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<今日の一枚>
江戸初期の宿場を
彷彿とさせる海野宿
青山貞一
2007年9月19日
無断転載禁

 2007年9月14日から17日、環境総合研究所の青山、池田、鷹取で北軽井沢の保養所に行った。

 2日目の9月16日、高峯山、池の平湿原で空気、水、自然を堪能した後、2000mの高峯山山頂から軽井沢と御代田町の境界にある農業用温水路経由で、長野県東御市にある「海野宿」に向かった。

 以下は、海野宿駐車場でもらったパンフレット、東御市のWebなどをもとに執筆している。

 海野宿は、寛永2年(1625年)北国街道の宿場として開設されている。延長は以下にあるように約650m。享和年間には旅籠が23軒、伝馬屋敷が59軒もあり、大いに界隈をもっていた。


出典:海野宿駐車場パンフレッ

 現在、重要伝統的建造物群保存地区となっているが、今でも道の中央の水路には澄んだ水が流れ、柳並木や旅籠や家々の格子や出桁造りは、江戸初期の宿場町の風景を彷彿とさせる。


海野宿の柳並木道。
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)

 建築学上、海野宿を特徴づけるのは、海野格子と出桁造りである。海野宿では、650mの柳並木の道ぞいに格子戸をもった民家や商店、旅籠などがつづくが、それぞれに海野格子と呼ばれる格子戸がある。二階格子は、長短二本の組み合わせ模様が美しい。また、江戸時代の旅籠屋は二階を張り出した出桁造りの家が見られる。


海野宿の江戸初期そのものの古い町並み。江戸初期にタイムスリップした気持ちになる。
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)


海野宿を歩く。左から鷹取敦、池田こみち
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)

 さらに海野宿には、「卯宇建」(うだつ)と呼ばれる固有の建築様式がある。海野宿の柳並木道を歩いていると、まず目にとまるのが、卯建である。この卯達だが、江戸時代の本卯建は、建築物の両側の妻壁を屋根より一段高くし防火壁の役目を持っている。明治時代の卯建は、軒に装飾的意匠を加えた袖卯建(そでうだつ)が上げられている。


卯建、袖卯建が見える海野宿野の立派な民家
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)


海野格子と白壁が続く
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)


柳並木の道に似合う蔵
(2007年9月16日、ソニーサイバーショット 5.0MegaPixel 撮影:池田こみち)


民家の前の池田こみちさん。
(2007年9月16日、CASIO EXILIM EX-Z750 撮影:鷹取敦)


玄関越しに見える立派な松
(2007年9月16日、ニコン CoolPix 撮影:青山貞一)

 これら卯建は、家屋の飾りにも見えるが、火事があった際の防火壁の役割を持ち、類焼を防ぐためのものである。さらに、袖卯建は、それなりに商売なりが成功した場合に付ける装飾であり、世に言う、「卯建があがる」「卯建があがらない」の語源をなしている。

 
店の前の女郎花(オミナエシ)
(2007年9月16日、ソニーサイバーショット 5.0MegaPixel 撮影:池田こみち)

 海野宿の出入り口のひとつ、しなの鉄道の田中駅側に白鳥神社がある。この白鳥神社は平安、鎌倉時代の豪族、海野氏の氏神を祭ったもの。その後、海野宿の住民の産土神として崇められている。春の例大祭、秋のふれあい祭りには優雅な舞いが奉納されている。

 祭神は海野氏の始祖貞元親王・善淵王・海野広貞。


真田、海野両氏の氏神、白鳥神社。撮影:青山貞一


海野宿の入り口にある白鳥神社のご神木のケヤキ。樹齢700年を超えている。
(2007年9月16日、CASIO EXILIM EX-Z750 撮影:鷹取敦)

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青山貞一(元長野県環境保全研究所長)からの提案

 すばらしい江戸初期の宿場風景だったが、惜しむらくは柳並木の真ん中を通過道路がとおっていることである。

 かなりのスピードで乗用車が通過する。江戸風情に酔うている観光客は道路交通騒音で興ざめとなる。

 せめて、休日の朝から夕方は自動車通行禁止としてもらいたい。

 そうすればゆっくりと宿場町が堪能できる。