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東北シリーズ(3)
「秋田焼山」と「玉川温泉」
その3

阿部 賢一

2007年11月15日


10.名残峠から玉川温泉へ
名残峠で小休止。火口外壁の斜面を下る。


名残峠から急斜面をトラバースしてこれから下る。
谷には玉川温泉、国道341号がはっきりと望める。
その背後は森吉山の雄姿。撮影:2007/7/26

急斜面をゆっくりゆっくりと、設置されたロープを握りながら足場を確認して下る。登山道を踏み外せば急坂を転落する。今回の山行で一番緊張する難所である。
白い山肌の活火山特有の砂礫露出面を硫黄の臭気を吸いながら無事通過、ブナの森林地帯に入ってほっとする。

11.玉川温泉地獄谷
ブナ林の中をどんどん高度を下げると、登山道が階段状になり、さらに本格的な石段を下ると、玉川温泉の熱湯が湧き上がる地獄谷が眼下に広がる。あちこちで敷物を敷きパラソルを立てて、あの有名な北投石の岩盤浴をしている湯治客があちこちに見える。


玉川温泉地獄谷。右端に宿の建物が見える。
岩盤浴をする湯治客が見える。
撮影:2007/7/26

地獄谷の熱湯を集めた先が玉川温泉の木造の湯治大浴場。その下に玉川温泉の本館と湯治宿泊棟がある。
午後3時、玉川温泉に到着。後生掛温泉を出発してから昼食1時間を挟んで合計5時間の行程、全員元気に今回の登山を終了。

12. 玉川温泉到着
玉川温泉旅館の駐車場にはチャーターしたバスが後生掛温泉から回送されて出迎えてくれた。
予定では、この玉川温泉に入浴せずにすぐに酒田に出発ということで、小休止の後、早速バスに全員が乗り込んだ。いざ出発と、運転手さんがエンジンをかけたが、起動しない。バッテリーが上がっていた。坂道でエンジン起動を数回試みたが残念ながら失敗。大型バスなのでバッテリーも大型、他の車からの充電も出来ない。

運転手さんは帰路みんなで乾杯する予定にしていた缶ビールをバス備付の冷蔵庫で冷やしてくれていたのだが、長時間でバッテリーが上がってしまったということが分かった。
運転手さんは本社に急遽電話連絡、角館の自動車修理会社に出動を要請するという事態になった。それを待つのが2時間。
名残峠から下る途中の小休止で、参加者全員に玉川温泉に入浴するかしないかの問いかけがリーダーからあったが、賛成・反対が半分、それでは、入浴しないで帰路につきましょうということになっていた。思わぬバッテリー充電待ちの2時間、筆者を含めて希望者は早速、玉川温泉大浴場に入浴することになった。

13. 玉川温泉について
玉川温泉は癌に効くということで一躍有名になり、現在宿泊予約を取るのも一年前とか、なかなか難しい。
玉川温泉が癌との関係を注目されるようになった経緯を調べると、阿部真平著「世界の奇跡玉川温泉」(1974年)*である。
阿部真平著「世界の奇跡玉川温泉」について
玉川温泉に惚れ、玉川温泉で自分もガンから救われたとして、その体験談を中心にまとめた「鹿角タイムス社」(地元)創刊者の故・阿部真平氏が著した「世界の奇跡玉川温泉」である。阿部氏はその著書を通じて温泉への入り方、ガンや糖尿病などあらゆる難病が温泉を飲むことによって治癒していった湯治客の体験などを紹介している。
本は昭和47年に第1刷が発行されて以来、現在まで41刷と増刷を繰り返している隠れたベストセラーとなっている。ガンが温泉療法で治るとしたら、それこそガン研究の最前線で戦っている医学会から一笑に付されることかもしれないが、昭和10年ころまで、ハンセン氏病(らい病)患者が世捨て人のように小屋掛けして湯治を続け、2カ月ぐらいで全治して下山していったという地元の人の話や著名な大学病院の医師と直接交流し、素人ながらも考察を重ねた結果だけに、あながち否定するわけにもいかない。
出典:月刊AKITA(1995年12月号)
http://www.kennichi.com/culture97/c961206b.htm
焼山山麓に位置する玉川温泉*(海抜740m)は、大同元年(806年)の焼山噴火で温泉誕生。
延宝8年(1680年)に発見され、当初は秋田藩の硫黄採掘場として開発。明治時代になって湯治場として発展した。明治17年、湯治場としての許可を得る(旧名;鹿湯、渋黒沢温泉)。昭和9年、名称を玉川温泉と変更。
平成8年、大浴場新築等により現在の収容規模、約700名となった。
当初は山奥の一軒宿であったが、玉川ダム建設などで道路事情が改善され、秋田新幹線開通でさらに便利になり、「北投石」、「岩盤浴」、「癒しの湯」などで東北の名湯・秘湯として全国から湯治客が押し寄せる。
平成10年、系列の新玉川温泉**(収容規模、570名)が玉川温泉から引湯してすぐ下流にオープンした。
* 玉川温泉HP
http://www.tamagawa-onsen.jp/facility/index.html
** 新玉川温泉HP
 http://www.shintamagawa.jp/spa/index.html

温泉建物群の背後に広がる地獄谷「大噴の湯」からpH1.05の超強酸性で98℃というほとんど沸騰に近い熱水(無色透明、硫化水素臭がある)が、毎分9,000リットル、轟音とともに自噴する。酸性度の高さ、湯量とも日本一を誇る。
この熱水が大浴場手前で幅約3M ,長さ約50Mほどに延びる数本の溝からなる湯畑で沈殿物を濾し、大浴場へと引き込まれている。草津の湯畑と同じような方式である。


玉川温泉の湯畑 撮影:2007/7/26

もうひとつ、この温泉を有名にしているのは「北投石」、微量の放射線を持つ石を産出する温泉である。この北投石はラジウムなどの放射性元素を含む温泉水の成分が長い間に層を成して石化したもので、昭和27年に国の特別天然記念物に指定された。日本では唯一玉川温泉だけで産出される。世界中でも、これまで台湾の北投温泉(筆者も三十数年前の正月訪れた。まるで日本の大正時代の温泉風景だった)、南米チリ、そして玉川温泉の3ヶ所でしか発見されていない。

玉川温泉は"癒しの湯"として天下に名高い。"癒しの湯"温泉療養については玉川温泉HPに詳しく説明されている*。
* 玉川温泉HP----[温泉療養]
http://www.tamagawa-onsen.jp/spa/recuperation.html

14. 玉川温泉大浴場に入浴
大浴場は、学校体育館ゆうに二棟分はあろうかという、天井の高い木造の建物、入場料600円を払って、早速、入場。

大浴場施設は、内部の柱は丸太。湯気がもうもうと上がっていて薄暗い。これは本格的な湯治場である。
中心部の木壁で男湯、女湯に仕切られている。
男湯入口から入ると、先ず洗い場とかけ湯がある。その先に、真ん中が通路となっており浴槽が幾つにも区切られている。
通路の右側が源泉100%と源泉50%の大浴槽、あつ湯(源泉50%)と続く。その先が蒸気湯・箱蒸湯である。
左側がぬる湯(源泉50%)の大浴槽、その先が浸頭湯・寝湯(源泉50%)と続く。そして打たせ湯(源泉50%)で終わり。さらに建物の外には、玉川温泉自然研究路を300Mほどあるくと、乳白色の露天の湯(別泉質)がある。

箱蒸湯には温泉飲み場がある。「充分薄めて飲みなさい」との注意書看板が掲げてある。強酸性なので原水をそのまま飲むと歯をやられてしまう。

一回り、すべての浴槽に浸かって温泉気分を楽しんだが、あつ湯はさすがに熱くて落ち着けず、浴槽からすぐに飛び出してしまった。
1時間ほど温泉を満喫して、登山の疲れを癒す。汗の引くのを待つために休憩ロビーでくつろぐ。

15. 入浴直後の轟音
突然凄まじいジェット機の爆音に驚かされてしまった。
浴場スタッフに訊ねると、自衛隊ジェット機の訓練飛行とのことである。毎日、上空に飛来する。それで思い出した八幡平の岩手県側、雫石町での航空機空中衝突した事件。

雫石航空事故は、昭和46年(1971年)7月30日に発生した。札幌から羽田に向う全日空旅客機と松島基地発進の航空自衛隊航空機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。

こんな山奥の温泉でジェット戦闘機の大轟音を聞くとは驚いた。これで「癒しの湯」気分が一気に吹っ飛んでしまった。

ついでに、蛇足だが、今回、玉川温泉について調査していたら、つい一ヶ月前、2007年10月19日、玉川温泉で「ノロウィルスによる感染性胃腸炎」が発生。感染拡大防止のため、10月23日から29日まで、全館自主休館、消毒清掃作業をおこなって、10月30日再開したとの情報が、玉川温泉HPに掲載されていた。

「癒しの湯」も実際に現地で体験してみると、予想していたのとは随分異なる。確かにすばらしい湯治場である。しかし、国立公園の静寂な森閑とした環境でマイナスイオンを満喫できるというイメージとは反対に、ジェット戦闘機の轟音やノロウィリスなどトラブルやリスクがあることを改めて感じた。

16. 酒田へ出発
大浴場から駐車場にでると、ほどなくして、角館からの修理自動車が到着、数分でバッテリー充電は完了。
午後5時47分、全員バスに乗り込み、いよいよ酒田に向け出発。
トラブルの原因となった冷えた缶ビールが早速全員に配られ、年長者の温度で元気に乾杯。バスの運転手さんには、「ビールを冷やしておいてくれて有難う」と感謝の合唱。あとはメンバーの中から司会者がでて、お得意の歌を披露したり、合唱したり、焼山についてのウンチクを講義したりで、誰も、トラブルで出発が三時間近くも遅れたことにクレームをつける仲間はいなかった。運転手さんも含めて、地元の仲間同士らしい和気藹々の雰囲気で帰路のドライブが始まった。

国道341号線を下り、途中一ヶ所コンビニで休憩。お握りやラーメンを買い込んで車中腹ごしらえの準備。すっかり日の暮れた国道105号線、国道13号線を経由して、秋田・山形県境の主寝坂トンネルを通り抜け、真室川町から国道344号線に入る。この国道344号線は、冬季交通止めになるような山間の曲がりくねった難しい山岳道路。さすが地元をよく知るバスの運転手さん、慎重だが順調にプロのドライブ。途中一台の対向車にも遇わなかった。鳥海山麓の旧八幡町観音寺経由で酒田に戻ったのが午後10時過ぎだった。

おわりに
筆者は学生時代から、奥多摩、奥秩父、南北アルプス、八つ岳などの登山を体験してきた。
東北シリーズで紹介してきた山形・秋田県境の鳥海山への登山(4回)*、月山への登山(2回)**、湯野浜温泉背後の高館山登山、そして、今回の秋田焼山から眺めた東北の山々はそれらと一味違って、険しさ、急峻さを感じられず、なだらかでゆったりとした雄大な山容に圧倒された。森林の豊かさもすばらしい。この近くは長い間マタギの世界だった。白神山地のようなブナの原生林も近い。森林の奥深さと山奥の湯治温泉にぐっと引き込まれた「秋田焼山だった。
* 『今日のコラム』月山登山
http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1012.html

* 『今日のコラム』東北シリーズ その1(1)(2) 鳥海山
http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1046.html
  http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1047.html

(完)