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スコットランド+北イングランド
現地調査報告
   

〜セラフィールド工場がもたらす健康リスク〜

Risk of Sellafield Facility on Health


青山貞一 池田こみち

掲載月日:2012年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁


スコットランド+北イングランド現地調査図(総延長約2200km)

 ところで、私たちが最初にセラフィールド工場のすさまじい汚染問題を知ったのは、今から7年前の2005年、セラフィールド工場からアイリッシュ海に何と約20トンのウラニウムとプルトニウムを含むオリンピックサイズのプールの半分の量の放射性物質が漏れ、施設が閉鎖されたときのことだった。

以下は英国の主要新聞、ザ・タイムズ紙、2005年2月17日号の「セラフィールドはプルトニウム30キログラムを「紛失」─原子力監査公表」の記事である。

◆セラフィールドはプルトニウム30キログラムを「紛失」─原子力監査公表
Nuclear audit says Sellafield has 'lost' 30kg of plutonium
By Angela Jameson, Industrial Correspondent

The Times, February 17, 2005(ザ・タイムス 2005年2月17日)

 英国の主要な核施設であるセラフィールドがプルトニウム30キログラムを「失くして」いる事実を示すデータが本日公表された。

 英国内の全原子力施設における年1回の核物質に関する監査が明らかにしたところによると、核爆弾7、8個を作るのに十分な量のプルトニウムが、昨年「不明量(所在不明の量)」として分類されていた。

 このように大量のプルトニウムがどこかへ行ってしまっているという事実が明るみに出ることは、おそらく英国原子力グループと貿易産業省にとっては、独立の核施設廃止措置局(Nuclear Decommissioning Authority - NDA)設立にともなう原子力産業の大規模な再構築を、この数週間内に完成しようとしている時期であるだけに、非常に恥ずべきことである。

 このような食い違いは、セラフィールドでは、2003年に19キログラムあり、過去10年間の累積紛失量は約50キログラムとなる。この施設を操業する英国核燃料公社(BNFL)は、この問題をおそらく単なる「記録上の損失」、つまり「在庫計算上の問題」として済ませようとするだろう。

 しかし、独立の専門家たちは今回の発覚は深く憂慮するものであると語った。「彼らは、今回の問題を監査問題であるとみなしているが、テロリズムへの恐怖に対する今日の風潮を考えれば、彼らはこのようなことには異常なほど熱心になるはずなのに」と、独立系原子力コンサルタントのジョン・ラージは述べた。

 また、核兵器の専門家フランク・バーナビー博士は次のように述べた、「所在不明の物質はいつもあることだが、今回の量は劇的な展開だ」「使用済み核燃料を再処理すべきでない大きな理由は、『不明量』がどのくらいなのか分からなくなるからだ」。

 セラフィールドにあるすべての核物質は、汚染した貯蔵プールの中身やあらゆる排出物も含めて、国際原子力機関(IAEA)によって承認された指針に従って、毎年測定されている。

 「ちょうど貸借対照表のようなもので、私たちはどれだけ入り、どれだけ出ていったかを計算している」とある関係者は述べている。

 収支が合わないという事実は、悪質なことが起こったことを意味しているわけではないが、恥ずべきことであり、見苦しいことだ。核物資が不適切に転用されたことを暗に意味しているわけではなく、また施設内で警備が破られたことを意味しているわけでもない。

 施設にどれだけの物質が存在するかに関するデータを常時保持することは慎重を要するし、また間違いを起こしやすい作業だ。各原子炉内に約5年間あった使用済み核燃料棒は、再処理のためにセラフィールドに運び込まれる。

 それらは、処理される前に最長で4年間、貯蔵プールで冷却される。この工程では、燃料棒を細かく切断し、それらを酸に溶かして、溶液をウラン、プルトニウム、高レベル廃棄物の三つの流れに分ける。

 この工程の各段階で、物質は重量測定され、プルトニウム含有量が計算される。放射能を扱うので、これらすべてが、遮蔽物越しに遠隔操作でなされなければならない。

 この工程の最終段階で、回収されたプルトニウム重量が、投入した総量の概算とつりあわなければならない。それらの数値が一致することは滅多にない。しかし、食い違いが今年ほど大きくなることもまず無いことだ。

 小さな測定の誤りが、今年のように、大きな誤差に増えていってしまうことがありうるのだ。

 IAEAは、「不明量」に関する許容レベルの基準をプルトニウム処理量の約3%を超えてはいけないと規定している。セラフィールドでは、大量の使用済み核燃料が再処理されるので、今年の食い違いはこの基準内に収まるだろう。関係者によると、昨年、「不明量」の物質はセラフィールド工場を通り抜けた量のおよそ0.1%であった。「要するに、なにも紛失していないし、なにも施設から持ち出されていないということだ」と関係者はタイムズ紙に話した。

 貿易産業省のスポークスマンは30キログラムの「紛失」は「新しい在庫評価システム」に起因するものだと述べた。

 国内原子力施設の警備が9・11以降、強化されてきた。しかし、新たなデータによると、昨年、警備上の問題が45回起きている。情報公開法に基づいて明らかにされた資料によると、それらには、許可されていないアクセス事件や機微な情報の窃盗が含まれている。

 国内原子力警備安全局が出したデータによると、人為ミスが深刻な警備上の問題をもたらしていると示唆している。

 今後3年間、核施設の経営を引き継ぐために民間会社による入札が行われていく中で、健康安全委員会が原子力施設の安全性に懸念を示している。


 しかし、それ以前にもセラフィールドの再処理施設は、操業当初から北欧にまで至る広域的な海洋汚染や何度もの事故を背景とした周辺住民らへの深刻な健康被害などから論争を引き起こしてきたと言える。

<セラフィールド工場における処理量と放射能排水量>

 ところで、セラフィールド核燃料再処理工場における年間の処理量は、表にあるように毎年880トンから1100トン、以下の処理期間中のマグノックスの通算量は4万トンを超えている。THORPは10年間で約5千トンとなっている。さらにガラス固化の本数は通算で3000本弱となっており、いずれも巨大な量である。

表 セラフィールド工場における年間処理量の推移

出典:旧動燃資料

 一方、以下のグラフは、セラフィールド工場から海洋への放射能排出の推移である。α放射能排出量、β放射能排出量ともに、1971年から1985年まで膨大な量を海洋に排出していたことが分かる。


図 セラフィールド工場から海洋への放射能排出量の推移
出典:BNFL

<セラフィールド工場周辺地域への影響>

 これだけの処理量と海洋への排出量がある施設であれば、周辺地域への環境影響や健康被害があっても不思議ではない。

 たとえば、1983年、英国の地元テレビ番組でセラフィールド工場近くに住む子供たちの小児がんや白血病の発生率は、英国の全国平均よりかなり高いと報道された。ちなみに工場から2.4km離れたシースケール村では10倍高いということである。

 1990年にはマーティン・ガードナー教授(元サザンプトン大の疫学学者、故人)が、「母親の妊娠前に父親がセラフィールド工場で働き放射線被ばくを受けていたことが、子どもたちの白血病および非ホジキン性リンパ腫のリスク因子である」という仮説を発表している。

 さらに2002年には国際的なガン研究の専門誌(International Journal of Cancer)に、セラフィールド再処理工場で働き被ばくした男性労働者の子どもたちは、他の地域の子どもたちに比べて、白血病やリンパ腫など血液の癌の発生率が2倍近く高く、工場があるシースケールでは、15倍も高いリスクがあると発表された。

 これは工場から地域への直接的影響ではなく、セラフィールドの原子力施設で働く被ばく労働者の父親と小児白血病の子どもとの関係についてみたものである。

 上記のうち、1983年の件を報じた英国テレビ局の番組内容を以下に示す。

◆セラフィールド再処理施設についての番組報道

 1983年11月1日、英国ヨークシャーにあるテレビ局であるYorkshire TVが「ウィンズケール:原子力の洗濯場(Windscale:The Nuclear Landry)」というドキュメンタリー番組を放送した。

 番組内容は、セラフィールド再処理工場(Sellafield:旧名ウィンズケール再処理施設で、英国の西カンブリア地方に位置する)周辺に住む子供達の間で白血病が多発していると指摘するものであった。

 ヨークシャー・テレビ局は1年前から番組制作の準備を始め、様々な調査や情報収集を行った。

 それによると、セラフィールド再処理工場周辺のシースケール、ウェーバース、ブードルの3村では、子供の白血病発生率がイギリスの平均発生率の5倍から10倍であり、特に同工場から約2.4km離れた海岸沿いにあるシースケール村では10才以下の子供の白血病発生率が平均の10倍に達していることがわかった。

 シースケール(Seascale)村では、1983年までの30年の間で、ガンを発病した子供が11人おり、そのうち7人が白血病で、しかも10才以下の子供が5人含まれていたという。

 調査の時点での村の人口はおよそ2000人であった。この番組の放送のかなり以前から、セラフィールド再処理施設は放射能を漏らしているといわれていた。

 英国政府はブラック卿を中心に調査委員会を組織し調査を実施した。

 1984年、ブラック報告書が刊行され、小児白血病の過剰発生は確からしいが、施設から放出した環境放射能レベルは低すぎて過剰とは説明できず、更なる調査の必要性があると政府へ勧告している。政府はCOMARE(環境における放射線の医学面の委員会)を組織し広い観点から調査を続けることにした。

 一方、ブラック委員会メンバーの一人であったガードナー教授(M.J.Gardner:サザンプトン大疫学教室教授)によってシースケールを含む行政教区レベルの小地区、並びに放射能汚染地域一帯と従業員の居住区を含む郡レベルで、施設周辺の疫学研究が行なわれた。

 ガードナー教授は、1990年2月にセラフィールド再処理工場周辺の子供の間で多発している小児白血病は、施設で働く父親の遺伝子が放射線の影響で突然変異した可能性が高い、という調査結果を発表した。

 この調査結果はイギリスのタイムズ紙などでトップ記事として報じられたことから、イギリス中に大きな波紋を引き起こした。

 ガードナー教授の調査結果では、

(1)シースケール村生まれの学童に小児白血病/非ホジキンリンパ腫の多発を確認したこと、

(2)可能性が疑われる9つ以上の要因の中で、セラフィールド再処理施設で働く父親の放射線被ばくが、受精前6カ月の線量10mSv以上か、受精前総蓄積線量100mSv以上で、有意で大きな相対リスク5〜8が見出されること、

(3)線量の大きいほど、影響が大きくなると言えるかもしれないとしている(。

 ここで10mSvは、当時、セラフィールド再処理工場の労働者の1年間の被ばく限度の20%の量だが、調査結果は低い放射線量の被ばくでも危険性が高いことを示していることになった。

 BNFLや原子力推進派も、こうした調査をガードナー教授の発表以前に行っており、セラフィールド周辺以外にも白血病が多発している地域が全国に存在することから、放射能汚染は白血病多発とはなんら関係がなく、その原因は都市から原子力施設に移り住んだ人たちの持ち込んだウイルスである可能性も考えられるとしてガードナー教授の調査結果を否定した。

 しかし、セラフィールド再処理施設周辺住民からの訴訟は急増し、イギリス国内での原発反対運動はますます活発になった。また、施設労働者の放射線の被ばく基準の引下げ要求も拡大した。

 ガードナー教授は、1993年に亡くなったが、調査は他の研究者によって継続されている。COMARE第4報(1996年)によれば、小児白血病の多発は1950年〜1990年の40年にわたってシースケールでのみ起こり、他の近隣の町村で起こっていないとしている。環境放射能説、父親被ばく説、化学物質説、キンレンの人口混合説、汚水垂れ流し説などが検討されているが、今の所白血病の病因は不明である。


現地調査で撮影したセラフィールド工場の全景

つづく