラクに黙ってイランに武器を売却していたことも分かった(イラン・コントラ・スキャンダル)※。
※ 1980年代、レーガン政権は、ニカラグアのサンディニスタ政権を転覆させるために、
ニカラグアのコントラへの武器と資金の提供を行うべく、イランへの不法な武器売却
利益を秘密裡に用いた。これをイランコントラ・スキャンダルと言う。
なんてことはない、ブッシュ親子が忌み嫌うサダム・フセインは、米国が自国のご都合主義でつくりあげた怪物にすぎないわけである。「悪の枢軸」よばわりされているイラク、イランはともに米国が経済、軍事援助してきた国々なのである。しかも、中東にあるそれぞれの国々との関係はいつも利権、権益に満ちたものであった。
|
図10 イラクの主要都市とシャッタルアラブ川 出典:CIA, World Fact book 2002 |
|
図11 イランの主要都市 出典:CIA, World Fact book 2002 |
このように、米国が血眼で追い続けるビンラディンが米国に翻弄されたアフガニスタンの「申し子」であるように、サダム・フセインも米国に翻弄され続けたイラクの「鬼っ子」であると言える。ブッシュ政権がイラクの化学兵器について執拗にこだわるのは、実は自分たちがさんざん化学兵器の使用を黙認してきた経緯があるからだ、と推察できる。その結果、中東はもとよりアフリカ西海岸諸国からフィリピンミンダナオ島南部に至る国、地域が、米国のエネルギー植民地と化している、化しつつあると言っても過言ではあるまい。
日本人はマスコミからほとんど知らされていないので、知るよしもないことだが、米国は過去、中南米、カリブ諸国でCIAなどを使い数々のクーデター、テロ活動などの支援をしてきた。古くはキューバ、チリ、ニカラガ、ガテマラ、コロンビア、パナマ、ハイチなど数知れません。中南米、カリブ諸国で米国が反共を錦の御旗として、いわばテロ活動を背後から支援してきたこと、また後述するマサチューセッツ工科大学、チョムスキー教授がいみじくも言明したように、米国は世界最大の「ならずもの国家」であり、テロ支援国家であることはまず間違いのないところと言える。
「非戦」に論考を寄せたエドゥアルド・ガレアーノ※によれば、1960年代末より70年代全般にかけ、南米では次々と右派軍事政権が成立した。その下には大規模な反対派狩り、左翼狩りが展開された。なかでも通称「コンドル作戦」とよばれる作戦では、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビアの軍事政権が国境を越えて連携し、亡命者達を殺害、脅迫したと言う。その背後には反共を至上とした米国の支援、指導があるとされている。
※ 以下に詳しく掲載されている。
エドゥアルド・ガレアーノ、「The Theatre of Good and Evil」
邦訳は、「非戦」に収録。
これら中南米で米国がしてきたことついてチョムスキー教授は次のように述べている。 |
|
図12 中南米地図 出典:CIA, World Factboook 2002 |
―米中枢同時テロに接して何を感じたか。
「恐ろしい犯罪行為が行われたと感じた。同時に『米国では初めてだが、われわれには慣れっこだ』という世界の多くの国の人々と同じ思いを私も感じざるを得なかった。一九八九年、パナマでは米軍侵攻の際、一度の爆撃で多数の住民が死んだ。ニカラグアでも、(八○年代初頭からの内戦に介入した)米国のテロ行為で数万人が殺され国土は完全に荒廃した」 「米国がテロとの戦いを宣言するのは二度目だ。約二十年前、当時のレーガン政権が国家支援を受けたテロとの戦いを宣言した。かかわっているのも同じ人々だ。ラムズフェルド国防長官は当時、中東特使だった。当時の中東のテロには米中央情報局(CIA)が関与した」 「現在の反テロ戦を進めているのは、当時のテロ行為の責任者たちなのだ。なぜこんなことが可能なのかと言えば、(米国が使う)『テロリズム』という言葉は(本来の)テロリズムを意味しないためだ」
―では、テロリズムはどう定義するのか。
「ニカラグアで米国が批判されていることで分かるが、テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても『防衛』や『テロ防止』と呼ばれる」 |
米国はまずイスラエルへの軍事、経済援助を停止すべきである |
|
仮に百歩譲って米国が世界の警察官を自認するなら、米国が積極的に介入し問題解決すべきは、いうまでもなくイスラエルとパレスチナの間での紛争ではないのか。だが現実を直視すれば米国はたえずイスラエルを軍事、経済の両面で支援しつづけて来たと言える。
その結果、テロがテロを呼ぶ悪の報復のスパイラルが現出している。毎日のように、子供を含む多くの民間人が紛争、テロの巻き添えとなり犬死にしている。ここでも米国のかかげる「正義」がいかにご都合主義であるか、自分のことをすべて棚に上げての「正義」であるかが分かる。
米国の対外援助の実に3割近くはイスラエル一国に集中している。この援助は第二次世界大戦終結後の1948年から開始され、その後増加している。
援助額は1949年から1998年に総額840億ドル(約11兆円)にのぼっている。イスラエルは米国のこれら巨大な援助を背景に強大な軍事力を構築し、パレスチナへ軍事占領を行っている。さらに違法な入植地建設を進めてきた。同時に、パレスチナは米国の各種最新兵器の実験場となってきたのである。
主な出典:
AL-Awada/ Global Exchange/ The American Israel Public Affairs Committee/
The Jewish Virtual Library/The Palestine monitor/USAID/ Washington Report
on Middle East Affairs |
なぜ、かくも米国はイスラエルを支援するのか。
この問題について、毎日新聞の民主帝国、アメリカンパワーは、「力増すユダヤパワー」と題する特集で次のように指摘する(記事要約)。
米国のユダヤ系市民は総人口の2〜3%に過ぎないが、米国政治に大きな影響力を持つ。とくに9.11の同時多発テロ以降、ユダヤ系の資金収集活動が活発化した。昨秋までの1年間に従来の約2倍の96億円に急増した。ユダヤ系の資金は昨秋の中間選挙でも威力を発揮した。「親イスラエル候補」全米40州で80人にユダヤ系資金援助が集中したという。ニューヨークにあるユダヤ系団体の創設者は、「米国にはイスラエル支援の義務がある」とさえ述べている。
さらにワシントンにあるユダヤ系シンクタンク「高等戦略政治問題研究所」が1996年に出した政策提言、すなわち「フセイン政権を倒し、イラクにヨルダンのハシム家を復活する」ことにまで言及している。これに対しバージニア軍事研究所のクリフォード・キラコフ教授は、「実現性はともかく、これを書いた人物が現政権にいることが問題だ」と強い疑念を見せたという。
出典:2003年1月3日、毎日新聞朝刊
これらは、特定の民族と宗教が、米国の世界覇権のありように強く関連していることを示すものだ。 |
図13 イスラエルの主要都市 出典:CIA, World Factboook 2002 |
2002年4月のイスラエルによるジェニンの
パレスチナ人大虐殺の証拠写真集! |
2002年4月19日のジェニンで起ったイスラエルによるパレスチナ人大虐殺を目撃した米人女性ジェニファー=ローウェンステイン(Jennifer
Loewenstein)さんがこの2003年3月20日、沈黙を破って世界に写真を以って訴えると報ずるメールが来ました。3月20日に敢えて公開したのは、米国のイラク先制攻撃への抗議と思われます。
米国はイスラエルによるこのような虐殺行為に目をつむり、国連調査団などがうやむやにした「ジェニンの大虐殺」の証拠写真集です。本写真集は到底正視できないものですが、撮影者の意志を尊重しあえて掲載します。
なお、見る方はあらかじめそのつもりでご覧下さい。
クリック→ ジェニンにおけるイスラエルによるパレスチナ人大虐殺の証拠写真
【ジェニンの位置情報】(パレスチナ・オリーブの皆川氏からの情報)
ジェニンはヨルダン川西岸地区の北部の街です。(ナーブルスよりも北にあります)そのジェニンに接している難民キャンプの一つををジェニン・キャンプと呼んでいます。(ジェニンには難民キャンプは二つあります)。 |
以上、ながながと論じてきた。結論として言えることは、ブッシュ政権によるイラク攻撃は何ら正当性もなく、振りかざす正義にも正当性はないことだ。これは冒頭に掲載した米国随一のジャーナリストヘレン・トーマスさんのインタビュー内容やチョムスキー、アフマドの議論からも明らかである。
日本政府が米国のイラク攻撃に同盟国であるという理由で承認、支援を与えたり、米国政府に懐柔、翻弄された国連決議によってイラク攻撃のお墨付きを日本政府が与えないよう願うものである。
長文の本稿を最後までお読み頂きありがとうございます。 青山貞一
この後、2003年3月に米英両国によるイラク攻撃が開始された!
その1に戻る その2に戻る その3に戻る その4に戻る その6 全体内容目次
|