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ここが変だよ菅政権
B普天間基地問題と菅氏の「変節」

青山貞一
12 June 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁


 さらに、鳩山総理が日米共同声明を読み上げる2010年5月28日の直前の5月27日、川内衆議院議員ら180名は、鳩山総理あてに普天間問題緊急声明を提出する。

★鳩山総理大臣宛「5.27普天間問題緊急声明」提出
★5.27普天間問題緊急声明全文(連名議員一覧27日時点

内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
衆議院議員・参議院議員
呼びかけ人・賛同人一同

5・27普天間問題緊急声明

 普天間飛行場について、将来の国外・県外移設を実現する連立与党・政府の基本方針を策定することを求めます。5月23日、鳩山内閣総理大臣の沖縄訪嗣によって、「5月末決着」の日米両政府の合意内容の概略が明らかとなりました。
 しかし、私たちは、昨年の総選挙で鳩山代表(現総理)が国民の皆様に約束した「できれば国外、最低でも県外」の移設案を、沖縄県民の皆様、国民全体の皆様と心を一つにして、政府は米国政府と交渉・協議すべきだと思います。
 私たちの考えは、在沖縄米海兵隊について、2014年までにグアムに8000人を移設するとするグアム協定を維持しつつ、残りの部隊についても、例えばテニアンに移設することです。
 この考えについては、北マリアナ諸島連邦の知事や議会、テニアン側も望んでいます。これにより、辺野古周辺に新しい基地を建設する必要もなくなると考えます。
このことは、今後50年の新たな日米関係を構築することに必ずっながると私たちは確信します。
 そのためにも、まず連立与党・政府が上記の内容の基本方針を策定することを強く求めます。

【呼びかけ人】五十音順127名
相原久美子、阿部知子、阿知波吉信、網屋信介、井戸まさえ、池田元久、石井登志郎、石井章、石毛えい子、石田三示、石田芳弘、石山敬貴、今井雅人、糸数慶子、稲見哲男、打越あかし、生方幸夫、大河原雅子、大久保勉、大島九州男、太田和美、岡崎トミ子、奥村展三、奥野総一郎、尾立源幸、加藤学、加賀谷健、柿沼正明、神本美恵子、川内博史、川上義博、川越孝洋、城井崇、喜納昌吉、工藤仁美、工藤堅太郎、櫛渕万里、熊谷貞俊、黒岩宇洋、小泉俊明、郡和子、小室寿明、小林興起、小林千代美、小宮山泰子、小山展弘、近藤昭一、近藤正道、今野東、齋藤つよし、齋藤やすのり、阪口直人、櫻井充、重野安正、篠原孝、白石洋一、杉本かずみ、首藤信彦、菅川洋、瑞慶覧長敏、園田康博、平智之、高野守、高橋昭一、高邑勉、滝実、武内則男、橘秀徳、玉置公良、玉城デニー、田中康夫、田名部匡代、谷岡郁子、中後淳、辻恵、筒井信隆、照屋寛徳、富岡由紀夫、友近聡朗、外山斎、中川治、中根康浩、長島一由、中島隆利、中島正純、中島政希、中野譲、那谷屋正義、野田国義、橋本博明、橋本べん、羽田雄一郎、初鹿明博、服部良一、浜本宏、早川久美子、平岡秀夫、平山泰朗、広田一、渕上貞雄、福田昭夫、福田衣里子、藤田一枝、前川清成、又市征治、松木謙公、松崎公昭、松崎哲久、松岡徹、松野信夫、皆吉稲生、宮崎岳志、向山好一、村井宗明、森ゆうこ、森山浩行、森本哲生、山口和之、山田良司、山下八洲夫、山内徳信、湯原俊二、吉泉秀男、横光克彦、吉川政重、吉田泉、若井康彦
【賛同人】五十音順53名
石森久嗣、石関貴史、磯谷香代子、奥田建、小川敏夫、大西健介、大西孝典、岡本英子、岡本充功、大泉博子、金森正、金子健一、川口浩、川崎稔、黄川田徹、京野きみこ、桑原功、後藤英友、佐藤ゆうこ、空本誠喜、高井崇志、竹田光明、田嶋要、田中美絵子、玉木朝子、津島恭一、道休誠一郎、永江孝子、仲野博子、中野渡詔子、仁木博文、野木実、畑浩治、平野達男、三宅雪子、宮島大典、村越祐民、姫井由美子、福嶋健一郎、藤田幸久、藤田憲彦、藤谷光信、本多平直、松浦大悟、村上史好、森本和義、矢崎公二、山本剛正、山崎摩耶、柳田和己、柚木道義、吉川沙織、若泉征三

 しかし、この時点では、周知のように鳩山氏は総理辞任の意向を固めており、レームダック状態になっていた。

 ただ上記についても副総理だった菅直人氏が知らないはずはない。だが、あらゆる場面で普天間基地問題に関して冒頭に掲げたブログにある菅氏のプレゼンスはないのである。
 これを象徴するようなエピソードがある。

 菅直人首相が副総理・国家戦略担当相だった昨年9月の政権交代直後、民主党の喜納昌吉参院議員(党沖縄県連代表)に対し、「基地問題はどうにもなら ない」「もう沖縄は独立した方がいい」などと語っていたことが6月15日分かったという。

 首相は2010年6月23日に沖縄訪問を予定しているが、就任前とはい え、国土・国民の分離を主張していたことは大きな波紋を呼びそうだ。

 喜納氏が、鳩山前政権末に記した新著「沖縄の自己決定権−地球の涙に 虹がかかるまで」(未来社)で明らかにした。

 この中で喜納氏は政権交代後、沖縄の基地問題に関して菅首相と交わした会話を紹介。喜納氏が 「沖縄問題をよろしく」と言ったところ、首相は「沖縄問題は重くてどうしようもない。基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と漏らし、最後 は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放ったという。

 喜納氏は著書の中で「半分ジョークにしろ、そういうことを副総理・財務相であり、 将来首相になる可能性の彼が言ったということ、これは大きいよ。非公式だったとしても重い」と指摘している。

出典:
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100616-00000501-san-pol


 上述したように、鳩山政権誕生後の普天間問題では、いずれも外務、防衛の官僚やそのOBが徹底して鳩山氏を取り囲み洗脳してきたからだという説が有力である。それはその通りだ。しかし、もし、平野、岡田、北沢の3大臣が鳩山総理の意向、腹案を受け、県外、海外移設を本気で体を張って対応すれば、また菅氏が積極的にこの問題で財務大臣としてではなく、副総理として積極的にアシストしていれば、これほど無様なことにはならなかったのではないか。もちろん、鳩山総理のリーダーシップの徹底欠如がその背景にあるにしてもだ。

 もとより、平野、岡田、北沢の3大臣は、はなから県外、海外移設を考えていなかったのだろう。沖縄県外の可能性を探ったフリをしたものの、それは何かしたんだぞという痕跡を残す、すなわちアリバイ的にしたのであって、その気はさらさらなかったのである。平野、岡田、北沢の3大臣がしたことは、辺野古案にせいぜい徳之島案をおまけでつけた程度ことである。

 平野氏が中心となって画策されたその徳之島案だが、つい最近、知人からトンデモの話を聞いた。

 それは、民主党幹部が徳之島に沖縄海兵隊の訓練場を立地することの見返りに、関市町村に巨額の経済援助(カネ)を提供するとともに、徳之島を含む鹿児島2区で徳田虎雄氏の政界引退後、現在自民党代議士となっている徳田毅氏に将来重要なポストを提供するという話をちらつかし、徳之島への海兵隊訓練施設の受け入れを誘導したという。

 にわかに信じられない話だが、その知人によれば徳之島や奄美など鹿児島県南部諸島では、この話でもちっきりとなっているそうだ。

 カネの話は当然あると推察できるが、真意のほどは別として、ポストを餌に立地を誘導するという話は、聞きづてならないことである。もっぱら、民主党と入院中の徳田虎雄氏や自民党衆議院議員の徳田毅氏は、下の記事にあるように受け入れを拒否している。

首相が徳之島への基地受け入れを要請 徳田虎雄氏は拒否
産経新聞 2010年4月28日

 鳩山由紀夫首相は28日午前、鹿児島県・徳之島出身で同島に強い影響力を持つ 旧自由連合代表、徳田虎雄元衆院議員と都内で会談し、米軍普天間飛行場の移設問題で同島へのヘリ部隊移転に協力を求めた。 会談に同席した徳田氏の二男、毅衆院議員(自民党)によると、首相が 「基地受け入れ」に協力を要請したのに対し、徳田氏は「基地は受け入れられない」と 拒否した。

 菅政権は、普天間問題におけるいわばA級戦犯の平野は切ったものの、米国追随で前政権の意向をくむ岡田氏、北沢氏、前原氏ら平野氏に準ずる閣僚を居抜きで登用した。

 そのうえで菅氏は、日米安保50年の年に、まっさきに日米同盟、をそのまま踏襲し、普天間飛行場代替施設の移設先として自民党時代の辺野古立地を趣旨とする「日米声明、日米合意」をためらいもなく引き継いだのである。

 菅氏は、日本中を翻弄した外交・防衛案件について、何のためらいもなく、「日米声明、日米合意」追随した。

 鳩山、小沢両氏の辞任が主因ではあろうが、このような変節した菅直人氏による菅政権に60%台のV字回復の支持を与える国民にも唖然とさせられるのは私だけであろうか?

追記
 なお、鳩山前首相は、6月11日、辞任後初めてBS朝日の番組に出演し、退陣の一因となった米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について自らの指導力の欠如に「反省」の弁を述べたという。

 鳩山氏は、移設先を同県名護市辺野古周辺とすることで米国と合意したことについて「米は辺野古で非常に固かった。外務省も防衛省も今までの経緯があるものだから、『最後はここ(辺野古)しかないぞ』という思いがあった」と述べ、鳩山氏が目指した県外移転には、米国だけでなく、外務、防衛両省も非協力的だったと明かした。

 そのうえで、「
政府の国家戦略局ががっちりできていれば、もっと指導力を発揮できたと思うが、そうなっていなかった」と官邸機能が弱かったと反省。「本当は、みんなを説得するぐらいの肝が据わってなきゃならなかった」とも述べている。

 一言でいえば鳩山総理(当時)に強力なリーダーシップがなかったことだが、同時に早期段階で政権交代後肝いりで設置した国家戦略(局)の主担当だった菅直人氏が、しっかり鳩山氏を陰に日なたにアシストしていれば、状況はまったく変わっていたはずである。


 菅氏が政権交代後、まったく存在感すらなかったのは誰しもが認めるところであろう! 縦割りを排し、行政横断的に国の戦略を設置したにも関わらず、菅氏は普天間問題は外交、防衛両省それに官房長官の問題と、まったく不作為を決めていたのだろう。その意味でいえば、菅氏も普天間問題のA級戦犯かも知れない!

つづく