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表現、報道の自由は無制限ではない
仏紙似顔絵との関連で

青山貞一 Teiichi Aoyama
掲載月日:2015年1月16日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁


 以下は青山のフェイスブックの論考をもとに書いています。 

 今朝早朝、かつてフランスのCharlie Hebdo紙に掲載されましたイスラム教の預言者マホメッドの風刺画を入手したので自分のフェイスブックに掲載しようと思いましたが、風刺画があまりにも日本語で言うところの「公序良俗に反している」。見るに堪えないものなので掲載を思いとどめました。
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 フェイスブックのようなSNSでも風刺画があちこちにシェアされる可能性があります。転載された風刺画がイスラム教の信者の方々や世界各地の関係国に見られれば結果的に日本語部分を抜きにモハメッドを冒涜した日本人がいると勘違いされる可能性があるからです。事実、イスラム諸国では、マホメッドの絵を描くことさえ禁じられているという話もあります。
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 フランスで起きた事件は、Charlie Hebdo紙の記者や編集関係者をいかなる理由があれ殺人行為に及んだことは論外であり、申し開きができない行為だと思います。

 しかし、風刺画を見ると、あまりにも常軌を逸したものであり、読んだ人々や団体が単にいやがるだけでなく、心底怒りを感じるものであることが分かります。ましてそのような風刺画を金銭で売っている営利行為をおこなっているとすればその怒りは何倍にも増幅するものと考えます。まさに言論の暴力と言っても過言でないでしょう!

 とかく、マスコミなどは、表現の自由、報道の自由と居丈高に叫びますが、当然のことながら、表現の自由、報道の自由は無制限にあるものではなく、あくまでそれにより名誉、信用を著しく汚されたり、侮辱を受ける人々や宗派、国家などの感情や感性、知性を十分考慮すべきであると思います。
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 今回のフランスの風刺画の一件では、Charlie Hebdo紙が過去掲載した一連の風刺画に対し、イスラム関係者から幾度となく、編集部に警告が出されたにもかかわらず、掲載し続けたことにあのような行為に至った背景があるようです。
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 ご承知のように、いかなる国にあっても、他人を誹謗中傷したり侮辱して名誉、信用を毀損する言動は、法以前に倫理、道徳的に許されないことだと思います。表現の自由、報道の自由は、公序良俗を逸脱してはなりません。

 さらにその種の言動は、日本の場合でも法的に刑法と民法により処罰や権利侵害による損害賠償が規定されています。

 刑法の場合、信用棄損、名誉棄損、侮辱などは「親告罪」となっています。

 親告罪は、被害を受けたと感じるひとが相手を訴えることが出来る罪であるといえます。この場合、名誉を棄損されたと感ずるひとが、警察や検察に訴えることを告訴と言います。一方、それ以外の第三者が訴えることを告発といいます。
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 親告罪は原則として被害を受けた人が告訴状を警察や検察など司法当局に提出し、告訴状が受理することから開始されます。当局は事実関係を証拠を基に検証し、起訴相当と認めれば、検察当局は起訴し、裁判となります。

 一方、民法では不法行為(民法709条など)が名誉棄損、信用棄損、侮辱などに関連して援用されます。

 不法行為は、故意又は過失により他人の権利を侵害する者は権利侵害により生じた損害を賠償する責任を負うこと意味します。刑法ではないので親告罪とは言わず、被害を受けた当人が被害を与えたとする相手方を裁判所に訴えることからはじまります。
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 刑事事件の例として最近の出来事では、韓国のソウルで産経新聞社のソウル支局長が女性の大統領について書いた論考の内容、すなわち旅客船セウォル号が沈没し、295人が死亡、9人が行方不明者となった大事故当日の朴槿恵大統領の行動に関連し、引用による推測で一切の事実確認、当人への取材なしで書いた論考に対し、韓国の国民により刑事告発され、その後、大統領側近者による告訴で検察が支局長の事情聴取を行い,起訴され、現在、裁判が進行中です。

 日本の刑法でも(親告罪)には、
第232条 この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
2 告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う。
とあり、本来、この種の刑法は親告罪であるものの一国の大統領などが名誉棄損を受けた場合には、大統領の側近が刑事告訴に代わる行為を行ったものと推察されます。
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 この事件についても、日本中のマスコミは報道の自由、表現の自由が侵されると言って喧しく、大騒ぎしました。

 しかし、上述のように、報道の自由、表現の自由は決して無制限、無条件ではありません。報道の自由、表現の自由のもとに傷つく人々もいます。また仮に記事内容に公共性や公益性があったとしても、顕示された事実が推測にもとづくものであり、真実性に乏しいものであれば、名誉棄損、信用棄損は成立します。
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 翻って、いままでイスラム国やアルカイダがしてきた行為は国際法的にも許されない行為であるとしても、さりとてマホメッドなどに対する極端な風刺画や言論、その表現、報道が無制限に許されるものでないことを報道関係者は知るべきです。

 当然、キリスト教国にあってもこれは同じですし、日本でも同じです。報道などにより被害を受けたと感ずる人が訴えれば、報道の内容が仮に公共性、公益性があったとしても、真実性、相当性がなければ名誉毀損、信用毀損が生じます。
 
 以下は今回の事件に関連して発せられたローマ法王の言葉です。

◆表現の自由にも限度 ローマ法王

 ローマ法王フランシスコは15日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載するなどしたフランス週刊紙シャルリエブドの銃撃事件をめぐり、「他者の信仰をもてあそんではならない」と述べ、表現の自由にも一定の限度があるとの考えを示した。AP通信などが伝えた。

 スリランカからフィリピンに向かう機中で語った。

 法王は、表現の自由は市民の基本的な権利であると強調。神の名によって人を殺害するのは常軌を逸しており、決して正当化できないと述べた。

出典:AP通信

 裁判では、新聞や雑誌、テレビなどが顕示した事実が真実であるか否かが審理されます。しかし、一般的に言って真実性の立証は容易ではありません。その場合には、最高裁判例で誰でもが真実であると思う相当性があればよいとしています。しかし、現実には真実性はもとより、相当性もない記事や番組はあるものです。
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 ここで重要なことは、表現に公共性や公益性があり、顕示した事実が真実あるいは真実と思うに相当な場合には、名誉毀損、信用毀損が生じても民法の不法行為は成立しないということです。
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 私が勤務してきました大学内では、この種の行為は、ハラスメント行為として懲戒免職などの対象となっています。まして、自身の立場を利用してのアカデミックハラスメント、セクシャルハラスメント、パワーハラスメントなどは単なる嫌がらせではすまず、現在、刑法、民法の対象となります。

 ということで、報道関係者の報道の自由、、表現者の表現の自由は、たえず法的な処罰や損害賠償の対象となることと裏腹にあることを知るべきです。


追記
 日本国内で感じるのは、マスコミ関係者の精神構造が中央官僚のそれと非常に似ているということです。とういうことかといえば、自分たちのしていることは間違いがない、また間違いが見つかってもそれを認めようとしない、誤らないことです。これをして無謬性といいます。まるで自分たちが神になったかのようなふるまいです。

  官僚もマスコミもひとの子、間違いはいくらでもあるはずです。隠さず、誤って訂正することが大切です。今回の一件はマスコミと表現者(イラストレーター、芸術家?)が重なっていますが、何度も何度も当該新聞社だか雑誌社には過去から現在まで抗議がいっていたようです。しかし、まともに対応せずあのような悲劇を生んだと言えます。非常に残念なことです。